素浪人シリーズいろいろ(二) 当時の解説やインタビュー・新聞記事などから「素浪人シリーズ」を分析してみました
素浪人のころ
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●「素浪人月影兵庫(’07年3月〜12月 於:東映ch)」の次回放送時に1話でも多くの欠番を!と願い、「兵庫よ、すべてを見たかった!


「素浪人シリーズ」の設定と背景 (いや、そんな難しいこっちゃないんですけどね)


素浪人 月影兵庫

近衛さんが初めてTV時代劇に出演されたのは、’62年2月の「スター登場 堀部安兵衛(前・後)」(NET・主演と思われる)。
大々的には’65年からで、初めての主役TV時代劇シリーズは、「柳生武芸帳」(’65・01・10〜07・04)。

その3ヶ月後に始まった「素浪人 月影兵庫」は二番目の主役TVシリーズだった。
だが、柳生十兵衛役は松竹でも東映でも近衛さんの十八番だったから、新境地を開いたという意味では、「月影兵庫」の意義は大きい。

その頃、時代劇映画が斜陽だったのに対し、テレビでは時代劇が上昇気流
時代劇俳優としてはちょうど良い時期、テレビ進出を決めた。
これは、若き映画スターから実演、従軍、10年後の映画界復帰、移籍と、この世界を独力で渡り歩いてこられた近衛さんの判断力の正しさといえるだろう。
 
このシリーズでは、品川隆二さんとの共演が人気の理由の大きな1つだったが、それまでの東映映画でも数多く、互いに関わりの大きい役で共演されていた。

はじめての共演「砂絵呪縛」(’60年3月)では品川さん(勝浦彦之丞)と近衛さん(森尾重四郎)は、はじめ敵同士。
次期将軍を指名する書類の入ったかんざしを巡り、柳沢側の用心棒・重四郎らは、水戸のエリート藩士・彦之丞らと刀を交わす。
腕の立つ彦之丞をみて、「ゆずれ」と、相手を変わる腕に覚えの重四郎。お互いに傷を負わせて互角の勝負で終わる。
あとに重四郎は柳沢側のやり方に反発し、彦之丞の恋人の言葉に目覚め、乱闘の中、かんざしを彼女に渡す。
品川さんは恋人もいるハンサム・エリート若侍、近衛さんは十八番のニヒルな浪人役。

さらに「地雷火組」(’60年11月)では、近衛さんは勤王派志士・佐橋、品川さんは勤王派の味方をするスリ・仙太の役。
長州から京に上ってきた佐橋を、仙太が迎え、案内する。旦那こそポニーテールだが、仙太は姿形、身の軽さ、しゃべり方、
そのまま半次だ。仙太が佐橋を「旦那」と呼んでいるところもなぜか嬉しい。二人が街道を歩く姿はそのまま旦那と半次だ。
その後も、仙太は、新撰組の動向を知らせたり、佐橋と仲間の桂小五郎(里見浩太郎)との連絡を取ったり、勤王派の元で働く。

そして、近衛さん主演の「柳生武芸帳」ほかでも数本、品川さんは、ある時は兄弟として、ある時は敵忍者として登場される。

たとえば「柳生武芸帳(’61/3)」・・・
柳生十兵衛(近衛)と、柳生武芸帳をねらう忍者、霞の多三郎(品川)は、渡し場の茶屋で、敵同士なのになぜか優雅に話をする。
   十兵衛 「柳生武芸帳が、なんたるか知っているのか?」
   多三郎 「貴様はどうなんだ」
   十兵衛 「本当は、俺も知らんのだ、ハッハッハッ・・」
   と会話は続く。
   (このときも、多三郎は十兵衛のことを、「俺のうわてをいく旦那」と、認めている。)

つまり、幾本もの共演関係のあと生まれた、兵庫と半次の漫才師顔負けの掛け合いは、息が合わないはずがなかったのだ。

「月影兵庫」は、原作から逸脱したため原作者・南條氏からクレームがついて終わったと言われているが、原作から離れたオリジナル脚本なのに、原作料をもらうのも心苦しい、という同氏の良心的なコメントが、当時の新聞にある。
同新聞には、新シリーズの「タイトルは未定だが、現在では『花山大吉』などが候補にあがっている。」とある。


素浪人月影兵庫の紹介文>(国府 治三郎さま)

諸国を放浪する豪放磊落な素浪人。普段は、鼻毛を抜いたり胸をかきむしるなど行儀が悪い行動をする 三枚目だが、ひとたび剣を抜けば鬼よりも怖い。酒が大好きで昼間から居酒屋に出入りする。また、その酒好き振りは半次をして酒と名がつけばどんな鼻も曲がるようなものでも食らう。

これを見た時、私一人で大笑いしてしまいました。これって近衛さん河野寿一監督そして我々スタッフの事でしょう?
それから、素浪人月影兵庫の第八十五話のサブタイトルタダ酒飲んでも冴えていたも ピッタリ当てはまっています。


素浪人 花山大吉

「月影・・」が終わった翌週から間髪入れずに「花山・・」は始まる。当時、「月影・・」がいかに人気だったかがうかがえる。
「月影・・」の最終回、兵庫の後を追ってきた松平家用人から、兵庫の叔父、伊豆守が危篤であることを知らされる。
兵庫は跡を継ぐため、帰らなければならない。旦那との突然の別れに、号泣する半次。

翌週の「花山・・」で、目の前に現れた、兵庫そっくり(当たり前)の大吉を半次は怪しむ。
でも、大吉は、半次がを見せても平気、普段は兵庫よりちょっと上品なのに、おからを肴に酒を飲むと品が悪くなる別人だった。
そして、また二人旅が始まった。

しかし、まるまる2年間続いた「花山・・」もまた、人気のまま終わることになる。
糖尿病で近衛さんにドクターストップがかかったためだ。

「花山・・」が終わった時、近衛さんと6年間コンビを組んでいた品川隆二さんは、インタビュー(詳細はこちら)でこう語っておられたそうだ。
   「糖尿病が悪化して、どうにも動けなくなった時、近衛さんの持っている一番いい部分がでてきた。
   何でも有り余っている時には、本当にいい味はでない。つらくて仕方なかった時のほうが、凄く良かった。」

お二人の仲が悪かったとの憶測も、飛んでいたようだが、そうではなかったようだ。
同インタビューで、品川さんが語られたことから察すると、確かに、いつも仲良くおしゃべりなんていう、旦那と半次の掛け合いでのエネルギーが薄れるようなことはされなかったようだ。
しかし、これは、俳優なら当たり前だろう。
お二人は、一つの番組を作っていく仲間として、芝居でいいものを出そうと、お互いを俳優として尊重する関係だったといった方が適切だと思われる。

シリーズ後半、近衛さんの殺陣がご病気で苦しくなる回がある。登場シーンを、極力減らしている回もある。
しかし、そんなとき、品川さんの演技と殺陣が、近衛さんの窮地をかばうように光っていた。
おそらく、無意識のうちにやってらっしゃったのだと思うし、近衛さんも、それに気づいてらっしゃらなかったかもしれない。
気づいていても、気づかなくても、無言で通じるお二人、これこそ、永遠の名コンビだ。

年が明けた1971年1月からは、同時間帯で、大友柳太朗さん主演の「さむらい飛脚」が始まった。
この番組で、品川隆二さんは忍びの名人、神坂精四郎に扮しておられる。(従来の二枚目路線)
近衛十四郎さんは、「花山・・」後も、「忍法かげろう斬り」(最後の十兵衛役)や「徳川おんな絵巻」などにゲストででておられるが、再びレギュラーになったのは、2年以上がたった、’73年「素浪人 天下太平」だった。

素浪人 天下太平

「花山大吉」が近衛さんの糖尿病によるドクターストップで終了してから2年と3ヶ月
この間、単発の時代劇ゲスト出演(「徳川おんな絵巻」「大岡越前」「柳生十兵衛」「弥次喜多隠密道中」など)や舞台出演、トークショー出演はあったが、やはり体調が良くなかったのだろう、近衛さんは極力仕事を控えておられたようだ。

そしてこの長いブランクを経て、視聴者も制作側も待ちに待って始まったのが、素浪人シリーズ第3弾「天下太平」だった。
その待ちこがれ方は、紙面の4分の1を使った当時の新番組紹介の広告の大きさから充分うかがえる。
   
近衛さんと対称的に、「花山・・」が終わってからの品川さんは、時代劇に、現代劇に、バラエティーに、忙しかった
そのせいかどうかは判らないが、太平旦那の相棒は半次兄さんではなかった。

相棒には、加茂さくらさん佐々木剛さん
当時、佐々木剛さんは、NHKの朝ドラや、仮面ライダー役で、既に主婦層や子供にとても人気があった。

でも一番変わったのは、三人の関係だったかも知れない。
それまで半次が、旦那のその心意気にほれながらも、対等に酒を飲み、ケンカもしてきたのに対し、二人もたしかに旦那に文句は言うが、旦那は目上、腕が立つ、推理がきく、という設定で、二人はそのあとをついていく関係になった。
極端に言うと、旦那と半次は大人の関係、旦那と勘太は大人と子供、あるいは上司と手下の関係にちかい。

しかし、「天下太平」で目を見張るのは、病気回復して気合いの入った近衛さんの殺陣だった。
「花山・・」最後の頃の苦しい殺陣ではない。各話では、手数の多い殺陣をおしげもなく披露されている。
病気の影響か、兵庫の頃とはお顔も異なり、殺陣のスピードも最盛期より遅い(それでも充分速いが!)。
しかし、気持ちが入っているのだ。見ていて、近衛さんの言葉が聞こえてくる殺陣だ。
品川さんの言われる、全身全霊を振り絞った「本当にいい」殺陣だったに違いない。
近衛さん亡き今では、近衛さんの遺言とさえ感じる。まるで「ここに俺がいるんだ!」と言わんばかりの存在感がある殺陣だ。


<上月信二プロデューサーの企画書より>
(春日太一さま)

上月さんから頂いた資料の中に、「新番組企画書 新・素浪人花山大吉」なる冊子がありまして。
つまるところは、「花山〜」の終了とともに一度中断した「素浪人」シリーズを復活させるための企画書(つまりこれがやがて『天下太平』になった)なんですが。まあ、これが面白いのなんの。いろいろな裏事情まで書かれた珍しい企画書になっています。
その中に書かれている「素浪人シリーズの魅力」の箇所をそのまま転載させていただきます。

「主人公『花山大吉』は、誰にも自由を拘束されることのない身軽な素浪人です。それが、まるで当のない流浪の旅を続けています。たべたい時に喰い、寝たい時に寝、窮すれば稼ぎ、全く気ままな自由人です。そこに、現代人の憧れと共感があるのではないでしょうか。私たちをとりまく世間は、自由のかけらもないといったら、いささかオーバーでしょうが、あまりに多いしがらみに、自由は拘束されっ放しです。その拘束から逃れたい気持を代弁して『花山大吉』は行動してくれます。自由と安息を求めて、私たちは『旅』を渇望しています。」
「『旅』は憧れです。それを『花山大吉』は、いとも気軽に行動してくれます。そこにこのシリーズの魅力があるのです」

この冊子には他の企画書同様に「キャラクター説明」なるものがありまして。
言うなれば、「登場人物の公式設定」ってヤツです。

「花山大吉 住所不定。年齢不詳。紋つきの着物の背には花、両袖に大と吉の文字。袴も着用に及んでいるが、着衣同様に相当くたぶれている。だが、腰にぶちこんだ太刀ひとふりは、滅法な大わざもので、しかも大変に立派なもの。顔つきは渋くて茫洋としている。剣さばきは豪快無比、唸りを生じて敵を倒す。そのほとんどが峰打ちで、相手の抵抗力を弱めるための剣さばきで滅多のことでは人を殺さない。極悪非道、視聴者の目で、是非叩き斬ってほしいと思う時には殺す。酒を愛し、やや乱れることもあるが、ご愛嬌程度の乱れ方。(犬が大好きで、いつも捨て犬のたぐいを二三匹、連れて旅している。そのため泊まるところに苦労する。)
注 ()内は、撮影の都合で変更することがあるかも知れません。更に、前回、前々回の「猫に弱い」「オカラが大好き」といった設定は、後日充分に検討致します。


いただき勘兵衛旅を行く

しかし、どうやら、「天下太平」の視聴率は期待したほどではなかったらしい。
「天下太平」の翌週から始まった「いただき勘兵衛」は、普通、続編はかなりの確率で取り上げられるはずなのに、一部を除いて新聞の新番組紹介に載っていない。
(かわりに載っているのは、市川右太衛門さんの「旗本退屈男」)

「天下太平」不調の原因は、相棒が違ったこと、半次のように意地になってでも対等に旦那にものを言う人間がいなかったことにありそうだ。
つまり旦那に貫禄が付きすぎて、相棒との感覚的な差が開きすぎた
「天下太平」の殺陣はよかったが、相棒とのからみという点では、(当たり前だが)品川さんとのそれに遠く及ばなかったということだろう。
完全に目新しいものでもなく、かといって「偉大なるマンネリ」になるほどには兵庫や大吉を踏襲していなかった

そういう中で始まった「いただき勘兵衛・・」は、前3部作とは違う、目新しさを狙っていたようだ。

まず、相棒の仙太(主題歌も)はご子息の目黒祐樹さん、お紺が目黒現夫人の江夏夕子さんと、かなりファミリー色が濃い
時々、実生活だか作り話だか、迷わせそうなセリフも出てくる。たとえば・・・
   勘兵衛 「あいつ(=お紺)の亭主になるヤツの面が見たいな」 (勘兵衛が笑い、お紺に負けた仙太がその横にいる)と言った具合。
勘兵衛が酒を制限されているのも、なんとなく糖尿病にかけたのかな、と思わせるし、
仙太役の目黒さんは、当時プレイボーイと呼ばれていたから、役でもそのまま美人好きにしたのか、等々。(ご本人の面目のため、「実際は江夏さん一筋」と当時の週刊誌に出ている。)

勘兵衛は、隠密巡察使というちゃんとした定職をもち、旅の目的があるのも、いままでとは違った。
相棒の仙太は腕っぷしは強いし、対等とまでは行かないが、旦那に文句も言う。
それに、吉田義夫さん演じる第三者の貧乏神は、勘兵衛を文字通り震え上がらせる。

全体に、かなりアップテンポになっているのは、当時の世相を意識している。

さらに、殺陣師は近衛さんのごひいきの土井淳之祐氏だから、ますます、特徴のある殺陣が冴えているし(プロフィール思い出ばなし「お気に入りの殺陣師」目黒さんとのダブルチャンバラなのも、得した気分だ。

「天下太平」と、この「いただき勘兵衛・・」は、放送期間からいっても、兵庫や大吉より有利なはずだった。
兵庫(第二シリーズ)と大吉は、一般的な番組開始と終了時期(4月〜9月・10月〜3月)を無視した1〜12月サイクルだったので、新聞の新番組評に取り上げられる機会をかなり逸していたのだ。
それに比べ、太平、勘兵衛は、やっと普通のサイクルで放送されているから、番組評なんかにも、本当はもっと載りやすいはずだった。
   
しかし、この「いただき勘兵衛・・」は、前述のように、「素浪人シリーズ」中はじめて、一部のぞき、新番組広告で取り上げられていない。
これは、「天下太平」が、前の2作品と比べて思わず不評だったということだろうか。
視聴者が、旦那と半次兄さんが繰り広げる珍道中の続きを期待していたのに、実際はそうならなかったという失望なのか。
しかし、「天下太平」の殺陣は、近衛さんがかなり力を入れておられるし、実際、以前のスピードはなくともかなりいいと思うのだが、それに、「いただき・・」は「天下太平」に引き続き始まっているし、「天下・・」よりテンションが高くておもしろいという評価もある。

理由はどうあれ、「いただき勘兵衛・・」終了(’74年3月)とともに、近衛さんの10年間の「素浪人シリーズ」は終わった
長かったような短かったような・・。
当時近衛さんは、素浪人役には「愛着はあるが、進歩がない」(プロフィール思い出ばなし「素浪人シリーズの終わりと芸能界引退の理由」と語っておられたそうで、その後は、素浪人以前に演じておられた、まじめ路線の役でゲスト出演されている。

だが、近衛さんが素浪人のイメージを払拭されるには、時間がなさすぎた。
2年後には芸能界を引退され、翌’77年に他界。
まったく、近衛さんの人生の後半は、私たちに素浪人姿を見せるために費やされたといっても過言ではない。

特に、テレビ世代のファンの多くには、近衛さんが素浪人か、素浪人が近衛さんか分からないくらい、強烈な印象を残された。
半次も、しかりである。品川さんが時代劇に出られると、私たちは、いまだに半次の面影を探し、見つけ、喜んでいる。

今果たして、私たちには見ることのできない舞台で、近衛さんは、素浪人姿で演じておられるのだろうか、それともご自身もお好きだと言われたシリアス物をやっておられるのだろうか。



種々雑雑・拾い読み (上の文章の参考資料としたものもあります。原文のままではありません、あしからず!)



近衛十四郎さんは、月影兵庫をやってなかったかも?!

え〜っ!と驚く事実が分かる?月影兵庫を監督された佐々木康監督についての記述が、「結束信二の世界」(ただいま閉鎖中)の結束信二ドラマ主要俳優・スタッフ名鑑佐々木康監督(ただいま閉鎖中)にあります。
「閉鎖中」のため、覚えてるだけ話しますと、たしか・・
「素浪人 月影兵庫」(’65年10月〜)より前に放送の「佐々木小次郎」(’65年5月〜11月)で、はじめ、近衛さんを主役にしようと考えられていたことがあったが、監督の意向で新人で行こうということになった。もし、ここで近衛さんが主役をされていたら、そのすぐあとで始まった「素浪人 月影兵庫」を演じらることはなかったかも・・という考えただけで恐ろしいお話。(ちがったっけ?)
ちなみにこのドラマ、近衛さんは武蔵役で2回、ゲスト出演されている。
また、「新選組血風録」(’65年7月〜)でも、最初のキャスティングでは近藤勇役であがっていたそうだ。(ねっ、まもるさま)
ということは、近衛さんを兵庫に決定したのは、それよりもあとだったのか!
さらに、同番組の主役土方役(実際は栗塚旭)のキャスティングに当初、品川隆二さんを予定していたが、他の仕事(「素浪人 月影兵庫」か?)の都合で選ばれたというおはなしも(ろくりんさま)あり、ここまでくると、お二人が兵庫と半次役になったのは運命としか言いようがないかも!?

「月影兵庫」が始まると

第一シリーズの始まる前、「月影兵庫」はほとんど期待されていない。
第二シリーズの始まる前は、第一シリーズとは様相が全く異なる。
「NETテレビ広告のページ」(読売’66年12月)に、「新春に贈るNETの豪華番組」の1つとして
「お待ちかね!新作シリーズ 颯爽と登場! 素浪人月影兵庫   近衛十四郎扮する月影兵庫の飄々たる素浪人ぶり。
加えて品川隆二のおとぼけぶり・・・女性ファンお馴染みの”素浪人月影兵庫”がアンコールに応えて再登場する。
新作シリーズは人情話をふんだんに盛り込んで・・・・ゲストにバラエティーに富んだ俳優を迎え、一級の娯楽作品に仕上げている。」
という宣伝と、兵庫の二刀流(左足を前にして、左腕をグッとつきだし、2つの刀を交差させている)の写真が載っている。 

また、新聞(読売’67年1月)の下8分の1を使って、「NETテレビ ズラリ勢ぞろいした新春の話題作」
「お待ちかね!名コンビ再び登場!  いよいよ豪快に斬る!素浪人 近衛十四郎  ますます軽妙に跳ぶ 旅ガラス 品川隆二」
と言う文句で兵庫が刀で斬ったあとのポーズ、うしろで半次が両手を広げて構えている写真広告が載っている。

「NETテレビ 広告のページ」(朝日’67年1月)では、「月影兵庫」の広告が一番上で一番大きく載っている。
「素浪人月影兵庫 颯爽!名コンビ登場 ネコがこわい剣の達人・・剣をとってはかなう者ない十剣無統流の達人。だが身の回りにはいっさい無頓着、飄々とした天下の素浪人、月影兵庫。
「曲がったことはキセルの雁首でも気にいらねぇ」気っぷの良さが売り物の渡世人、焼津の半次。・・・ご存じの名コンビにフレッシュな魅力を加えて颯爽と再登場することになった。・・・
重厚、豪快な近衛十四郎と、軽妙、洒脱な品川隆二のコンビに、さらに明るさ、楽しさが加わっている。
どんな悪人も恐れない月影兵庫も、猫ばかりはニャンともご免、どんな可愛い子猫を見てもガタガタ震え出す、という二枚目半ぶり。
一方、半次の威勢のいい啖呵も、どっこい、クモだけは恐ろしくて通じない、という情けなさ。前シリーズにはなかったこのユーモアを加えて、二人はピッタリ息のあったやりとりを見せてくれるわけである。・・・主役二人を助けるゲストに、映画、演劇、TV界の人気タレントがどんどん顔見せする・・」とあり、右手を顔の辺りまで上げて片手八双で右を前に構えた、むんとした顔の兵庫、その後ろに緊張気味に手を開き、腰を低めに左前に構える半次の写真が大きく載っている。

毎日新聞の「NETテレビ番組紹介」(’67年1月)は、ちょっと変わって兵庫と半次の会話風な紹介
兵庫「天下の素浪人・月影兵庫こと近衛十四郎です。またお目にかかれて張り切っております」
半次「えー、全国の女性の味方、気っぷのいい焼津の半次こと品川隆二です」
兵庫「さて半次、今晩は・・・悪郷士が相手だ。腕も相当な奴らと聞く」
半次「曲がったことは例えキセルのガン首でも気にいらねえ俺が、そういう奴らと聞いちゃ、許しておけねえ」
兵庫「半次は相変わらず威勢がいいが、イザというときはあんまり頼りにならんなぁ」
半次「てやんでえ、そういう旦那だって猫を見ただけでブルブルして、十剣無統流の腕があったもんじゃない」
兵庫「そういうな。俺は猫サマが大の苦手。半次だって、・・・クモにビクビクではないか」
半次「・・・・・」
兵庫「おいおい半次、威勢のいいおまえがションボリしては絵にならン。曲がった物はとことん気に入らないお前が、首をうなだれては話にもならん」 
半次「旦那にはかなわねえ。ところで熱烈なるアンコールに応えて、新春登場となったのも、この焼津の半次がいるからですよ。特に女性ファンの声が多かったのは半次さん素敵ってワケでしょう」
兵庫「他ならぬ半次のことだ、そういうことにしておこう。新作シリーズでは・・ゲストがいっぱいだ。笑いあり、涙あり、スリルありのバラエティに富んだ”素浪人・月影兵庫”として気軽にお楽しみいただこう」
半次「月影の旦那、頑張っていこうぜ!」

京都新聞(’67年1月6日)は、「女性にモテる時代劇 毎日TV「素浪人月影兵庫」 品川、近衛のおとぼけコンビ」と題してテレビ欄トップで詳しく紹介。
これは一昨年10月から去年4月まで放送された二十六回シリーズの新シリーズで、近衛十四郎と品川隆二の扮する兵庫・半次のおとぼけコンビの人気と「人情もの」という点にも十分に留意し女性にもてる時代劇を狙っている。
十剣無統流の達人月影兵庫の反骨とユーモア、曲がったものはキセルのガン首でも大嫌いという焼津の半次の気っぷ。このキャラクターに富んだ二人が車の両輪となって、画面は快調に展開し、日本国中所狭しとばかり旅から旅へ強気をくじき弱気を助け突っ走る。
原作は時代小説のベテラン南條範夫、脚本は「忍びの者」「柳生武芸帳」「新選組血風録」の結束信二ほか森田新、松村正温らベテランが担当、監督は「新選組血風録」「佐々木小次郎」の佐々木康「柳生武芸帳」の小野登に加えて新鋭林伸憲が登場する。
放送は26回連続、タイトルは前作と同様「みんなが待っていた」(第一回)「心に虹がかかっていた」(第二回)「白刃が待っていた」(第三回)と言った調子ですべて、「・・・た」どめ。タイトルからもスピード感と洒落たニュアンスを出している。
レギュラー近衛、品川のスタイルも前作通り、近衛はヨレヨレの衣装と袴、品川は渡世人姿。変わった趣向としては曲がったことが大嫌いな焼津の半次はそりのない道中差しにガン首の曲がっていないキセルを持って登場。二十六本とも一話完結方式を取る。
各界の主なゲストは
第一回「みんなが待っていた」(結束信二脚本、佐々木康監督、1月7日放送) 小林哲子、若宮忠三郎、高橋和子
第二回「心に虹がかかっていた」(森田信脚本、林伸憲監督、1月14日放送)  舟橋元、土田早苗、寺島雄作
第三回「白刃が待っていた」」(結束信二脚本、佐々木康監督、1月21日放送) 東けんじ、宮城けんじ、北城弓子、島田順司
第四回「夢に子供が歌っていた」(森田新脚本、佐々木康監督、1月28日放送) 成瀬昌彦、長内美那子、天津敏
第五回「一両だけが知っていた」(結束信二脚本、佐々木康監督、2月4日放送) 花園ひろみ、香川良介、戸上城太郎
このほか、ナンセンス・トリオ、中山昭二、渡辺文雄、宮園純子、山城新伍ら多彩な顔ぶれが登場する。

品川隆二さん紹介(読売’67年9月)

テレビ欄に毎日紹介されていた記事「タレント」で。まじめそうなお顔の背広姿の写真。(面接用みたいに見える)
昭和8年4月11日山梨県生まれ。東洋大学経済学部卒。在学中に大映の”ミスター日本一”に合格。27年「川のある下町」でデビュー。テレビは38年からで、現在NET「素浪人月影兵庫」のレギュラー。現住所(・・・は、○○荘というきわめて庶民的お住まい)

テレビ時代劇なぜはやるー主人公に親近感 殺陣もリアルな描写(朝日’67年10月)

太秦の東映京都撮影所では、昔、映画撮影ではファンがうるさくて撮影を中止したほどだったが、’62年〜’63年頃からそれが減った。
現在、撮影所の一部はテレビプロダクションが使い「銭形平次」「素浪人月影兵庫」それに「戦国無宿」などを制作している。
今年中に作る劇場用映画はわずかに5本。テレビの方は189本(1時間番組を1本で計算)ですからね」
かつての時代劇スターも今ではテレビ時代劇に活躍の場が移った。映画の時代劇では、スターは雲の上の存在だったが、茶の間で見るテレビでは、浪人や流れ者を主人公にし、スターとファンの間にあったかきねを取り外した
そして、映画では主人公の強さを強調するあまり、刀が触れもしないのに、相手が倒れたりする殺陣の不自然さが目だったが、テレビではリアルになった。
それに、「たとえば、権力に刃向かうテーマでも、イデオロギーのからむ現代劇に比べ、時代劇なら遠い昔話だから肩もこらない」(五社英雄プロデューサー)という時代劇ならではの効用もある。
また、テレビ局の営業面から見た場合にも、不況期にはテレビ時代劇が向いている。
番組の衣替えの時まず放送時間枠が決まる。しかし、不況だとスポンサーがなかなか付かない。とりあえず制作をはじめるとして、現代劇だと劇中に出てくる自動車をA社のものにするか・・・資本の系列化が進んでいる現代では、コップ一つ鉛筆一本でもスポンサーとつながりが出てくる。その点、時代劇の方が無難というわけだ。
  
世は、国産テレビ映画の時代だった(読売’67年12月)

かつて、ゴールデンアワーを占めていた外国産テレビ映画は、国産テレビ映画が取って代わってきた。製作会社もかつての独立プロから日本映画五社や国際放映といった大手に移り、映画界でも第一線の人々が進出している。・・・・  
テレビ映画は、ビデオテープを使いテレビ局で製作されるスタジオ・ドラマとちがい、フィルムを使って映画として作られる。
現在のところ、テレビ局が主導権を持って製作会社と共同で作るという方式がほとんどで、国産テレビ映画の高視聴率番組は「ザ・ガードマン」「ウルトラセブン」「素浪人月影兵庫」「パーマン」「チャコねえちゃん」「意地悪ばあさん」といったところがビデオリサーチ”ベスト20”に顔を出す。
一方、スタジオドラマが二日もあれば一本できるのに対し、テレビ映画は一話分が五日はかかる。さらに、質的な面でも、設備にかける金が少ないし、劇場映画の二軍的なスタッフが制作するという問題点もある。
だが、「今は演出家よりもプロデューサーの時代ではないかと思います。シリーズものの場合、一人の演出家が全部を手がけることは不可能なのですから、組織を作ることが成功のための布石になる。ヒットしている番組には必ず優秀なプロデューサーがいるようです(岡田プロデューサー)」という見方もある。

テレビドラマは主題歌ブーム(読売’68年03月)

映画と流行歌は共存共栄で進んできたが、最近は映画の衰退とともに、「帰ってきたヨッパライ」「ケメ子の唄」のように、歌が先にヒットし映画が後を追うようになった。そこでテレビ・ドラマが主題歌に力を入れるようになる。・・・「銭形平次」(舟木一夫)「てなもんや三度笠」(藤田まこと、白木みのる)「待っていた用心棒」(フォー・コインズ)「素浪人月影兵庫」(北島三郎)以上、ゴールデンアワーの作品を何気なく拾ってみても、耳慣れた主題歌が浮かんでくる。

苦心する題名作り(朝日’68年3月)

「月影兵庫」をサブタイトルの成功という面から評価。
多くのテレビの連続番組についている題名ーサブタイトルーは、その回のテーマや内容を示すだけでなく、視聴率まで左右する。
題名に一番こっている例として「素浪人月影兵庫」をあげている。
40年10月に始まって以来、毎回必ず「○○は××だった」という形の題名がついている。風変わりで面白そうな題名で人目をひいた・・・それが的中したのは昨年9月の「父よあなたは弱かった」だ。それまで視聴率が20%台だったのが、これ以後、30%台を確保できるようになった。戦記物ブームに引っかけて「父よあなたは強かった」を裏返したのが新しい視聴者層を作り出せたと見て良い。
味をしめたスタッフは、引き続き「同期の桜」に引っかけて「貴様と俺とは馬鹿だった」「同期の桜が泣いていた」を放送、成功している。
ふざけすぎているという批判は内部からもあったが、「肩の凝らない面白さを出す番組だから、題名がくだけすぎることはありえないと思って踏み切ったんです。」と宮川プロデューサー。放送開始当初は「風は知っていた」式の、いわばまともな題名が多かったが、昨年5月の「お墓の底が抜けていた」あたりを転機に、なるべく常識をひっくり返した線をねらうようになった。・・・
同記事には、「飛ばない前から落ちていた」の京都西郊での山中ロケ写真があって、兵庫と半次、敵方浪人5、6人が刀を出して向き合っている。それをスタッフが指導している。

東西でちがうお好みテレビ  番組の視聴率から(読売’67年5月)

当時は、視聴率で番組の人気度を測りはじめた頃で、その視聴率から、関東、関西で異なる人気度の差を検討している。
一般的には、大阪局製作のものは関西で高く東京局製作のものは関東で高い”東高西低”または”西高東低”の形をとる。
そのなか、関東、関西ともに視聴率ベスト20にはいっていたのは、「旅路」「スタジオ102」「プロレスリング」「パーマン」「ザ・ガードマン」「銭形平次」「素浪人月影兵庫」「てなもんや三度笠」で、「月影兵庫」は、関東27.5%(14位)関西27.4%(9位)

娯楽ウィークリー ”お茶の間”スター この1年 (朝日’67年12月)

「女性路線だ、青春ものだ、いや時代劇だと、この一年もワアワアガヤガヤ、盛りだくさんに送り込まれたテレビドラマ。どんな俳優が活躍し人気を集めただろうか。」ということで、以下対話形式ですすんでいる。話題の中には、松山容子さん、佐藤慶さんなど。
A:古い俳優だが「素浪人月影兵庫」近衛十四郎が受けている
B:戦前から、殺陣のうまさは随一といわれた剣豪スターだ。テレビに返り咲いて軽妙な味で成功した。・・・
遠いところを見ている兵庫の写真が載っている。

テレビになびく”映画の都” 京都の太秦(朝日’68年2月)

邦画5社の撮影所では、本業の劇場映画より、テレビ映画作りのほうが盛んで、最後まで「テレビ映画は作らぬ」とがんばっていた大映京都撮影所もとうとう仲間入りする。・・・
10年前は年間500本の新作映画を作っていたのに比べ、当時は製作本数は半分以下。そのために生じた遊休設備や人員をテレビ映画で活用しよう、という意図で、テレビ映画作りが始まった。
一方、テレビ局もスタジオ不足で、テレビ映画を外部に発注せざるを得ない。しかも、中小プロは手を広げすぎて倒産があいついだからますます大手の撮影所への注文が増えた。・・・
「素浪人月影兵庫」「銭形平次」などの人気番組を作っているのが東映京都テレビプロ。三年前、撮影所に同居の形で発足したが、現在は時代劇専門に6本も制作中で、本家の撮影所を上まわる盛況。本家はとっくにヤクザ映画が主流になっているから、”時代劇の東映京都”とは、いまではテレビプロの代名詞になっている。

テレビ映画に”カネの壁”(朝日’68年4月)

「テレビ映画はチャチだ」と考えられている原因を検討。
テレビ映画の時代劇には捕物帳、忍者、浪人ものが多い。それは、たとえば、馬やエキストラをたくさん出す合戦シーンなどは、費用がかさむし、テレビでは迫力も出ないという理由からだ。逆に、こういう主人公なら、セットも安く仕上がるからだそうだ。
テレビ映画と劇場映画の差は、まず制作費に現れる。一方を1000万円単位とすると片方は100万円単位。
製作日数も、劇場映画では休日をはさんで少なくとも1ヶ月なのに、テレビなら1週間、早いときには3日足らずであけてしまう。
だからいったん撮影にかかるとむやみと忙しい。
撮影の仕方にも違いがある。劇場用ではできるだけ時間の順に撮影するのだが、テレビ用ではまとめて撮影するのが常識となっている。
このため、俳優の演技のやりにくさや、カットのつなぎの不自然さが多少あっても目をつぶるというわけだ。
また、1つのシーンを撮り終わらないうちに一巻分のフィルムが切れると、新しいフィルムでそのまま続きを撮っていくので、当然なんの理由もなくシーンに切れ目が入ることになる。
撮影にかかる人数も違う。劇場用では監督以下4、50人だが、テレビだと3分の1程度になる。3人の助監督が1人になり、11人いる
ライトマンが5人といった調子だ。
セットも、簡単に飾り替えられるように工夫される。監督、スター以下何人もの人間を、一時間以上も待たせておくという”ぜいたく”は許されないのだ。ただし、衣装やカツラは差がない。劇場用をそのまま流用できるからだ。
しかし、安かろう悪かろうだけではない、「テレビ映画にはテレビに固有の作劇法がある」のであって、テレビ用映画は手を抜いているのではなく、する必要がないというのが東映テレビプロ、田口所長の弁だ。

テレビで競う映画五社(毎日’68年11月)

東映テレビプロは、自らのプロダクションを”視聴率100%プロダクション”と自負している。ヒット番組の「旅ガラスくれないお仙」22、8%に「素浪人月影兵庫」24、9%「特別機動捜査隊」16、6%「キイハンター」25、5%「銭形平次」24%、「大奥」19、2%と並べると軽く100%を超えるという意味だ。・・・邦画五社の昭和43年度上期配給収入は1東映 2東宝 3日活 4大映 5松竹の順だが、テレビでも全体的にながめて東映の一位は動かないところ。視聴率では大映「ザ・ガードマン」、東映「キイハンター」、同「素浪人月影兵庫」がビッグスリー。・・

TVすぽっと 大酒飲みは”地”?(朝日’68年11月)

月影兵庫役としての近衛さん紹介文。半分は本人の地だとのこと。写真はサングラス・洋服姿の近衛さん。(ちと、こわいぞ)
まず。「あまり飲まないようにとファンレターが来るので、自重している」といいながら、毎晩ビール4本でのどを潤し、ウィスキーにかかる。
ウィスキーは「少々」だそうだが「少々」がくせもの・・・
ネコ嫌いー実は、大の動物好き。狩猟と釣りが趣味だが、今引っ越しで愛犬を知人に預けてしまってさびしがっている。
(月影兵庫当時のインタビューは、プロフィール・思い出ばなし「月影兵庫のころのインタビューその2」にもあります)

「花山大吉」が始まるとき

”月影兵庫”の続編は「素浪人花山大吉」(「テレビ茶の間ガイド」読売’68年11月)の紹介
NETテレビ「素浪人月影兵庫」は、既報のように12月21日で終了、来年1月4日からは新シリーズ「素浪人花山大吉」としてスタートすることになった。・・・最終回は、・・・(これは皆様ご存じなので略)・・・
新シリーズの第一作「世の中上には上がいた」では、兵庫と別れた半次が、ぶらりと街道をやってくるところから始まる。
ところが、兵庫そっくりの大吉に会いびっくり。・・半次とはすぐウマが合い、こんども股旅コンビを組むことになる。
・・・ピンチになるとしゃっくりが出て止まらなくなるのが特徴。・・腰にぶら下げたひょうたんの中の酒が妙薬なのだが、ピンチに限って酒がなく、半次をやきもきさせるという設定になっている。

毎日新聞(’68年11月)の紹介
NETテレビの人気番組「素浪人月影兵庫」が来年初め放送から「素浪人花山大吉」と題名を変える。
これは当初26回の予定で南條範夫氏の「月影兵庫」をテレビ映画にしたのだが、視聴率が高くなるにつれて終わるのが惜しくなり、延長に次ぐ延長で、今年で130回。原作者の南條氏も「原作がほとんど消化し尽くされ、これ以上は無理なのでやめてほしい」と再三に渡ってNETに申し入れていたという。
NETでは氏の意向を受けて、来年から新シリーズとして「素浪人花山大吉」と衣替えすることにしたのだが、文字通りの”衣替え”で出演者もスタッフも物語も全く同じ。・・・・・・視聴率が低いため題名や設定を変えることはしばしばあるが、視聴率が高いために題名を変えても設定はそのままという例は珍しい。

大活躍 殺陣師・切られ役(毎日’68年12月)

現在ゴールデンアワーに放送されているテレビ時代劇は14本にものぼるが、そのチャンバラシーンに欠かせないのが殺陣師と切られ役の存在。・・・テレビ映画の分野では「素浪人月影兵庫」「旅ガラスくれないお仙」「銭形平次」など数多い東映テレビ映画の殺陣シーンを一手に引き受けている東映剣会の面々がいる。剣会は時代劇のメッカ京都太秦の東映京都撮影所創立以来の伝統をふまえた組織。谷明憲氏ら4人の殺陣師のもとに約40人の東映俳優がいて、テレビ映画、劇映画の両方に出演している。
撮影所内に道場があって、ヒマなときはその道場で練習もするが、常時3本、4本のテレビ映画の撮影が並行して進んでいるから剣会の使い手たちは本番に次ぐ本番で腕を磨いているわけ。映画的な殺陣が巧みにカメラに収まるのも、長年の経験と呼吸がものをいっているのだろう。

テレビ映画まっさかり(毎日’69年1月)
 
いま、4月の新番組編成作業を急いでいるが、特に民放ではスタジオ制作(自社制作)のドラマを大幅に減らしていこうとする動きと、その穴を埋める国産テレビ映画の進出が目立っている。・・・・最近の視聴率調査では、テレビ映画に人気が高いのに対し、スタジオドラマはベスト20のうち「天と地」1本だけ。制作費と人手のかかる割には視聴率のとりにくいスタジオドラマを作りたがらない傾向は、今後ますます強くなりそうだ。
(そして、いかにテレビ映画制作が盛んか、京都に出張した東京のテレビ局員が、大覚寺近辺の池で自分の番組のロケ隊を探すと、撮影中の時代劇が4組もあって、見つけるのに苦労したというエピソードが載っている)
邦画五社のうち最もテレビ映画に力を入れているのが東映で、東京と京都それぞれのテレビプロ、製作所、撮影所計6カ所で現在、週に17本のテレビ映画を量産中。この中には、「特別機動捜査隊」「素浪人花山大吉」「帰ってきた用心棒」「キイハンター」「銭形平次」・・・があり、日本テレビ、TBS、フジ、NET、東京12チャンネルの、NHKを除く東京の全テレビ局の番組を作っている。・・・不振の映画界では「やがてテレビからの収入が本業を上まわるだろう」とする見方をする人もいるほど・・。

TVすぽっと 今や三枚目役に全力 (朝日’69年2月)

「素浪人花山大吉」の焼津の半次役の品川隆二さん紹介文。(これも前に出たのと同じ背広姿の写真付き)
もともとミスタ日本一に選ばれたこともあるれっきとした二枚目。マージャン、競馬の賭け事に熱中するところは半次そっくり。
「でもね、「花山ー」の撮影に追われてそんなヒマはありません。女房より近衛さんの顔見ている方が長いんですよ」。
子供からお年寄りまでファン層が厚いが、京都のある大学の教授会で話題になるほど、意外なファンもいる。
「与えられた役に全力投球するだけ」と目下この三枚目に徹している
  
作者登場 NET「素浪人花山大吉」の常連脚本家 森田新 (読売’69年5月)

「主としてNETの人気番組「素浪人花山大吉」の脚本を手がけている。前シリーズの「月影兵庫」から数えると100本あまりだ。
「なぜこのドラマが受けるのか、自分でも分からない」というが、執筆態度としては「この時間は子供から老人までテレビを見るので筋が簡単で気楽に見られ、ストレス解消になるものを」と心がけているという。
高校中退から東横映画・企画部へ。現場の撮影助手などをしてから、宣伝部で宣伝パンフレットづくりをし、助監督もつとめたが、30年頃から企画部へ移り、脚本を書き始めた。42才。
40年頃「脚本家としての基礎がしっかりなかったもんで、スランプになり、この辺で自分も転身を考えなければ」と思って、京都撮影所に移りテレビ脚本を書き始めた。テレビのデビュー作は近衛の「柳生武芸帳」
「知っていてウソを書くのはいいが、知らないでウソを書くのはプロではない」と、基礎的な資料調べはきっちりやっている。
「視聴率を気にしないで夜の9時、10時台にじっくりと取り組んだものを書いてみたい。テレビ局に少しでもそういう勇気があればいいのだが・・」というちょっぴり批判的なコメントも。

日本テレビが土曜8時にナイターの雨傘番組を決定するために行った調査(読売’69年10月)

’67年秋、’68年春秋、’69年春の4シーズンの各局の夜8時台の高視聴率番組を調べると、「竜馬が行く」「天と地と」「桃太郎侍」「銭形平次」「素浪人月影兵庫」「素浪人 花山大吉」「俺は用心棒」・・などの時代劇が、ベスト15番組に毎期5.5本も入っており、視聴率的に強いのである。・・・・
一般的に視聴者はドラマを見る場合、どんな点がよくて見るのかを人気番組について調べると、「銭形平次」「月影兵庫」「ザ・ガードマン」とも共通しているのはタレントの魅力、ドラマの人物への興味。・・・
’平次’と’兵庫’のもう一つの共通点は、気軽さ、肩のこらなさだ。

「花山大吉」に追いつくか、他チャンネル(読売’69年10月)

’69年10月からの新番組分析で土曜8時の高視聴率は相変わらず「花山大吉」(’69年1月〜)と「コント55号の世界は笑う!」(フジ)で、これに唯一食いついたのがTBSの新番組「8時だヨ!全員集合」だった。

TVすぽっと 素泊まり断られ、居候 (朝日’70年7月)

「素浪人花山大吉」でお咲役の南弘子さんの紹介文。寂しがり屋で天真らんまん。それでいてちゃっかりしたところがある。
共演の近衛十四郎や品川隆二らともすっかり打ち解け、仕事の合間に近衛の肩をもんだりしている。
撮影が京都で、その間滞在する旅館は素泊まりが多いので、代金を半分にして欲しいと交渉して断られ、友人宅に居候となった。
23才。東京・青山でナイトクラブを経営している。ぬかみそ漬けが得意で「孫を連れて縁側で日向ぼっこをするのが夢」という変わり種。

「天下太平」に出る前の佐々木剛さん〜柔道一直線(TVすぽっと 朝日’70年5月)

佐々木剛さんは、「天下太平」に出演される前から、かなりの売れっ子。「柔道一直線」の一条直也の好敵手、風祭右京役での紹介文。
ガラッパチの直也と正反対、派手な役名通り服装もブルーの7つボタンなど颯爽としている。
「ぼくは身なりはかまわないほう、ジーパン姿が多いんです。町で”右京に似てる”と子供が言うことがありますが、カッコわるくて本人と分からないのかな。」新潟の高校を出て芸能学校に学び、いま新国劇。NHKの「鞍馬天狗」などに出ている。23才。・・・

「天下太平」に出る前の佐々木剛さん〜仮面ライダー(’71当たり屋 読売’71年12月)

このインタビューでは、「へんし〜ん!」のポーズをとった佐々木さんの写真が入っている。
「仮面ライダー」(NET)は、視聴率は関東で20%以上、関東で時に30%を越す人気だ。だから、ライダー役の佐々木剛はどこへ
ロケに行っても子供達に大もて。子供達にサインしてやっていると時々おばさんが色紙を出す。「あれ?」ふりむくと「ライダーの佐々木さんも好きですが、「繭子(NHK)」のお友達の志郎さんのファンなんです」・・・「ライダーやっていてつくづく感じたのは、やはり子供には夢が必要ということ。・・・僕なりにこのライダーの人気を考えてみました。ウルトラマンみたいに大きくもならないし、空も飛べない、・・でも、人間よりも何倍も強くなったサイボーグ。”近い将来ありうることでは”という感じを子供に与える。その可能性に魅力があるんじゃないか。」と熱心に話す。「それで僕とライダーとどっちが人気があるかなんて考えて、やはりライダー自身の魅力かなと思い、でもライダーは僕なのだと考え直したり・・」

「天下太平」の始まるとき
    
テレビ覧の下(1ページの3分の2)をつかった大きな春の新番組の広告(読売’73年3月)。8番組の1つ。
帰ってきました素浪人!笑わせます泣かせます悪を斬ります三人旅!」太平とお仙の顔写真。

新聞の1ページの下半分を使った広告(読売’73年4月)の右半分(早い話が右下4分の1ページが「天下太平」用)。
「帰ってきました素浪人ー  天下太平 日本晴れ  くもらす野郎はほっとかない  ますますさえる 素浪人シリーズ第3弾!」
右やや斜め後ろに片手八双の構え、クルミを持つ左手は胸の辺りでグッと握っている。後ろに小さく、笑っている勘太とお仙。
ちなみに左半分の広告は「非常のライセンス」

「天下太平」第2話「ここは江戸から何千里」、第11話「鈴が鳴ります母恋い唄」では、上と同じ写真入りの大きな広告
(4分の1〜8分の1ページが載っていて、かなり力を入れているのが分かる。)

「天下太平」の評判は?
 
さっぱり振るわぬ新番組(毎日’73年5月)
映画の時代劇が斜陽の時に、テレビでは時代劇ブームだった。が、それにもかげりが出始めた。それも、新番組に限って。・・・
「木曾街道いそぎ旅」をはじめ「剣客商売」「若さま捕物帖」「新選組」「素浪人天下太平」やっと面目を保っている「新書太閤記」が上げられている。
この低調ぶりを「面白くないから当然の結果」とあっさり認めているのはNETの時代劇ベテランプロデューサー上月信二氏だ。
(氏は全「素浪人シリーズ」を通してのプロデューサーでもあるので、なんだか意味深だ。)
ユニークなドラマ作りが見られない。目指すのが安全路線第一では無理ですよ。」テレビ界は好況なのだから、危険を冒しても新しさを追求すべきとコメントされている。今の時代劇は意識的に局側も、安全路線をとっている。
問題は、いかにして同じパターンを避けて特徴を出すかのドラマ作りにある。そのためには、「人気があるからと同じ役者のみだりな起用を避けること。イメージが強く新鮮味がなくなるから」と同氏。

「いただき勘兵衛 旅を行く」の始まるとき

「秋の番組新編成」(読売’73年8月)での紹介。
「秋の新番組が61本登場するが、主流は相変わらずホームドラマと時代劇。それも大型化が目立つ。・・視聴率安全主義をさらに深めたように見られる。・・・・NETは13本の新作を出すが、目玉は実績にある時代劇(4本)で、ホームドラマは1本だけ。・・・
時代劇は、市川右太衛門の「旗本退屈男」のほかに「ご存知・遠山の金さん」(市川段四郎)「狼・無頼空」(村野武範)「いただき勘兵衛旅を行く」(近衛十四郎・目黒祐樹)と多彩、・・」

新聞下半ページを使った「いただき勘兵衛」の唯一の大きな広告(毎日’73年10月)
「腰の豪剣冴えてはいるが 若い二人のお目付に 得たいの知れない坊主がついて 今日も街道の日差しが暑い」の文句。
写真はさやに収めた刀を右肩にかけ右手で持ち、クルミをもった左手をふところに入れて笑っている。横にはとぼけた不審顔の仙太。
二人は同じ方向を見ている。二人の後ろでお紺がこちらを向いて笑っている。一番手前に貧乏神が小さく写っている。

テレビ覧の下全部を使ったNETの広告(読売’73年9月新聞)は、でっかい市川右太衛門さんの旗本退屈男の写真に、8つの新番組のタイトル。うち1つが「いただき・・」「近衛十四郎・目黒祐樹の親子共演とござい! お供は話題の江夏夕子で世直し道中ほいのほい」文章だけ。写真はなし。

気楽な見物「いただき勘兵衛旅を行く」(読売’73年10月)

「いただき勘兵衛」の”いただき”の真意は「視聴率をいただき」だとか。タイトルがタイトルならば、内容もいい加減ふざけている。
こうまで居直られるとなにおかいわんやである。今回のシリーズは、これまでの”素浪人シリーズ”の近衛十四郎が、素浪人の足を洗って体制派、徳川幕府の巡察使になったところがミソ。だが、キャラクターは前シリーズと同じだ。近衛勘兵衛の老いが目だってセリフなどさえない。
唯一褒められているのは殺陣で、「老いはまるでなく、さすがみごとな剣さばきだ。」
載っている写真も、八双の構えの勘兵衛。
     
いただき勘兵衛の評判は?新番組泣き笑い(毎日’73年10月)

絶対人気の「ありがとう」に歌手を総動員した「木曜リクエスト」、時代劇の「いただき勘兵衛旅を行く」が挑戦したが、あえなくダウン




参考文献
朝日、毎日、読売 京都(京さま) 各新聞
夜廻りのとしぞうさま運営の「結束信二の世界」
掲示板より・ZAPOさま、まもるさま、岡野さま、高蘭さま、三四郎さま、相談屋さま (一部、既にプロフィール「思い出ばなし」に載せています)
HN・焼津の半次さま、ろくりんさま、春日太一さま、国府 治三郎さまの会話    





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