映画のお話

このちゃん映画のあらすじや解説などです


目次
「赤穂浪士(創立十周年記念)」 「江戸の朝風」 「江戸遊民伝」  「大空の遺書」  「隠密三国志」
「大岡政談 双龍一殺劍」
「怪談 お岩の亡霊」 「巌流島前夜」 「祇園の暗殺者」 「きさらぎ無双剣」 「北時雨恋の旅笠」
「雲の剣風の剣」 「鞍馬八天狗」 「元禄名槍伝 豪快一代男」 「豪快千両槍」 「獄門坂の決斗」
「近藤勇 池田屋騒動」
「座頭市 血煙り街道」 「三匹の浪人」 「七変化狸御殿」 「十七人の忍者」 「十兵衛暗殺剣」
「修羅桜」 「次郎長血笑記 富士見峠の対決」 「城取り」 「砂絵呪縛」 「素浪人百万石」
「勢揃い関八州」 「続・次郎長三国志」 「千姫と秀頼」
「大忠臣蔵」 「大盗小盗」 「伊達男罷り通る 妙法院勘八」 「伊達姿 元禄頭巾」 「誓ひの乳母車」
「血と砂の決斗」 「地平線
「中仙道のつむじ風」 「日本やくざ伝 総長への道」 「忍者狩り」
「博徒対テキ屋」 「疾風蜥蜴鞘」 「百萬石加賀の若殿」 「風雲日月双紙」 「博徒一代 血祭り不動」
「水戸黄門 天下の大騒動」 「無法者の虎」 「主水之介三番勝負」
「柳生旅日記 天地夢想剣」
「同 竜虎活殺剣」
「柳生武芸帳」 「柳生武芸帳 片目の十兵衛」 「柳生武芸帳 片目の忍者」 「柳生武芸帳 剣豪乱れ雲」
「柳生武芸帳 独眼一刀流」 「遊侠の剣客 つくば太鼓」 「幽霊島の掟」 「酔いどれ牡丹」
「りんどう鴉」 「浪人街」 「浪人市場 朝焼け天狗」 「落花剣光録」





「伊達姿 元禄頭巾」(1935年12月・大都)
          「1936Daitoeiga」より(大都映画宣伝部 S12・5・3発行 国会図書館thanks 中村半次郎さま

原作脚色:内海義人 監督:白井戦太郎 撮影:永貞二郎
共演:海江田譲二、三条輝子、東龍子、久野あかね、雲井三郎、浮田勝三郎、伊丹慶治、久松玉城

<あらすじ>(判読が難しい箇所がありました、ご了承くださいませ)

赤穂浪士討入の噂もいつとはなく尽きて、人心再び泰平の夢に酔う頃、?州侯御留守居役黒田伊織の邸において腰元お品の怪死有り快男子坂?塔十郎?然立って快刀嵐麻謎をとく。





「大岡政談 双龍一殺劍」(1936年1月・大都)
          「1936Daitoeiga」より(大都映画宣伝部 S12・5・3発行 国会図書館thanks 中村半次郎さま

原作脚色:若杉伴作 監督:白井戰太郎 撮影:永貞二郎
共演:海江田譲二、藤間林太郎、東龍子、久野あかね、東條猛、谷定子、浮田勝三郎、横山文彦

<あらすじ>(判読が難しい箇所がありました、ご了承くださいませ)

酒井雅樂の行列を乱した科により鞭打たれた?澤は、育ての?おきん婆の秘蔵している将軍吉宗の墨付を持ち、将軍落胤天一坊と名乗り山内伊賀亮とともに品川八ツ山御?に乗り込んだ。





「疾風蜥蜴鞘 中・後」(1936年1月・大都)
          「1936Daitoeiga」より(大都映画宣伝部 S12・5・3発行 国会図書館thanks 中村半次郎さま

原作:若杉伴作 脚色:浮?伸八 監督:白井戰太郎 撮影:金森利之
共演:三条輝子、水島道太郎、大河百々代、遠山龍之介、桂木輝夫、橘喜久子、伊達慶治、雲井三郎

<あらすじ>(判読が難しい箇所がありました、ご了承くださいませ)

前編は昭和十年末封切り済み、銭五島財?の??画を巡って怪人物とかげ鞘、黒??平次、隠密石子源内、お幸、千?の?女あり千変萬化謎から謎へ波瀾万丈全3篇の物語。





「百萬石加賀の若殿」 (1936年2月・大都)
        (「1936Daitoeiga」より(大都映画宣伝部 S12・5・3発行 国会図書館thanks 中村半次郎さま

原作脚色:小狸一平 監督:中島寶三 撮影:松井鴻
共演:藤間林太郎、大岡怪童、東龍子、久野あかね、森野洋子、浮田勝三郎、大曾根猛、大瀬慶二郎

<あらすじ>(判読が難しい箇所がありました、ご了承くださいませ)
加賀宰相綱紀残しその後?問題はついにお家騒動とまで悪化したが、妾腹吉徳君に後嗣をゆずって、敢然悪を懲し自らは独立独歩の彼岸に棹さしてゆくのであった。





「北時雨恋の旅笠」(1936年3月・大都)
          「1936Daitoeiga」より(大都映画宣伝部 S12・5・3発行 国会図書館thanks 中村半次郎さま
原作脚色:山田泉 監督:大伴龍三 撮影:金森利之
共演:水島道太郎、三条輝子、東龍子、松村光夫、横山文彦、浮田勝三郎、山吹徳二郎、秋田道代

<あらすじ>
(判読が難しい箇所がありました、ご了承くださいませ)
庄やの息子佐吉はお時という女に溺れて次第に身を持ち崩していく。友達の伊佐の忠告もきかず共に?に出たがお時は実は大悪人、それから年月がたって女に捨てられ今はやくざになった佐吉が故郷に現れた。





「地平線」(1939年10月・大都)

原作:大宅壮一 脚色:村山知義 演出:吉村操、白井戰太郎 カメラ:永貞二郎、松井鴻
共演:藤間林太郎、大河百々代、水島道太郎、久松玉城

<あらすじ>
(古い映画ですので、広告スチールも合わせてご覧下さいませ。)

蒙古の国境近くを、遺跡調査のためにらくだに揺られながら旅する田所慎一・陽子親子に甥の弘一(慎一の弟の息子)とガイドの現地人親子。
風の吹き荒れる夜、設営されたテントの中で、陽子は父に、砂漠で亡くなった母の話を弘一といっしょに聞くのだった。

(回想シーン。十四郎さまのハルマ王が出てきますが、セリフはありません。)
慎一の妻は結婚当初から慎一といっしょに考古学の研究の旅をしていた。
田所夫妻は、平和なハルマ王の集落(?)で一時落ち着き、蒙古の人々のために学校を開き、日本語や勉強を教えた。
ハルマ王の王子は、特に語学に才能があり、日本語を覚えるのが早かった。
しかし、田所の妻は長年の無理がたたったのか、陽子を産んでからその地で亡くなってしまった。
その後、ハルマ王のもとを離れた慎一は、ハルマ王が外蒙軍の襲撃にあい、殺され、王子も行方知れずとなってしまったと聞いたのだった・・・。

日本の兵士(内蒙軍)に会い、外蒙軍が近くにいるから注意して旅をするようにと慎一たちは言われる。
ある日、ガイドの息子が、葉巻の吸い殻を見つける。それは、先ほど吸い終わって捨てたようなものであった。
そして自動車の轍も見つけた。
それらしき自動車が止まっているのを彼方に見つけ、双眼鏡で見てみると、そこにはハルマ王によく似た外蒙軍の若い兵士がいた。
慎一は、ハルマ王の行方知れずの王子に間違いないと思うのだった。
王子らしき兵士は、慎一たちのほうをじっと見ていたが、もう一人の兵士に無理に車に乗せられ、車は立ち去った。
その車が故障したのか、修理して立ち去るところをまた見つけ、弘一はあとを追いかけた。
車からは弘一に向かってピストルが発射され、弘一は撃たれて(?)気を失ってしまった。
その弘一を誰かが連れ去った。

一方、車を追いかけて戻ってこない弘一を、慎一・陽子は心配した。ガイドの息子が捜しに行くがみつからず、手がかりもつかめなかった。
慎一親子は寺院のある大きな町で、弘一の消息を尋ねるが、行方が全然分からなかった。

弘一は遊牧民の人々に助けられ、娘が介抱していた。

一方、外蒙軍の兵士たちの様子をうかがう王子らしき兵士。
兵士は脱走し、それを追いかける外蒙軍の兵士たち。
兵士は内蒙軍の陣営にきて、自分はハルマ王の息子と名乗る。
父のハルマ王は外蒙軍に殺され、自分は外蒙軍に連れ去られてしまったと言うのだった。
内蒙軍の隊長は王子が日本語がうまいので驚くが、王子は子どもの頃、田所慎一に日本語を習い、田所先生が近くに来ていることを知り、是非会いたいと言うのだった。

外蒙軍の動きが怪しいので、国境付近を偵察するため偵察機が飛び立った。
偵察機は弘一のいる集落の近くまで飛んできて、その音に気づいた弘一は持っていた日の丸の旗を振りつづけた。
日の丸に気づいた偵察機は着陸し、弘一に会う。
弘一は事情を話し、いっしょに偵察機に乗せてくれと頼むが、弘一を介抱している娘は、まだ傷が癒えないのに飛行機に乗るのは無理だと押しとどめた。
偵察機の兵士も弘一にここにいるほうが良いとすすめ、田所先生に連絡する旨約束して別れた。

外蒙軍はついに越境し攻めてきたが、見事、内蒙軍の働きで、外蒙軍を追い払ったのだった。

砂漠の中を行く田所親子、その中にはハルマ王子も一緒にいた。
皆で楽しい会話をし、王子は蒙古の人々の役に立てるようになりたいと抱負を述べた。
やがて着いた集落では、傷の癒えた弘一の明るい笑顔が待っていた。 (中村半次郎さま 2007年3月30日)


<感想>


戦前の現代劇の十四郎さまを見られる折角の機会、やはりなんとしてでも行かねばと思いました。
ときどき画面が暗くなるものの映像はきれいでした。
オープニング、「大都映画」の文字が一文字ずつライトに照らされる感じで表示されます。
藤間林太郎さん、大河百々代さん、水島道太郎さんと十四郎さま、4人のお名前がいっしょに出ました。
十四郎さまは「ハルマ王 王子」になっていました。親子を一人二役です。でも、ハルマ王のときは台詞なし。
外蒙軍を脱走して、内蒙軍のところにきた十四郎さまのお顔はなんとデビュー当時の祐樹の顔でした。ステキィ〜〜!!!
映画はなんとなく、ゆったりテンポ。ストーリーと言われても、どう話してよいものやら・・・・。
越境してきた外蒙軍を内蒙軍の働きで駆逐するシーンで、「ああ、やはりある程度は国策映画にせぜるを得なかったんだ。」と思いました。
音楽にドホルザークの「新世界より」(記憶に間違えなければ・・・。音楽を聴いてもタイトルが思い出せなくて。)を使い、飛行機も使い、2ヵ月も満蒙にロケして、大都映画はずいぶん力を入れた映画だったのでしょう。
藤間林太郎さんは藤田さんよりいい男、声もです。でも、台詞はちょっと棒読みっぽい。(中村半次郎さま 京橋フィルムセンターでの上映で。 2007年3月21日)


(掲示板での、鳥居龍蔵の出身地・徳島で鳥居をモデル〜映画では田所博士〜にした「地平線」が上映されるという南まさとさまのお話で)
「昭和映画史ノート」(内藤誠映画監督著)の「第2章 幻の大都映画とハヤフサヒデト伝説」が、「地平線」についてちょっと触れています。そこには『藤間林太郎演ずる考古学者・鳥居龍蔵博士の記録』と書いてあります。私が鳥居龍蔵を知らなかったものですから、まったくのフィクションかと思っていました。見る人が見れば、田所博士が鳥居博士とわかるのでしょう。
ちなみに原作の大宅壮一はロケに参加したらしく『戦雲下の蒙古草原』と題する文章を書いていると、内藤監督は一部、引用紹介してくれています。(「大宅壮一全集 第17巻」(蒼洋社 1982年)所収)
大宅壮一の本を借りられました。「ぼくのストーリーでは、越境してきた外蒙軍を撃退する戦闘をバックに、いろいろな劇的シーンが展開されるのである、撮影はまずこの戦闘の場面から開始された。」とありまして、「へぇ〜、ラストのほうの戦闘シーンが最初だったんだぁ。」とわかり、チョイ嬉しかったです。(中村半次郎さま2010年2月16〜17日)





「誓ひの乳母車」(1939年・大都)・・この映画にはこのちゃんは出演されていません(が、水川八重子さんが出演されてます)。

監督脚本:中島宝三 撮影:廣川朝次郎
出演:藤間林太郎 雲井三郎 チンピラ大将 松村光夫 久松玉城 水川八重子 植松藤兵ヱ 市川幅十郎 林六三郎 大谷傳次郎  (東京国立近代美術館フィルムセンター・NFCのパンフより引用)

<あらすじ>


亡くなった戦友の父に乳母車を贈った兵士の話です。

ノーベル書房の「懐かしの大都映画」P.64の上段に写真と説明があります。
『微笑ましき戦友愛の時局を展望、映画の深みを教えてくれる銃後の赤誠を涙ぐましきばかりに描いた良心的作品、満天下のファンが紅涙を絞った問題の名篇』とあります。
写真はラストのシーンなのですが、映画ではこれと同じ構図のカットはなかったです。

写真は左から 八重子さま・すまこ、雲井さん・イシゲ、松村さん・利郎の父、乳母車に乗った子ども、チンピラ大将・利郎の子 が写っています。
P.187には『進級の伍長が戦友の老父に乳母車を寄贈するまでの事実軍事哀話美談』の説明に藤間さん(左)と雲井さんの写真があります。

「大空の遺書」と同じく、シーンを追って書いていきます。


のどかな田園風景が映し出され、出征の浪曲が流れる。

神社。
大野利郎(藤間林太郎)が「尽忠報国」の襷をかけ、村民たちが集まっている。
利郎の父マサキチ(松村光夫)がふたりの孫の面倒は見るから「鉄砲玉で死んでも病気で死ぬな。」と励ます。
マサキチの背には赤ん坊、そばに3才の子ども(チンピラ大将)がいる。
そこへ、自動車が止まり、医者が降りてきて利郎に「奥さんが今朝自殺した。」と告げる。
医者は「奥さんはどうせ全快が覚束ないなら、ご主人の心残りになってはといけないと。」と言って、奥さんが自分の血で描いた日の丸のハンカチを渡す。

大野は村民たちの見送りを受けて、出征の行進をする。

戦闘シーン。

村の農道。号外が村民に配られ、村民たちが「上海上陸」云々と話す。

着物姿の女性・すまこ(八重子さま)が利郎の子の赤ん坊を抱いている。
村民に「今日はおじいさんのお手伝いにきました。」と話す。

マサキチの家。夕食の支度をするすまこ。
居間で給仕し、「今夜、役場で戦闘ニュースを上映するから、皆で見に行きましょう。」

マサキチから赤ん坊を受け取り、「綺麗な月」と縁側で月を眺める。

満月。

その満月を利郎と戦友・イシゲ(雲井三郎)が見ている。
その瞬間、戦闘が始まる。

映画が終わり、役場から出てくる人々。マサキチ、すまこ、子どももいる。
村人が「兵隊さんもがんばっている。」などと話す。(BGM・・・・「兵隊さんよありがとう」)

戦闘の合間の休憩。
イシゲが利郎のところへ来る。
利郎「実は今朝手紙が届いたのだが、まだ読んでいないのだ。」と言って、中に入っていた父と子どもの写真を見せる。
手紙はすまこが代筆して利郎に宛てたもの。
『病院の院長先生が、わざわざ写真を撮ってくださいました。私は奥様の最後まで一緒だった看護婦です。』
イシゲのタバコがないのを察して、自分のタバコを出す利郎。しかし、それも1本しかない。
イシゲは遠慮するが、結局1本を二つに分けて吸う。
利郎は自分の妻は死に、父親が2人の子どもの面倒を見ていることをイシゲに話し、銃剣に付けている妻の血染めの日の丸を見せる。

夜の戦闘。
突進しようとして砲撃に遭い、倒れる利郎とイシゲ。
何度も「万歳」を叫び、息絶える利郎。
妻の血染めの日の丸がかけられた利郎の顔。
負傷したイシゲは胸のポケットから拾円札を出して、隊長に「大野の家に送ってくれ」と頼む。
担架で運ばれていく。

大野の子どもが棒で、庭の木から柿を落としていく。
それを見て、マサキチが叱ると子どもは「お父ちゃんは柿が好きだったから、送ってやるんだ。昨日おとうちゃんの夢を見た。」と言う。
そこへ役場の人が来たので、家の中に招くマサキチ。

部屋の中で呆然とするマサキチ。
子どもに「お父ちゃんは白木の箱で帰ってくる。」と告げる。
すまこが来て、途中で役場の人と会い、利郎の戦死を聞いたと言って泣く。
すまこは子どもに「これからはわたしがおとうさん、おかあさんになってあげますよ。」と言う。

列車の中。傷病兵のイシゲに席を譲る男性。
「護れ、傷われ傷痍の兵士」の標語が壁にあって、大きく映る。

イシゲに付き添い散歩する白い看護服姿のすまこ。
左側の道から、乳母車を押すマサキチと子どもを見つける。
マサキチたちにこのイシゲさんが乳母車を贈ってくれた方ですと紹介する。
イシゲが子どもに話しかけ、大きくなって立派な兵隊になりなさい云々のことを言う。

次に「お父さんはきっと・・・」まで言うと、マサキチが「子どもに嘘をついちゃいけない。正直に育てるんだ。」と言葉をさえぎる。
(すみません。ここが意味不明。理解できませんでした。)

利郎の墓。伍長とイシゲは言っていたが戦死で昇級したのか墓には「陸軍軍曹」と書かれている。
その横は奥さんの墓のよう。
墓の前に皆が集まる。父親の墓に向かって、子どもが何回も万歳を三唱する。


<感想>

途中、ときどき音声が途切れるので、「乳母車を贈る」とはっきりした約束の場面がわからないのです。
で、私も1度目に見たとき、いったいいつ約束したのかが「???」でわからなかったのです。

今の私たちから見るとどうしても国策映画臭を感じてしまいますが、それは致し方のないところ。
ふっくらとしたお顔の八重子さまを見ると、つくづく弘樹は八重子さま似と思いました。

あらすじ、感想とも。中村半次郎さま NFCでの上映で。 2008年5月16日)





「隠密三国志・後篇」
(1940年4月・大都)


監督:前篇・大伴龍三監督’40年2月)後篇・佐伯幸三監督 脚本:若杉伴作 撮影:西村金太郎・藤井康
主演:大乗寺八郎・近衛十四郎 共演:水川八重子・城木すみれ・久野あかね                 

<映像と補足>
映像は、北海道古典映画研究会会長の、早川賢明さまよりいだたきました。
年代物の映画のため、音声・画質とも良い状態ではありません。補足は、
間違っている可能性が大いにあります
(間違ってたらごめんね〜)
なお、この映像は画面からデジカメに撮ったので、元画像よりさらに乱れがありますが、何とぞご容赦くださりませ!!(ごめんね〜)
お話を把握していただくために、ポスター広告もあわせてご覧いただくことをお勧めいたします。

(映像:オープニング
明和2年、阿波蜂須賀家二十五万石を脅かす秘文書を手に入れた江戸の隠密・浅香新十郎らは、大阪で、蜂須賀家よりさし向けられた虚無僧姿の佐十郎らに狙われ、命を落とし、連れのおつ夜(久野あかね)に、秘文書が託される。
↓(写真をクリックすると、拡大されます)

(映像:辰馬登場

”えこう院のおり恵 (水川八重子)”が、見世物小屋から逃げ出してきた少年・甚太郎を救おうとしているところに、浅香新十郎の弟・辰馬(近衛十四郎)が来て、おり恵と甚太郎を助ける。
(3人はすでに顔見知り?)

3人の前に、大阪への道案内人・甚兵衛が現れる。

(映像:旅@
辰馬は、兄に代わり秘文書を江戸に持ち替える使命を果たすため、甚兵衛、おり恵、甚太郎と共に、大阪へ向かう。

佐十郎の手下は、新十郎の許嫁・月江(城木すみれ)を人質に取る。

旅の空、辰馬とおりえは、互いに気があるのに、口を利くと、憎まれ口ばかり。
おり恵が足を痛め、甚兵衛は「一緒に行きましょうや」となだめるが「かごに乗ってでもくる」と取り合わない辰馬。
「かごなんて乗るもんか」と言い返しながら、足の痛いのには勝てずかごに乗るおり恵。万事がこんな調子で旅は進む。

(映像:宿

離ればなれになった姉を捜している甚太郎は、宿で、姉が恋しいと泣く。
辰馬は、おり恵のことをもてあまし気味だが、甚兵衛には2人が好きあっていることが明らか。
いっぽう、阿波からさし向けられた佐十郎らは、辰馬らを狙っている。

(映像:旅A
ここより先は、鼻噛み事件のため、辰馬の声はこのちゃんでない
月江のように人質に取られたら助けてくれるかと、辰馬を困らせるおり恵。
翌日もこんな風に旅は始まる。
が、途中、秘文書を取り戻そうと、新十郎の恋人・月江を人質にする佐十郎らが辰馬らを襲う。
月江は無事に取り戻すが、その際、おり恵が斬られ、甚太郎のことを頼みつつ、息絶える。

(映像:大阪

おつ夜が、秘文書を手に大阪で辰馬を待っているところに、阿波で父親を捜したいという額太郎(大乗寺八郎)がやってくる。
が、おつ夜は額太郎を阿波へ渡らせることはできないと断る。

辰馬らは無事大阪で、おつ夜に会うが、そこで佐十郎らと争った上、秘文書は、額太郎のもとに。
額太郎は佐十郎らに追われ、阿波の城へ連れて行かれる。

おつ夜は、甚太郎が落としたものから、甚太郎が探していた弟だと確信する。

(映像:阿波潜入
おつやも、弟・甚太郎を追い、阿波へ行く決意をする。
辰馬は阿波で家来に化けて城に潜入し、蜂須賀家の殿の目に秘文書がとまる前に、一旦秘文書を取り戻すが、甚太郎を人質に取ら、土牢に閉じこめられる。
その土牢には、阿波に潜入し、秘文書を完成したが帰国間際にとらえられた老人が幽閉されていた。

(映像:土牢

土牢で、老人は、もはやあの複雑怪奇な秘文帖を再び書くことはできない、あの秘文帖を手に戻すことが願いだと、辰馬に語る。
秘文帖が無事戻った蜂須賀家は、もはや用のないこの二人を消そうと土牢へ向かうが、土牢の老人が気に掛かる額太郎は、そっと後をつけ、
(月江、おつ夜、甚兵衛も、助け出された甚太郎と共に侍の一群をつけている)その老人が探していた父親であることを見出す。

(映像:ラスト

土牢から助け出された辰馬は、佐十郎らと戦い、月江の協力で秘文書を取り戻す。
佐十郎は、もはやかなわぬと見て、切腹し、最後の頼みとして「秘文書をなるべく穏便に計らってくれ」と頼む。
もはや老人も、土牢から出て秘文書を取り戻したいと言う気持ちはなくなっていた。
「立場は違うが国を思う心はひとつ、秘文書にはもう未練はない」と、辰馬に託す。
月江やおつ夜らも。
考えた末、辰馬は渦に秘文書をなげこみ、それを見届けた佐十郎は息絶える。

額太郎と老人、おつ夜と甚太郎、辰馬、月江は、無事阿波を去る。


<見どころ>

お若いこのちゃんの素浪人姿は、今残っている映画では、一番古い素浪人姿ではないでしょうか。
その姿で、なにかと辰馬に逆らい、ポンポン言いかえす水川さん扮するおり恵、それをからかう辰馬が、旅の空を歩く・・どことなく旦那と半次を思わせるような雰囲気が嬉しい。しかもその相棒が、のちに奥さまとなられる水川さん!
ところどころで、「あ、この表情!」と思うところがある。たとえば、あごを引いてグッと睨む表情や、目の伏せ方、まばたきの仕方、歩く時の裾捌き、この頃から同じだ〜!
まだお若いので重厚さには欠けるが、その代わり、身のこなしはすばやく、なにより大都の頃のこのちゃんは、”楽しくってしょうがない!”気持ちで映画に臨まれてるような印象を受ける。殺陣にはまだ、そんなにその後の特徴が現れてないような気がするが、それでも、昔のチャンバラはいいねっ!


<テレビ放送>

かなり古いことなので番組名は忘れてしまいましたが、今から三十年ほど前に、神奈川県のローカルテレビ局「テレビ神奈川」から放送されていた、戦前の時代劇ばかりを放映する番組で、大都映画時代の近衛十四郎の代表作「隠密三国志」が全編放映されたことがあります。
残念ながら、当時の我が家ではローカル局を見ることが出来なかったため、この番組自体は未見のままなのですが、放送当日の、新聞のテレビ、ラジオ欄に載っていた番組紹介記事の記憶をたどると、作品放映と同時に、番組案内役と近衛十四郎夫妻との間で大都映画時代の色々なエピソードも語られたはずです。
私が知る限り、この番組が、大都映画をテレビの電波にのせた唯一の例だと思いますが、この番組自体は、もともと関西で制作、放映されていたものではないかという気がします。(三四郎さま)







「大空の遺書」(1941年9月・大都)

監督:益田晴夫 原作:間瀬一惠 脚色:鈴木重三郎・武蔵賛平 撮影:富澤恒夫
主演:近衛十四郎 共演:琴糸路 黒須光彦 橘喜久子 香取栄二 佐久間妙子 板垣伊久雄

(東京国立近代美術館フィルムセンター・NFCのパンフより引用・・・映画広告とは撮影、共演者に異なる部分がある)

<あらすじ>


廊下から海軍の友人が部屋に入ってくると、窓辺の机に間瀬がおり、タバコを吸い始める。
友人は間瀬に見合い写真を見せるが、間瀬は「折角だが、結婚相手は母に任せてある。最近母の気に入った娘が見つかったようだ」
そこへ飛行訓練が終わった友人が来るが、その友人に「お前は転勤だ。」と告げ、タバコを渡し、3人で吸って談笑。

結婚式が終わった後の酒盛りもそろそろお開き状態で、客が間瀬の母に挨拶しながら帰っていく。

朝(?もしくは日中) 黒の軍服姿で歩く間瀬。2〜3mあとを付いてくる花嫁姿の一恵(琴糸路さん)
間瀬は一恵を振り向きもせず、もくもくと歩いていく。
神社の鳥居。その前に20〜30段の階段。
階段の下で拝礼する間瀬と一恵。
(拝礼のしぐさが美しい。)
間瀬が一恵に「この身は帝國海軍に捧げている。軍人の妻として覚悟・心得を持つように。」云々の話をする。

大学の講義を受け、熱心にノートを取る間瀬(白の軍服)。
教授は浮力や軍艦の排水量などについて講義。

間瀬の家で、海軍の友人2人と一恵が間瀬の帰りを待っている。
座卓には食事、ビールの準備ができている。
間瀬が帰ってきて、軍服の帯剣をはずし、ボタンをはずしながら、すわる。
間瀬「なんだ、この暑いのにすき焼きか?」
友人「肉が食いたいって言ったんだ。」そして結婚祝いを渡す。
ビールの栓を抜き、友人に注ぐ間瀬。友人が「転勤の間際まで、大学の講義を受けるとは。」と感心する。

三機の飛行機が訓練飛行している。
地上で、それを見ている上官が「間瀬、○○、杉村の三羽ガラスか。」と部下と話している。
飛行機が着陸して、間瀬が降りてくる。
他の二機の2人も降りて3人揃うが、間瀬が転勤なので送別会で飲もうと話す。

郷里の駅。間瀬の母と赤ん坊を抱いた一恵が降りてくる。
出迎えに来た人は「間瀬はどうしたのか」と聞くと、一恵は間瀬の友人が事故死して葬式などの後片付けに行ったと答える。

亡くなった友人の子どもにおもちゃを買う間瀬。
しばらく歩くと友人の未亡人が来て、挨拶をする。間瀬は別れてバスに乗る。
(未亡人が八重子さま?ちょっといつもよりほっそりしたお顔立ち。)

家の玄関から間瀬の海軍帽をかぶり、間瀬の白い靴を履いて出てくる子ども。
「だいちゃん、いけません。」と追って出てくる一恵。
「いいんだ。」と言いながら、頭に子どもの水兵帽(?)をのせ、白い海軍服の間瀬が出てくる。
子どもを抱き上げ、子どもの足から脱げた靴と自分の靴を履き替え、帽子を取り替える。

ポケットから小さい靴べらを出して、きちんと靴を履く。
カバンを持った一恵、子どもが間瀬の出勤を途中まで送ってくる。
左側に間瀬、子ども、右に一恵。
子どもと手をつなぎ、歌う間瀬。
「♪おおはね きらきら 光らせて (この部分忘れました) ぐるっとまわって またあがる 日本晴れだよ 青い空♪」
後ろから上官が来て、朝の挨拶。
子どもが「失敬」と敬礼するのに、応える間瀬。
別れてからも振り返って手を振る。

夜、膝に子どもを乗せ、家でくつろぐ間瀬。ラジオのニュースが盧溝橋の事件を伝える。


間瀬は一恵に写真を撮影しようと言う。

写真店で写真に納まる3人。左に座った間瀬、子ども、そして右に立った一恵。
プリントを急ぐように頼む。

家。庭で植木の手入れをする和服姿の間瀬。
そばで子どもがおもちゃの飛行機で遊んでいる。

軍から使いが来て、出動を伝える。
間瀬は軍服に着替え、机の上の母親の写真に向かって挨拶する。

子どもは庭で1人で遊んでいるうち、飛行機を落として壊してしまう。
そこへ、出動する間瀬がきて、壊れた飛行機を直してやる。

玄関へ出て、見送りする一恵と子ども。
間瀬は、子どもに向かって「飛行機は調子悪いなぁ」と言いながら、ポケットから財布を出し、一恵に「新しいのを買ってやりなさい」と言う。
出かけるのに子どもと何回も「失敬」と言って敬礼し、歩きながら、帽子を振り去って行く。

海軍飛行機の通信室。
(このシーンがいまひとつわかりませんでした。安否を気遣っていた飛行機ー間瀬?−が無事だったらしい。)


家に写真店から写真が届く。
一恵は子どもに「写真をお父さんに届けに行って、おもちゃを買いましょう。」

軍の営門の手前まで来て、一恵は飛行服の集団が門内を横切って行くのを見て、足を止める。
間瀬のアップ。(微笑む顔が素敵です。)一恵のアップ。
何も言わず、見つめ合う間瀬と一恵。

任務出発前の休憩中に、仲間に子どもの写真を見せる間瀬。
その写真を見て「お前に似て・・・」と評する仲間。
時刻になり、間瀬は任務に出発していく。

葬式。「海行かば」が流れる。地元の学生・女学生が参列。郷土の誇りと訓示する先生。


村長たち(?)が、一恵に小学校の先生として働いて欲しいと勧めに来る。
それを受ける一恵。

広い校庭の真ん中でオルガンを弾く一恵。
そのオルガンを囲んで女子たちが歌いながら踊る。
「♪おおはね きらきら 光らせて〜〜。♪」(2番まで歌う)
そこへ、間瀬の遺品を引き取りに来て欲しいと海軍の人間が来る。

海軍の一室。遺品の靴などを受け取る。
間瀬の最後は立派で支那兵も遺骨をきちんと埋葬していたと伝える上官。

外へ出ると飛行機の大編隊が空を飛んでいく。
それを見上げる一恵。

ラスト「間瀬は生きている わが海鷲の上に 厳として 生きている」の文字が表れる。
以上。

<見どころ>


間瀬さんが結婚して子どもも生まれ、幸せな家庭を営むものの、任務中飛行機の墜落で戦死するまでを淡々と描いています。

感想としては、十四郎さまが「マイホームパパ」、とても子煩悩の父親を演じたなんて信じられません。でも、それがおかしくないんですよね。自然なんです。「普段着の十四郎ちゃん」って感じです。
弘樹と祐樹が「怖かった」というのが嘘のよう。
最初のほうの神社と、最後の一恵とみつめあうお顔が素敵でした。
あらすじ、感想とも。中村半次郎さま NFCでの上映で。 2008年5月15日)





「七変化狸御殿」(1954年12月・松竹)
監督:大曾根辰夫 脚本:柳川真一、中田竜雄、森田竜男 
出演:美空ひばり、伴淳三郎、近衛十四郎、堺駿二、高田浩吉    
日本映画データベースさまより)

<感想>


バカバカしいけど、楽しめました。それぞれの方が保ち芸をやるところがとても面白かった。
近衛さんは次郎長だか国定忠治だかよくわかりませんでしたが(笑)、剣を一閃させて雑魚どもをズンバラリンとまとめて片付けるとこなんざ、さすがですな。(右京大作さま)






「近藤勇 池田屋騒動」(1953年4月・新東宝)

監督池田菁穂 脚本:井手雅人
出演:嵐寛寿郎、進藤英太郎、阿部九州男、徳大寺伸、近衛十四郎

<コメント>


憂国の志士の集まりには幹部の脇に座って台詞も他の人よりはあるけど、役名はわかりませんでした。小間物屋に化けて芹沢鴨の暗殺を画策するけどご存知
の通りそれは実行されませんでした。池田屋ではいるようないないような、あ、多分これかなと思うのは廊下で隊士を切る志士が一人。きっと彼でしょう。
で、最後には斬られたはずなんだけどそれは私には確認できませんでした。(KAYさま)





「伊達男罷り通る 妙法院勘八」(1955年4月・松竹)

監督:芦原正 脚本:飯岡謙之助 
出演:北上弥太郎、紙京子、若杉英二、近衛十四郎    
日本映画データベースさまより)

<資料」


プロフィール「本で会う 時代映画S30年6月号No2」を御覧ください。






「風雲日月双紙」(1955年5月・松竹)

監督:酒井辰雄 脚本:森田竜男 
出演:近衛十四郎、大友友右衛門、浅茅しのぶ、幾野道子    
日本映画データベースさまより)

<資料」


プロフィール「本で会う 時代映画S31年2月号No9」を御覧ください。






「元禄名槍伝 豪快一代男」(1955年6月・松竹)

監督:芦原正 脚本:小川正 
出演:近衛十四郎、由美あずさ、草間百合子、香川良介    
日本映画データベースさまより)

<感想>


戦中の昭和十七年二月に公開された、大都映画の最後をもかざった『決戦般若坂』以来、十三年ぶりとなる主演作。
近衛は昭和二十八年に正式に映画界への復帰を果たしたたのち、ポスターに名も載らない端役にちかいところからの出直しを余儀なくされた。そして松竹の専属となった当初は、主に高田浩吉相手の敵役を努めた。それが主役を張るとは、やはり彼の剣技以外考えられない。
かつて近衛が活躍した大都映画は、いまでは三流会社だったというレッテルがはられている。だが、ほとんどの作品が六十分前後という短い時間内で義理人情、恋、チャンバラが手際よく処理され話もわかりやすかったため、剣戟映画ファンからは絶大な支持を得た。
この『元禄名槍伝・豪快一代男』は正に大都映画を彷彿とさせる作品で、六十数分という短い上映時間枠内で、俵星玄蕃の豪快な半生が過不足なく描かれている。とりわけ、質実剛健のふうがたたって世に入れられず「困った、困った」といっては酒ばかり飲んでいる玄蕃には、実演時代に苦労をし、また実際に大酒飲みだった近衛本人の姿が投影でき、感情移入もしやしい。
そして終盤の槍を使ったチャンバラについては文句の付けようがない。九尺以上の長さがあり、しかも本身にちかい重さがあるのではないかと思われる槍を電光石火のスピードであやつり、だれにも致命傷を与えていない。沢島忠監督の『あばれん坊兄弟』を見おわったときのような爽やかさがあった。(三四郎さま 2006年9月)



<資料>

プロフィール「本で会う 戦後忠臣蔵映画の全貌」を御覧ください。






「酔いどれ牡丹」(1956年12月・松竹)

監督:荒井良平 脚本:岸生朗 渡辺哲二 
出演:大谷友右衛門、青山宏、雪代敬子、近衛十四郎    
日本映画データベースさまより)

<寺田貢さん>

『酔いどれ牡丹』で、頬に傷のあるサムライ後藤を演じていた寺島貢は、丸大ハムのコマーシャルで一世を風靡した田中浩の実父。
この寺島は、日活、新興、大都の合併により発足した、大映の記念すべき第一回製作映画『維新の曲』で土方歳三を演じているのだけれども、この役はそもそも近衛に振り当てられた。しかし、近衛は一座を旗揚げして実演に走ったため、寺島はその代役だったのではないかと、こう私は推測しているんですけどねえ。まったくの端役なんですけど・・。(三四郎さま 2015年1月)





「りんどう鴉」(1957年1月・松竹)

監督:福田晴一 脚本:安田重夫 
出演:高田浩吉、嵯峨美智子、高峰三枝子、雪代敬子、近衛十四郎

<感想>

仕事の合間を利用して、大地監督情報の『りんどう鴉』を見てまいりました。
感想は「うわー赤い」…です。フィルム状態も凄くて、セリフは飛ぶ飛ぶ、歌も飛ぶ(笑)。画面は常時大雨降ってました(笑)。題名に煎ったうに、画面が真っ赤で、白黒映画ならぬ、白赤映画でした。でもほのかに色が着いてる様な気がしまして、あとで上映スケジュールの紙を見たら、しっかりカラー(!)と書いてあって、ひっくり返りました(笑)。
近衛さんはとっても情けない役(直助とは違う意味で)で、クライマックス直前に戸上城太郎さんに撲殺(そんなー)されてしまい大ショック。でも、アップが多かったのが不幸中の幸いでした。(貴日さま 2005年1月)

> みなさま、
あれはもう次観られないかも知れませんよ。いつバチーンと切れちゃっても可笑しくない…なんて言っていたらニュープリントされてCSで放送したりして…
でも貴重な体験させていただきました。(貴日さま 2005年1月)


観てきました「りんどう鴉」。
もう〜〜〜〜〜〜、退屈……(笑)……カッコ笑、2年に一編しか使いません。1957年の作品(あたしの生まれた翌年)だからシャーないか。しかも上映前にかなりフィルムの状態は悪いよ、と言われてたんだけど、もうぶっつぶつに切れててワンシーン2シーンない感じのところも。しかも、もし上映中に切れたら別作品に切り替える用意もあったとか。立ち回りのシーンも、敵方がやってきたのが見えたらもういきなり斬り合ってたり、いつの間にか捕まってるヤツとか。まあ、それはご愛嬌。でも無事最後まで観られましたよ。
モノクロ作品だと思うけどもうセピアを越えて赤いフィルムでした。それだけ貴重だってコトですね。毎回言うけどスクリーンはそれだけでわくわくします。赤くてもいいです。
肝心の近衛ですが、役不足も良いところ。ふむ……言うなれば不遇のルーツを見たって言うところかな。役どころはとーーーーーってもひ弱な軟弱なやくざになり切れない亭主。で、戸上城太郎に簡単に斬られる。こんな役もっと青二才に振れよって言う情けない役で、はっきり言って観ていて辛かったよ。良いところなし。
でも、本当に今となっては貴重な一編でした。(大地丙太郎監督 2005年1月)


十四郎様のあの役を見てショックを受けぬ十四郎様ファンはいません。役が役なのに、十四郎様はさっさと斬られて、高田浩吉ファンでないのに延々と高田さんを見続けねばならぬつらさ・・・・・。私はビデオで見たから、白赤映画でもなく、大雨も降らなかったのは不幸中の幸なんですかねぇ。
大地監督のおっしゃるとおり、なんで十四郎様が「とーーーーーってもひ弱な軟弱なやくざになり切れない亭主」を演じなければならないのと初めは思ったのですが、ショックを乗り越えてこう考えることにしました。十四郎様はこういう弱々しい人間まで演じられるうまい役者なんだと。そういう意味では「りんどう鴉」は貴重な作品で、十四郎様ファンには「必見」の映画と言えるのでは・・・。
何をやっても「近衛十四郎」ではなくて、あるときは十兵衛、兵庫、大吉、そしてニヒルな敵役だから、私たちは十四郎様のファンなんですよね。そうですよね?(中村半次郎さま 2005年1月)





「浪人街」(1957年4月・松竹)

監督:マキノ雅弘 脚本:村上元三、マキノ雅弘 
出演:近衛十四郎、藤田進、河津清三郎、北上弥太郎、竜崎一郎、水原真知子、高峰三枝子

<解説>


池袋の文芸座で、近衛十四郎主演の松竹映画「浪人街」を見てきました。
この映画は、戦前のサイレンと時代に製作公開された、マキノ雅弘監督畢生の傑作時代劇「浪人街」三部作を再映画化したもので、当時、松竹が近衛十四郎を高田浩吉に次ぐ看板スターとして売り出すために、監督のマキノ雅弘をはじめ、共演者に高峰三枝子、河津清三郎、藤田進という、近衛十四郎主演映画では最初で最後の豪華なスタッフ、キャストによって製作された、戦後にリメイクされた作品の中で最も出来がよいといわれる映画です。
そして私が特筆したいのは、この作品を境に、それまで耳障りだった新潟弁が台詞回しの独特の個性になって、芝居がこの前までの作品と比べてダントツにうまくなっていることで、いまさらながら驚きました。
しかし、作品自体がいわゆるヒーローものではなく群像劇で、近衛十四郎の荒巻源内だけに焦点を絞ったストーリー展開ではないので、立ち回りが抑え目で地味であったのが少し残念でした。(三四郎さま)

松竹には常にベストテンの上位にランクされる、現代劇があつた。そのためがどうか知らぬが、時代劇スターを独自に育てることをせず、阪妻が死去して以降(阪妻は、松竹と専属契約を結んではいなかった)は、甘いマスクと美声が取り柄だけの、高田浩吉がひとりで屋台骨を支えている状態だった。そのために、それまでずっと守り続けてきた興行収入トップの座を、昭和三十一年に東映に奪われてしまう。
その起死回生の策として、松竹は近衛を主演スターとして、大々的に売り出す決意をした、のだと思う。監督にマキノ雅弘を迎え、共演者には高峰三枝子、藤田進、竜崎一郎、北上弥太郎、河津清三郎という豪華な顔触れを配した。
周知のとおり、この映画は戦前にマキノ雅弘が監督した同名さくを再映画化したもので、リメイク版の中では最も出来の良いもの。
残念ながら、近衛の剣技は見るべきところはない。しかし、平和な時代の浪人の大変さや、近衛扮する荒牧源内が、情婦が悪旗本に八つ裂きにされかねない瀬戸際にビビッテしまうなど、普通の人たちの、おもしろい群像劇として大変よくできている。
当時の松竹のあるプロデューサーは、「マゲモノは地方の小屋に掛ければ何でも当たる」といっていた。現代劇があるから、時代劇はどうでもよいという胸中をのぞかせたのだろうか。総合して時代劇の企画は悪い。これに付随して、近衛の人気も万人に浸透するまでにはいかず、知る人ぞ知るという存在で頭打ちになった。(三四郎さま)





「大忠臣蔵」(1957年8月・松竹)

監督:大曾根辰夫 脚本:井手雅人 
出演:市川猿之助、市川団子、水谷八重子、高田浩吉、山田五十鈴、嵯峨三智子、近衛十四郎、伴淳三郎、松本幸四郎    
日本映画データベースさまより)

<資料>


プロフィール「本で会う 時代映画S329月号No28)を御覧ください。





「落花剣光録(1958年11月・松竹)

監督:萩原遼 脚本:旗一兵、中田竜雄 
出演:松本錦四郎、滝沢修、福田公子、山口のぶ、佐乃美子、内田良平、近衛十四郎、藤間林太郎、佐藤賢、雲井三郎    
Movie Walkerさまより)

<資料>


プロフィール「思い出ばなし5 ”剣豪”近衛十四郎の子弟愛」を御覧ください。





「大盗小盗」(1958年11月・松竹)

監督:酒井欣也 脚本:安田重夫・元持栄 
出演:三橋美智也、名和宏、近衛十四郎、小笠原省吾、泉京子    
日本映画データベースさまより)

<資料>


プロフィール「本で会う 時代映画S34年6月号No49)を御覧ください。





「江戸遊民伝」
(1959年3月・松竹)


監督:萩原遼 脚本:三村伸太郎・山中貞雄 擬斗:佐々木小二郎
主演:近衛十四郎・松本錦四郎・宇野重吉 共演:青山京子、嵯峨美智子、藤間紫

<あらすじ>


飲み屋の女将・お静(藤間紫)を女房に持つ河内山宗俊(近衛十四郎)は、いかさま将棋屋相手に逆に50両ふんだくり芸者遊びを繰り広げるような豪気な男、一方、金子(宇野重吉)も、腕はいいのにどういう経緯からか今は森田屋の用心棒に身を落とし、かつての同僚を少しひねた目で見ている。
その二人が、貧乏ながらもけなげに暮らすお浪(青山京子)と、姉に反抗し突っ張ってはいるが、根は素直で優しい直侍こと広太郎(松本錦四郎)姉弟を、我が身を捨ててまでもどん底の生活から救い出そうする。

広太郎は背伸びしたい年頃、口うるさい姉から逃れるために、直侍と自称し、豪気な宗俊を慕う。
直=広太郎だと知らない宗俊は、弟を悪の道に引きずり込んでいるとお浪に誤解され、そのため、以前からお浪に好意を寄せていた金子が、宗俊と一発触発の状況に。しかし、いかさま将棋を根に持った森田屋のちんぴらの中傷と分かり、二人はすっかり意気投合、お浪の誤解も解ける。

直は、宗俊に連れて行かれた芸子屋で、幼なじみの花魁・三千歳(嵯峨美智子)と再会する。
森田屋に買われる身の三千歳に同情した直は、宗俊を頼って三千歳を足抜けさせるが、宗俊の女房・お静は、宗俊が何かとお浪と直に気を掛けるのが気に入らず、二人は追い出され、行き場を失い川へ身を投げ、直一人が助かる。

今まで散々直の悪さの後始末をしてきたお浪だが、三千歳の見受け料・300両を森田屋に迫られ、どうしようもなく、身を売る覚悟を決める。
姉にでていかれ、今度ばかりは自分の子供じみたつっぱりから目が覚めた直は、姉を追い森田屋へ、森田屋を刺して、子分に追われる身となる。

宗俊と金子は、助けたお浪から事情を聞き、大芝居を打って、お浪のために300両を作ろうと算段する。
それは、宗俊が幕府側近の坊主に化け大名家に向かい、将軍から賜ったという小柄が偽物であると脅し、口止め料として金を催促するというものだった。そして、宗俊はみごと、世間体を気にする大名と、見栄っ張りの部下から、300両をせしめる。

一方、一度は宗俊と金子に助けられたお浪は、お静のやきもちのために再び売られるハメに。
宗俊と金子は、既に品川へと駕籠に乗せられたお浪の元へ、直に300両を持たせて送り出してやろうとする。

だが、既に辺りは、直を追ってきた森田屋の子分に囲まれている。自分のとった態度に後悔したお静と、お静を守り刀を振る宗俊が表を塞ぎ、金子は直を連れて裏から逃げる。しかし、多勢に無勢、金子は、宗俊に直を託す。
「人間潮時に取り残されると恥が多いって言うからな」「いっつあん、後を頼むぞ」
二人を追いかけようとする子分らの一群を片づけ、一息ついた金子に、隠れていた子分の槍が。「なおー。お浪さんと仲良く暮らすんだぞ」

そして、宗俊も、無事、江戸のはずれまで直を送り、躊躇する直を門の外に追い出し、直に背中を向け追っ手に向かう。
「直、早く行け!」「すみません親方、勘弁してください」振り向き振り向き走る直。
ボロボロになって闘い終えた宗俊は、直の去った方向を見送る。「直、お浪さんを大切にしてやるんだぞ。直おおお!」
宗俊の絶叫が聞こえる静まった町に、やがて馬の足音が聞こえ、御用提灯が、大名から300両をだまし取った下手人を囲む。毅然とそれを迎え入れる宗俊・・・。

しかし、門の外の夜明けは近い。心を入れ替えた直は、お浪を追って品川へ走る。


<見どころ>

人の気持ちの優しさがしみる映画。

宗俊も金子も直も、やくざの親分子分も、はては侍までもがみな、その場繕いで生きているような、どうしようもない男達。
そんな宗俊と金子がひょんな事で、女のためにひと肌脱いで弟を立て直し、姉弟を救ってやろうと言う気になる。300両作るための、大名家から金をふんだくる大芝居、そのため二人の身はやばくなる。だが、やり遂げた二人は、今までにないすがすがしさと満足感を感じていた。
大芝居を実行する前夜の、 宇野さんとこのちゃんのお二人が言葉少なに醸し出す、重たくきらりと光るシーンは感動的。
「いっつあん、覚悟はできてるだろな。わしはこれで人間になった気がする」「わしはな今まで無駄飯ばかり食ってきたが今度はそうじゃねえんだ」「うん」「人のためによろこんで死ねるようなら人間一人前じゃないかな」「うん」

ちょっとしたシーンにも、松竹らしいきめ細かな美しさが出る。
例えば、身を投げた直と三千歳を呑み込んだ川面に流れる手拭い、身を売れと言われじっと座っていたお浪が、決心し出ていこうとするとき、すがって止める直を何度もひっぱたき、泣いて家を出ていくシーンでは、優しく降りだす雪と音楽が、そっとお浪の悲しみを見守っている。

配役も素晴らしい。
直侍役の松本さんは、華奢な身のこなし、高い声、いたずらっぽい表情が、いかにも大人になろうと背伸びをする青年らしく、世捨て浪人・金子の宇野さんは、飄々とし、淡々と良い台詞を決めるし、豪気な宗俊を演じるこのちゃんは、自然体で力が入ってない。三役が、それぞれのキャラとぴったりで、しかも調和がとれているところがすごいし、脇を固めるコメディアンの台詞がころころ転がって心地よい。
真面目で悲しいお話なのに、なんだかおかしく、歯切れがいいのは、、もちろん台詞にもよるのだろうが、生きるってそんなもの、という脚本家の方々のお考えがあるからだろう。
おまけに最後は槍をぶんぶん振る、宗俊坊主の豪快な殺陣があって、そちらの楽しみまで堪能できる。

難を言えば、宇野さんの”剣豪”が、このちゃんの殺陣を見慣れているものにはちょっと・・。だが、宇野さんの地味で味のある魅力が大きくそれを上回っているから、文句はなし!

この映画のこのちゃんは、宇野さんに負けない演技派!冒頭、いかさま将棋に騙されたふりをする人の良い一市民風の顔の宗俊、、一瞬後「まちがいねえな」と、宗俊の顔に変わる変貌ぶりには唸ってしまう。大芝居で大僧侶になりすましたシーンでは、身分のある身のこなしに言葉遣い(いかにも大芝居してると言う感じ!)最後は、お得意の浪花節調の決めぜりふの後、きりっと役人に向かうところがまたカッコいい!


「野心まんまん!! 河内山に取り組む近衛十四郎さん」芸能画報(8(3) 1959年より>・・所々判読不能箇所があります

松竹京都の近衛十四郎さんといえば映画会で自他ともに許す釣天狗
その太公望近衛さんが年が明けると間もなく、釣納めをして当分愛用の竿と縁を切るといいだし、その釣納め会を丁度青春スター千典子さん相手に自宅の庭の池で●や鯉を釣って●聞きました。
というのも、現在撮影中の江戸遊民伝で河内山宗俊に扮するので、「坊主が殺生できませんや・・・」というのがその理由
この映画は、戦前時代劇映画界に鬼才として筆名をはせた中山(ママ)貞雄監督の名作「河内山宗俊」の再映画化。当時のシナリオそのままに改題。
監督にはかって山中貞雄監督に支持した荻原遼があたる異色作。
「私の念願だったものだけに、役者冥利に●きる思いです・・・・・」と語る近衛さんに感想をきくと、「正直いっていままであまり●しなかったんでしょう。だからこの辺で
●と思ってたところにこの話なんで先日中山(ママ)先生のを拝見したんですが、長十郎さんの河内山、
翫右衛門さんの市之丞はスバラシイですね。今回ヴェテランの宇野重吉さんが市之丞役なので、大いにからみ甲斐があります。私としてはこの作品に役者としての全生命を打ち込んで一生懸命にやってみるつもりでいますが、まあボクとしては坊主の河内山でなく、無頼漢河内山の味でいきたいと思っています」と、野心満々に語ってくれました。(写真が2枚:「当分の間釣りにもお別れと淋しそうな近衛さんとお相手役の千典子さん」として、洋服姿で釣り竿を構える(そんな風に見えます、剣豪ですねえ)このちゃんと並ぶ千さん、「野心マンマンに語る近衛さん」と題して、支度部屋でかつらを脱いでコチラを見るこのちゃん) (中村半次郎さま)





「修羅桜」(1959年4月・松竹)

監督:大曾根辰夫 脚本:高岩肇 
出演:高田浩吉、森美樹、嵯峨三智子、松本錦四郎、山田五十鈴、近衛十四郎    
日本映画データベースさまより)

<資料>


プロフィール「本で会う 時代映画S34年6月号No49)を御覧ください。





「柳生旅日記・天地夢想剣」(1959年10月・松竹)「柳生旅日記・竜虎活殺剣」(1960年3月・松竹)

監督:荻原遼 脚本:高岩肇 
出演:近衛十四郎、森美樹、松本錦四郎、桑野みゆき(天地夢想剣)   近衛十四郎、森美樹、花菱アチャコ、川口京子(竜虎活殺剣)    
日本映画データベースさまより)

<解説>


のちになって「近衛の前に十兵衛なし、近衛の後に十兵衛なし」とまでいわれることになる柳生十兵衛を近衛が初めて演じた記念すべき松竹映画。近衛はこの作品を置き土産に高田浩吉、戸上城太郎とともに東映に移籍する。
いずれも豊臣秀頼生存説などの話を芯に、徹底した講談調でストーリーが展開するぶん、近衛のケレン味たっぷりの剣技が堪能できる。それだけに個人的には、一対一の決闘も『十兵衛暗殺剣』の大友柳太朗とのよりも、この二作品での森美樹とのもののほうが楽しめた。(三四郎さま 2006年9月)


<資料>

「プロフィール「本で会う 時代映画S35年2月号No57」を御覧ください。





「巌流島前夜」(1959年10月・松竹)

監督:大曾根辰夫 脚本:梅林貴久夫 
出演:森美樹、北上弥太郎、近衛十四郎、幾野道子      日本映画データベースさまより)

<「時代映画 No54」の紹介>


「巌流島前夜」は「時代映画」という同人雑誌に新人すいせんシナリオとして掲載されたものを映画化したものなんですね。「時代映画」をたまたま古本屋で何冊か目にして入手して知りました。その中にあった1959年11月号に脚本の梅林さんと大曽根監督と主な出演者の人達の座談会が「新人作品の魅力」と題して掲載されていました。その中で近衛さんは「武蔵が巌流島に向う前に、玄蕃みたいな人物がいてもおかしくないように描けてますね。本当によく描けている。で、あの本を時代映画でよんで、なんとしてもやらしてもらいたくて、会社にすぐ申込んだんですよ。」「何か、人間の味わいといったものが出てますしね。この玄蕃には。」といったことや、殺陣のことなどを話しておられます。とても興味深かったです。
(レンスキーさま 2013年2月11日)(関連したお話が、プロフィール「本で会う 時代映画No40とNo45とNo54にもあります」





「浪人市場 朝焼け天狗」(1960年3月・東映)

監督:松村昌治 脚本:結束信二 
出演:市川右太衛門、東千代之介、近衛十四郎、大川恵子      日本映画データベースさまより)

<感想>

朝焼け天狗、娯楽作品として十分楽しめました。伊藤雄之助も出ていたのですね。近衛さんは、やはりああいう敵役から味方になる、気ままなアウトロー的な浪人役が似合いますね。流れるようにそれでいてダイナミックな迫力ある殺陣はやはり見応えがあります。(また時々、近衛さんの槍も観たくなります。)
今後KBS京都では、変幻紫頭巾(友柳さんが3役演ずる)、赤い影法師(近衛さんが服部半蔵)を放映する予定です。毎週水曜日は、中島貞夫監督の解説というよりおしゃべりが映画の始めと終わりに入るのです。(京さま 2005年2月)





「砂絵呪縛」(1960年3月・第二東映)「豪快千両槍」(1961年6月・ニュー東映)

監督:井沢雅彦(砂絵呪縛) 倉田準二(豪快千両槍) 脚本:村松道平(砂絵呪縛) 安田猛人・野上竜雄(豪快千両槍) 
出演:近衛十四郎、品川隆二、中里阿津子、千原しのぶ (砂絵呪縛)  近衛十四郎、里見浩太郎、北沢典子、中里阿津子、鳳八千代       日本映画データベースさまより)

<感想>


近衛ほど素浪人を演じて様になる役者はいない。しかも、キャラクターがワンパターンでないところが、俳優としての器の広さをあらわしているようにも思われる。
『砂絵呪縛』での森尾重四郎は、世をすねたニヒリストで敵役的であるのに対し、『豪快千両槍』の不破主水は、貧乏を楽しんでいる明朗浪人で、後の兵庫や大吉に通ずるキャラクターである。そして主水の笑顔は、見ているこちらの顔の筋肉も弛んでしまうほど引き込まれる。実に優しい顔なのだ。
『砂絵呪縛』は、松竹から投影に移籍した近衛が挨拶代わりに撮った作品。もはや言い尽くされていることだが、近衛はバッタバッタと敵を斬り倒すだけでなく、動きにくい路地に相手を誘い込み、スパリスパリと足を切り払うという芸を見せる。そして『豪快千両槍』は美術、セットが良く、近衛の槍を使った立ち回りは電光石火で動きはスピーディー、あくまでも美しい。(三四郎さま 2006年9月)





「次郎長血笑記・富士見峠の対決」(1960年8月・第二東映)

監督:工藤栄一 脚本:村松道平 
出演:黒川弥太郎、千原しのぶ、楠本健二、南郷京之助、品川隆二、近衛十四郎      日本映画データベースさまより)

<解説>


これ、私の大好きな工藤栄一監督の作品ね。まだ「十三人の刺客」で世間をアッと言わせる前のことね。昭和35年制作なのね。
「次郎長血笑記シリーズ」は全部で4本あって、次郎長役は黒川弥太郎さん。モチを喉に詰めたような声だし演技もクサイけど、私、この人好きだなあ。で、品川隆二は森の石松をやっていますが、これがピッタリ。髷は月代を伸ばしたスタイルのもので、まんま焼津の半次ですよ。セリフなんか同じ渡世人のしゃべり方だしなおさらです。もちろん次郎長一家の子分だから、いわばレギュラーってんで、4作全部に出演しています。第1作で、石松が片方の眼を失明する場面がありますが、これがスゴすぎ。石松の目に刀がまるごと1本刺さっちゃうんですから。「伊達政宗」や「十一人の侍」で、矢が一本、目に刺さるシーンはあったけれど、刀ですよ。品川さん、迫真の演技で刀を目にあてがって苦痛の表情でしたが、なにしろ、竹光とはいえ、片方の手のひらで大きな刀を目にあてがって演技するんです。明らかに重たそうでした。
さて、近衛さんが出演して、品川石松と「共演」するのは、3作目の「次郎長血笑記・富士見峠の対決」です。タイトルクレジットを見ると、なんと次郎長役の黒川弥太郎を差置いてトップに出たではありませんか。しかもあの戸上城太郎も出ている!これはひょっとして近衛VS戸上の対決が見られるのかもしれない!と期待に胸をはずませるのはここまでです。
近衛の役は、足を洗ってかたぎになった元やくざの巾下の長兵衛。次郎長ものでは有名な登場人物の一人です。義理人情に厚く、腕も度胸もあるイイ男を近衛は貫禄たっぷりに重厚に演じます。
セリフも重々しく、間違えても「このバカタレがあ!お前ってヤツはほんとに箸にも棒にもかからんバカだなあ」などと言いません。「素浪人でない近衛もいいモンダ」とうっとりして見ていたらああ、なんということか、後半、悲劇が待っていたのです。
二足のわらじを履く保下田の久六が徹底して近衛をいたぶるのです。
まず、借金を申し込みに来た近衛にビタ銭を投げつけて恥をかかせ、次に近衛が凶状持ちの次郎長一家をかくまっていると知るや、女房ともどもお縄にして市中を引き回し、ついにひと気のない河原に連れ込んで最後は近衛をなぶり殺しにしてしまうのです。その殺し方がまたえげつない。久六は石ころだらけの地面に縛った近衛を正座させ、「次郎長の居所を言うんダ」と言って棒でめった打ちにします。近衛は歯を食いしばって耐えます。久六は今度は正座した近衛の太ももに刀をザクリと突き立てます。「口を割ってたまるけえ!」我慢の近衛。「言わねえとこうするんだ」久六はいきなり隣に座っている女房をバッサリ。そして近衛を無理やり立たせ、(太ももからは血がドクドク)久六一味が全員で寄ってたかって殴る蹴るの暴行を加えます。近衛自身、縛られていることもあって本当に地面にたたきつけられているようで、痛そうです。最後には、腹部を横に斬られとどめに背中をズブリと刺されます。刀が深々と刺さって、肺にまで達しているであろうことを観客に十分知らしめる表現でした。死体は川へほうりこまれます。当時としては珍しい血のドバドバ出る「髷ものスプラッター」ですよ。
この映画をみたとき、ショックで眠れませんでした。(キンちゃんさま)



次郎長血笑記は、第二東映オープニング作品。
で、大映より黒川、品川の移籍のエサにした作品。次郎長もので、二人にそれぞれ、主役は、キミにお願いしたい、といったとか。シリーズものにして、東宝の次郎長三国志のようにしたい、とか。
今、考えると、もう時代劇は、峠を過ぎていて、日本映画各社の時代劇がそろそろ危なくなって来た頃かな。それにしても、近衛の第二東映時代の映画全部見返したいなあ。
少なくとも、松竹の脇の頃より、やはり、主役の方が、長刀も映えるもの。(快傑赤頭巾さま)


(NGについての話題で)
捕り方の持つ御用提灯が一人だけさかさまなのがハッキリ映っています。おそらく逆に糊付けしたのね。これらはどうして誰も気が付かなかったのか、スタッフが悪意でやってるとしか思えない?
いえいえ、私は思うに、当時はやはりフィルムが貴重品で節約の思 いも込められていたのかもしれません。今は「NG」が逆にネタにされるご時世ですから、見る側も目が肥えています。でも当時の我々はちょっとくらいのミス には気が付かなかったのでしょう。作り手は少々のNGでも無理してそれで行ききったのでは、と思います。(キンちゃんさま 2008年5月)


先日、「次郎長血笑記・富士見峠の対決」を見ていたら、意外な発見がありました。ご承知のように、この映画は品川隆二さんが森の石松役で出ているシリーズの第三作目にあたる作品です。これには、近衛さんも、巾下の長兵衛役(惨殺されてしまいますが)で出演されています。近衛・品川共演作の一本として有名ですよね。で、この映画には、後に殺陣師(東映では擬斗師)として活躍される尾形伸之助さんも法印大五郎役でキャスティングされているのですが、なんと、「猫が大嫌い」という設定なのです。本編では、その尾形さんが、猫を見て「ぎゃああああ〜」と叫ぶ場面が二度ほど用意されています。そして、そのたびに、石松役の品川さんが、呆れたというふうに猫をひっつかんで追っ払うのです。これって、まるで兵庫の猫登場シーンとまんま同じ構図でしょう?この映画は、昭和三十六年の作なので、兵庫より早いわけです。まさか、品川さん、数年後にテレビでほぼ毎回、猫の首をつかんで「うひゃひゃひゃひゃ」と笑い、視聴者を喜ばせることになるとは夢にも思っていなかったことでしょうね。うーん、兵庫の猫嫌いは、なんでも東映のプロデューサーの猫アレルギーがモデルとか聞いたことがありますが、もしかしたらこの映画で先取りしていたのかもね。てなわけで、兵庫の猫嫌いのルーツは「次郎長血笑記」だ!と言いたいですね。ちなみに、この第三作、開巻、品川さんと近江雄二郎さん(この人も後に殺陣師として活躍しました)との「ケンカ寸前」の立ち回りシーンがあります。必見。(キンちゃんさま 2019年1月)

さて、「次郎長血笑記」の猫登場シーンは、本編開始から約24分後の旅籠の場面と、34分後の捕り方たちから逃げる場面の二つです。参考までに。
ところで、法印大五郎が猫嫌いという設定ですが、これって何の必然性もないんです。シリーズ全4作の中で、法印が猫におびえるのはこの作品だけです。ちょっと不思議と言えば不思議。ちなみに、品川さん(石松役)、猫を追っ払ったあとで法印に、「おれなんか猫を焼いて食っちまったことだってあるんだ」てなことを言っていますが、このセリフ、小さい声でぼそっと言うので、アドリブではないですかね。(キンちゃんさま 2019年1月)





「獄門坂の決斗」(1960年9月・第二東映)

監督:秋元隆夫 脚本:西山栄士 
出演:近衛十四郎、花園ひろみ、三原有美子、藤田桂子      日本映画データベースさまより)

<解説>


これは中学生の頃にテレビで見た作品。そんなわけで記憶も曖昧なのだが、近衛が演じたのは野に下った高貴な侍、松平長七郎のような役柄だったか。
定番のように戸上城太郎との一対一の決闘場面も挿入されていた。そして最後は東映調の満開の花の下での悪者たちの宴があり、踊り狂う社中の中に混じり、近衛は仮面を被って登場。あとはバッタバッタと悪人どもを斬り倒す。
この作品、じゅうよっつ嬢のいう東映の健康時代劇の一本で、あれだけ人を斬られると興醒めするのだが、そこは殺陣のスペシャリストである近衛のこと、拝み斬り、ホームラン斬りあり、いろいろな剣技を見せてくれる。近衛の立ち回りを見て「この男は芸人ダヨ」とよく言っていた、亡き父親の言葉が偲ばれる。(三四郎さま)





「素浪人百万石」(1960年11月・東映)

監督:松村昌治 脚本:結束信二 
出演:市川右太衛門、東千代之介、近衛十四郎、大川恵子      日本映画データベースさまより)

<感想>


「素浪人百万石」よかったですね。ラストで殺陣を堪能させてくれましたが、近衛さんにしては珍しく(?)中の上くらいの腕前という設定でした。これって難しいでしょうね。殺陣師、いや、東映では擬斗師ですか。どう見ても「ぎとし」としか読めませんが、そのぎとしさんの付け方もあるでしょうが、いつものように強すぎてもいけない、かといって弱いのでもない、「そこそこの使い手が必死になって奮戦する」という状況設定をふまえたうえで、表現しなければならないのですから・・・。近衛さんは、剣豪スターである反面、悲壮感漂う「滅びの美学」をも演じられる役者さんですから、最後、斬り死にするんじゃないかと心配しました。結果はハッピー・エンドだったので、ほっとしました。娘(笑顔がバツグンの素朴な子役でした)を抱っこするシーンはほほえましかったですね。(キンちゃんさま)





「江戸の朝風」(1960年11月・東映)

監督:大西秀明 脚本:高岩肇 
出演:片岡千恵蔵、沢村訥升、伏見扇太郎、大川恵子      日本映画データベースさまより)

<感想>


「江戸の朝風」の半蔵さん、よかったですね。近衛さんって「敵役ではあるが、主人公とどこかで一脈通じ合っている」てな役どころが得意ですものね。「無双剣」2作とか、「勢揃い関八州」とか・・・。「おぬしだけはこの俺が斬る」みたいな・・・。で、この映画の殺陣シーンを見ていて気づいたのですが、確かにすごいスピードで剣が走っていますが、相手の体に刃が当たった瞬間だけ少し失速して、体から離れていくとき再びグイーンと加速する・・・そんな印象を受けました。あたかも速球派の投手の投げるストレートが、打者の手元で伸びるように。無論眼の錯覚かもしれませんが、それだけリアルだ、と言いたいんであります。
もしかして、近衛は、芝居とはいえ、本当に相手を斬り殺す気持ちで殺陣に臨んでいたのではないでしょうか。「天下の大騒動」で、ラストの大乱闘シーン、少し近衛より高い位置(舞台)にいる敵の背を突くカットがあって、そのとき、ちゃんと腎臓の部分を突いているのです。「ここを突かないと相手にダメージを与えられないのだ」と言わんばかりです。本物らしく見せる・・・これを表現することに務めていたのでは、と思います。
余談ですが、「江戸の朝風」の近衛さんは、よかったのですが、他の作品の近衛と比較すると、私個人としては少し(演技も殺陣も)ぎくしゃくしていたように感じました。近衛ファンなので、あえて正直に言いました。(キンちゃんさま)





「遊興の剣客 つくば太鼓」(1960年12月・第二東映)

監督:深田金之助 脚本:野上竜雄 
出演:近衛十四郎、藤田佳子、木内三枝子、小林重四郎      日本映画データベースさまより)

<感想>


個人的に近衛十四郎の魅力は、時代劇俳優には珍しいハードボイルドな面だと思っていますので、どうしてもニヒルでアウトローな素浪人を演じる近衛十四郎に魅かれてしまうんです。いま思えば、この映画はそんな近衛の魅力が最大限に引き出された一本、といってもよいのではないだろうか。よく亡くなった人に送る言葉で「あのような人は二度とあらわれないだろう」という表現がありますが、まさに近衛十四郎のような特異な魅力を持った人にこそ相応しいと思います。
こんな近衛十四郎の代表作として、わたしは戦前戦中に坂妻の映画を何本か監督した丸根賛太郎の小説を映画化した深田金之助監督の東映作品「遊侠の剣客・つくば太鼓」を真っ先に挙げます。
もちろん、近衛十四郎が演じる素浪人逸見一角が主役で、最後は非業の死を遂げます。お定まりの通り、監督、共演者ともに無名にちかい人なのですが、作品の出来は近衛十四郎主演作の中ではかなりよかったとおもいます。
てなことを言いつつも、作品自体30年ほど前にテレビで放映されたものを2度見たきりなので話の内容が、自分の頭の中ではかなりセピア色になってしまっているので、正直、無責任のような気も自分自身ではしていますが。
確か、近衛十四郎演ずる逸見一角は人斬り稼業の流れ者で、スタイルは白の着流しに赤鞘の大小を帯びた、まさに両手両目がある丹下左膳を想像していただいたらよいとおもいます。そして、ある土地の悪徳やくざに雇われてその親分に敵対する人物を片っ端から斬って行くのですが、阪東蓑助が演ずるその土地の有力者に目を開かされて雇い主である悪徳やくざ達を相手に初めて正義の剣を抜き、最後には非業の死を遂げるというのが作品の大まかなストーリーだったと思います。
圧巻はなんといっても一人で数十人のやくざを相手にする最後の大きな河原での大立ち回りで、着物の前がハダケ髪はザンバラ、そして取り囲むやくざが投げる突く棒をかわしきれず、それらをもろに頭へ受け目が見えなくなる一角。それでもフラフラになり越中を丸出しにしながら、得意のホームラン斬り、足払い、両手突き、片手斬りなどで死出の山をきずいてゆくのですが、しだいに意識が朦朧としてゆき最後には「目、目がみえねー」と絶叫しながら川の水に顔を漬けることと、輪を作るように遠巻きにしたやくざ達の中心でただやたらと見えない相手に刀を振り回すことをくりかえすだけになり、数人のやくざに一太刀ずつあびせられ止めをさされます。
この大立ち回りに関しては、へたな役者だとただおざなりに斬ることを繰り返すだけで見ているほうも無味乾燥になりばかばかしくなってくるところですが、さすがに近衛十四郎は殺陣の手数が多く、またスピードと斬ったあとの形のきまりかたが素晴らしいので見ているものを圧倒します。あの「砂絵呪縛」での大立ち回りと並んで,後世の語り草になることは間違いないとしんじます。(三四郎さま)


<解説>

阪妻作品のリメイク版で、これまた子供の頃にテレビで見た映画。兵庫、大吉以外の近衛に初めて接したのが、この作品での辺見一角でだった。個人的に近衛の魅力は、他の追随を許さない立ち回りと、時代劇俳優には珍しいハードボイルド性だと思っている。
彼の演ずる辺見一角は凄腕の浪人で、ある土地に一家を構える悪徳やくざの用心棒というより、凶器として扱われている。だから、演出も一角が走っている姿と刀を振るう狂気の形相をダブらせる方法が多様されていたように思う。
しかしそんな一角もあるひとりの女に惚れ、そして正義感あふれる、坂東蓑助が演ずる土地の有力者に接するにつれ、だんだんと悪鬼の表情が、苦悶のそれへと変わってゆく。
そして終盤、一角は生涯でただ一度、こんどは土地で平穏な生活を送る者たちのために、悪徳やくざとその後ろ盾となる代官を相手に河原で正義の剣を振るう。だが、一角は代官によって鉄砲で撃ち殺される。
この当時、スターは死なないというタブーがあった。が、されを破ってあえて作品の中で死んだスターに市川雷蔵がいる。しかし雷蔵な死は格調高く描かれ、近衛とは対照的である。
ちなみに近衛はラブシーンが最も似合わない俳優といわれる。しかしこの映画では、名前は忘れてしまったが、ある女優との、じゅうよっつ嬢が見たら引っ繰り返ること受け合いの、濃厚なシーンがあったように記憶する。(三四郎さま)





「水戸黄門 天下の大騒動」
(1960年12月・第二東映)

監督:深田金之助 脚本:結束信二 
出演:大河内傳次郎、品川隆二、山城新伍、近衛十四郎、里見浩太郎 

<解説>


当時、本家のほうでは月形龍之介主演でシリーズ中でした。これはその痛烈なパロディ版。

全編を貫くドタバタストーリー、随所にちりばめられたシュールなギャグ、続々でてくる間抜けな登場人物、テンポのいいセリフ、そしてこれでもかと言わんばかりの大立ち回り。これを快作(怪作でもいいゾ)と言わずしてなんとしよう。

近衛さんの役は、黄門様を護衛する水戸家剣術指南の丹上右近。シークレットサービスとしての勤務なので、月代伸ばした浪人姿。やっぱり近衛はこれです。
品川は助さん。これもセリフはまんま半次にいさんでした。

最大の見所はラストの大チャンバラ。近衛さんは数十人斬りながら、その合間合間に、戸上城太朗ふんする「地獄の剣客」とたたかうんです。2,3人斬っては刃を合わせ、また2,3人斬っては刃を合わす。それをしかも走りながらするんでっせ。途中で近衛さんが弾き飛ばした敵の刀が空中で天井のくす玉を割り、紙ふぶきが修羅場の上に舞い落ちてくるという心憎い演出もあります。
 
なお、この映画にはニセ黄門一行が登場します。ホンモノとニセモノがラストで対面しますが、そのとき、ホンモノがニセモノを見て「いかん。」と一言、スタコラ逃げ出します。それで近衛をはじめとしたその場の連中や映画を見ている観客も一瞬「今までホンモノと思っていたのがニセモノだったのか」と愕然としますが、これも実はお芝居。
ホンモノと名乗ったからには早く立ち去らないと面倒なことになると踏んだのです。「ふうむ・・・あっちが本物で、こっちが・・・わからん!まったくワカラン!」最後の近衛さんのセリフいつ聞いても抜群!(キンちゃんさま 2003年3月5日)


近衛の役は、丹上右近たんがみうこん。片目片腕の有名な、丹下左膳のパロディ。
(そのため映画では、片腕のふりをしている・・キンちゃんさま談)
第二東映のオールスター映画で、大河内の黄門光圀で、実は、月形黄門より先輩で大映時代にすでに黄門役をやっている。

キンちゃんご指摘の通り、第二東映は松竹から移入の、高田浩吉、近衛十四郎、大映から大河内傳次郎、黒川弥太郎、品川隆二、など東映大川博社長が、日本映画の観客の半分はいただく、とばかり鳴り物入りで、他社の不遇な時代劇スターを集めて、第二東映は作ったものの、B級で客が入らず、現代劇にすると、ニュー東映に改めたものの、これまたダメでその年の暮れに吸収され、東映一本となる。 (快傑赤頭巾さま 2003年3月5日)


この映画は数ある近衛十四郎出演作品のなかで、『雲の剣風の剣』と並び近衛の立回りがもっとも良い映画だと個人的には思っている。ところが、オープニングの出演者のテロップに意外な名前があることにきょうはじめて気がついた。
それは梅澤昇で、この人は、梅沢富美男の父親である梅沢清の師匠。昭和初期、浅草で金井修と並び立った、大衆演劇界では近衛などが足元にも及ばぬほどの大スターだった。
戦後、男を座長に頂く一座が凋落の一途を辿ったのに付随して一座を解散。東映に入り時代劇の脇役をつとめたあと、京都の旅館の主人に収まった。
映画がはじまって42分過ぎ、刺客を率いた戸上城太郎と小林重四郎が乗り込む宿屋の主人、小柄で白髪頭の老人がそうである。  (三四郎さま 2007年8月10日)





「柳生武芸帳」(1961年3月・ニュー東映)

監督:井沢雅彦 脚本:結束信二・高田宏治 
出演:近衛十四郎、山城新伍、品川隆二、花園ひろみ、里見浩太郎      日本映画データベースさまより)

<原作について>


久しぶりに五味康祐の『柳生武芸帳』を読んだ。後水尾天皇の皇子暗殺を柳生宗矩が請け負い、その門弟が直接手を下す。だが、誰が手を下したのかは、宗矩自身にもわからない。世に「柳生武芸帳」なる巻物が三巻あり、それが揃った時点で下手人の名が判明する。そして外様、譜代大名や幕閣、はては宮本武蔵、霞の双生児忍者、山田浮月斉を巻き込んでの武芸帳争奪戦がはじまるというのが、おおまかなすじである。
この作品にはいわゆる敵役は登場しない。幕閣の土井利勝、松平伊豆守が柳生の失脚を図る人物として登場するが、これにしても、幕府を盤石に置くためには、政策の裏で暗躍した柳生を存続させることはできないという、かれらなりの正義として描かれている。さらにまた、浮月斉や霞の兄弟がなぜ柳生に敵対するのか、その理由も明かされない。いってみれば非常に難解で、映像化しにくい小説なのである。
近衛十四郎の『柳生武芸帳シリーズ』全7作のストーリーに一貫性のないのは、この原作自体の難解な点に依っているといっていい。
しかし小説『柳生武芸帳』は、綺羅星のごとくある時代小説の頂点をしめす作品として、絶大な評価を受けている。とりわけ三島由紀夫などの、いわゆる純文学の書き手からの受けがいい。
その最大の理由は、格調高い文章と、全編に散りばめられた挿話の面白さ、そしておんしゅうを越えた、剣の立合場面の素晴らしさにあるだろう。この作品は、武芸帳の謎解きこそされているものの、未完である。五味は単行本のあとがきのなかで、その後の大名のどうせいを描かなければ物語は完結しないといっている。
さらにまた、かれは、柳生武芸帳という巻物の存在はフィクションではないかというファンの問いに、抗議をしている。しかもその言葉からは、柳生武芸帳は存在していたらしい様子もうかがえる。しかし、物語は完結されることなく五味は逝ってしまった。非常に残念である。

ちなみに、五味が昭和36年から週刊新潮に連載をはじめた『柳生石舟斉』は『柳生武芸帳』の続編として書かれたもの。しかも柳生十兵衛と霞の兄弟との対決も決着がつくばかりでなく、十兵衛の死までもが描かれてあるという。
しかし、これまで一度も本になっていない。理由は差別用語が使われているからだという。 (三四郎さま 2007年1月)






「鞍馬八天狗」(1961年4月・ニュー東映)

監督:山崎大助 脚本:直居欽哉 
出演:高田浩吉、里見幸太郎、若山富三郎、花園ひろみ、山城新伍、近衛十四郎      日本映画データベースさまより)

<解説>


いまから30年以上まえ、テレビで『鞍馬八天狗』という映画を見た。高田浩吉が主演の第二東映作品で、舞台は幕末の京都。あの有名な鞍馬天狗は8人おり、そのリーダーが高田扮する勤王の志士桂小五郎(だったと思う)。そして彼らが画面せましとちょうりょうし、新選組と渡り合うという話しだった。その新選組の局長近藤勇を演じたのは、我らが近衛十四郎である。だが、内容ははチャメチャ。八天狗も実は岡田以蔵等の実在した人物で、終盤、天狗と新選組の剣戟場面に近藤が割って入るのには笑った。
しかし、面白かった。徹底的に史実を捩じ曲げ、その勢いのまま最後まで突っ走り、単純に見ていて楽しいチャンバラ活劇になっている。SF(サムライフィクション)といってもいい出来なのだ。僕はこの『鞍馬八天狗』は、『水戸黄門天下の大騒動』と並ぶ、第二東映の最高傑作だと思っている。
数年まえのNHK大河ドラマは『新選組!』だった。が、見ていて大変つまらなかった。歴史ドラマなのか、はたまたコメディなのか、見ていて理解に苦しんだ。別な言い方をすれば、話しの拵え方が中途半端なのだ。これがもし民放だったら、話しを徹底したコメディ調で押し通したのではないだろうか。
話しは徹底して荒唐無稽。しかし見終わった後に壮快感がある。こんな作品は、この『鞍馬八天狗』と『水戸黄門天下の大騒動』に『家光と彦左と一心太助』、あとは『柳生一族の陰謀』ぐらいであろうか。
ちなみに『鞍馬八天狗』での近衛の立回り、多分あれは池田屋の場面だったと思うのだが、リハーサルなしのぶっつけ本番で撮影したかのように、かなりぎこちないものだったと記憶している。(三四郎さま 2006年10月)






「赤穂浪士(創立十周年記念)」(1961年3月・東映)

監督:松田定次 脚本:小国英雄  日本映画データベースさまより)
出演:オールスター

<見どころ>

「赤穂浪士」(昭和36年)という作品があります。公開当時(今でも)、評価はあまり高くなかったそうです。わたしも配役に不満があります。けれど、このたび見直すと、大変な発見があることに気づいたのです。

まず近衛さんの演技のうまさに今さらながら唸りました。近衛さん、場面によって巧みに演技を使い分けているのです。
柳沢の御前での凛とした姿とつやのある声。
堀田隼人に喧嘩を売る(としか思えない)場面での不敵な面構えとドスの効いた声。
そして、居酒屋で堀田をスカウトするときの表情。なんと、ふにゃ〜と笑っているのです。やはり近衛さんには居酒屋がよく似合う。たとえセットでも、お銚子が並んだ飯台があって、赤ちょうちんがあって、縄のれんがある。その空気感が思わず表情に出るのでしょうね。居酒屋での清水一学、のちの兵庫や大吉をほうふつとさせる笑顔でした。

もう一つの発見は、討ち入り場面です。
実は「赤穂浪士」では、討ち入りメンバーがちょっと貧弱なのです。橋蔵も大友も錦之助もいない(ほかの役で出てしまっているから)。私が配役に不満といったのはココです。東千代介は別として、あと殺陣ができるのは、山形勲、尾上鯉之助、松方弘樹くらいです。先述した俳優と比べると、物足りないですねえ。
それをごまかすためかどうか、室内での殺陣シーンは証明を暗くして、カット数も目まぐるしい。誰が斬っているのかサッパリわかりません。ただ大勢で「ワーッ、ギャーッ、アチョーッ、」などと言って刀を振り回すのみ。
ところが、そんな中にあって、やたら殺陣の上手い俳優が二人います。誰だろうと思ってスローにして再生すると、楠本健二(近松勘六役)と南方英二(千葉三郎兵衛役)の両人ではありませんか。
そうです。かたや斬られ役・悪役専門、かたやわき役一筋。普段は地味な役にしかつけてもらえませんが、今回は浪士のメンバーに大抜擢です。
そして、もうご存じですね。この二人、実のご兄弟です。さらに、わが郷土、和歌山県の出身なんですよ。お兄様は、のちに仁侠映画の悪役、弟ぎみはチャンバラ・トリオのリーダーになって活躍しました。
ですから、兄弟そろって同じ映画で四十七士の役を演じたわけなのです。
ちょと珍しいではないですか?……でもないですかね(-_-;)。

討ち入り場面ですが、暗い室内の殺陣から、吉良邸中庭の橋上に場面転換したときにはホッとしました。近衛さんが二刀をふるって奮戦しています。「お笑いタッグマッチ」を見ていて、いきなり「笑点」を見せられたような感じです。え?比喩が分かりにくい?では言い換えましょうか。「おしどり右京捕り物車」を見ていて、突然「鬼平犯科帳」に切り替わったような感じなのです。
なんだか、浪士たちの殺陣が物足りなくても、この清水一学の殺陣だけでこの作品はもっているようなものです。

さて、ここで近衛さんに絡んでいる浪士を見てください!なんと、あの楠本・南方兄弟なのです!手数も多く、近衛さんのスピードに互角についていっているのです。ナミのカラミではできないことですよ。二人とも、装束の襟に名前が記入していますから、スローで再生すると分かります。
だけど、結局は東千代介が太刀を浴びせて美味しいところをさらっちゃいます。楠本さんは池の中に転落します。うーむ。やはりギャラの高いスターにはかなわないですね。

てなわけで、兄弟そろって近衛さんに絡んだ…というだけで、珍しくも名誉な事実ではないでしょうか……。ないか。(キンちゃんさま 2021年4月)






「怪談 お岩の亡霊」(1961年7月・東映)

監督:加藤泰 脚本:加藤泰 
出演:若山富三郎、藤代佳子、桜町弘子、三原有美子、沢村訥升、渡辺篤、、近衛十四郎

<見どころ>
あらすじは、あまりに有名なので省略です。

この映画での近衛十四郎による直助権兵衛は、『砂絵呪縛」の森尾重四郎、『遊侠の剣客・つくば太鼓」での逸見一角とともに私が一番気にいっている役です。
作品を監督した加藤泰自身も自分の映画人生をつずった著作の中で、直助権兵衛を演じた近衛十四郎について「剣戟スターである近衛十四郎氏の、渋い演技に驚いた』ということを書いていますし、私自身おなじみのニヒルな悪浪人の役や豪放磊落な素浪人役とはふた味も違う、江戸の市井に棲む卑しい小悪党を見事に演じた近衛十四郎に大喝采をおくりたいとおもいます。
      (三四郎さま 2004年8月18日)


すべての役が、いい人間であれ悪い人間であれ、生き生きと描かれているところが面白い。
伊右衛門はもちろん、人間誰しも多かれ少なかれ自分がかわいい、どの人物も、あがき揺れながら生きているものとして、ありのままに、人間くさく描かれている。

例えば、暴力をふるい傷つけたお岩のために、薬を買ってくる伊右衛門(暴力と優しさの繰り返し・・DVの典型ですね)。
病弱なお岩と貧乏に嫌気がさし、若く美しい金持ちの娘に乗り替えようとたくらみつつ、直助に「そんなに邪魔なら・・」と言われてもお岩殺害までは思い切れないでいる。
しかし、娘を伊右衛門と添わせるために「実はお岩さんに差し上げたのは猛毒薬」と告白した、金貸し・喜兵衛の残忍さに度肝を抜かれたのを引き金に、カセが取れたかのように急速にお岩を亡き者にしようと計るようになる。
直接手こそ下さなかったが、その後、自分のとったあまりに残虐な行為の反動か、正気を失い、手にいれた娘も、娘の家族も、使用人も、すべてがお岩に見えて、斬り殺してしまう。
自分の弱さを隠すために暴力をふるい、出世欲のために人を殺す、精神的な不安定さを補うために、自分の存在を、人を傷つけることによってしか証明できない男だ。

あんまを本業とし、お岩さんに薬を届けなにかと世話をする宅悦は、裏では女郎部屋の経営者、奉公に来たお岩の妹のお袖にさっそく体を売らせようとする。
伊右衛門の残虐さの前にはさすがに身も凍り、お岩に不義密通の汚名を着させよと脅されてお岩に間男しようとするが、お岩の抵抗する迫力にさえ負け、「実は・・」と白状する気の小ささ。かといって、不義密通の相手として伊右衛門に斬られそうになると、瀕死の別の男を差し出す、その場しのぎ、「ばれない程度に」善にも悪にも付く、見方によっては一番たちの悪い日和見主義の人間だ。

そしてこのちゃん演じる直助。
伊右衛門と結託してお岩の父とお袖の婚約者を殺し、惚れたお袖をまんまと手にいれたつもりが、実はお袖にしっかり手綱を握られている。
おそらく伊右衛門と同じくらい悪事の勘が働くのに、伊右衛門をせせら笑うほどに自分の弱さをさらけ出さないで正気で生きていられるのは、それだけ伊右衛門より上手の悪党と言うことか?
それなのに、お袖の同居人としては、自分で働いて稼ぎを持ち帰り、近所のばあさんをいたわることもできる、ちょっと見、真っ当な人間に見えるところが、直助の人格をさらに面白くしている。
まんまと金持ちの娘と祝言をあげた伊右衛門を脅迫し、しっかり金をせしめるが、川で拾ったお岩の櫛や着物から、伊右衛門との共犯がばれそうになると、すっぱり首を差し出す。その後お袖に協力し、お岩の敵討ちにまわるが、伊右衛門に斬られ、「直助、運がなかったね」と言葉を遺して死ぬあたりは、お袖ならずとも、どこか憎めない悪党の最期だった。
結局は、直助は、お袖と婚約者に、惚れた弱みをつけ込まれたとも言える。(この善人の二人が、一番の知恵者と言うことかも?)

お袖は、婚約者が父の殺害の汚名を着せられ、自分も宅悦に女郎にさせられそうになりながらも、同居人の直助を受け入れるでもなく、かといって完全に拒否するでもなく、うまく距離を置きながら、いつも自分を強くもち、明るく生きている。
姉のお岩が、一度は別れようとした暴力夫の伊右衛門の元で元気にしているはずはないのに、それでも物事をポジティブに捕らえようとする姿は、そうやって生きるしかないための術を身につけたたくましさ、女という弱い立場にいながら直助をうまく操る、好かれた女の強みを利用したしたたかさかはちょっと小悪魔的な魅力もある。


映画は、見えるか見えないかのような暗い白黒シーンが続き、ぼそぼそと聞こえたり聞こえにくかったりの台詞、そこに突然現れる恐怖、江戸時代に人々が感じていた物の怪の恐怖というのは、こんな感じではないかしら、と思う。


若山富三郎の伊右衛門、藤代佳子のお岩、お岩の妹で直助が片思いを寄せるお袖に桜町弘子、宅悦に渡辺篤、直助のこのちゃんと、うまい役者で固められている。
ほんとにうまい!

若富さんはこのちゃんと同じく剣豪役者で知られるが、最初から最後まで正気を失ったような、眠ったような開いたような生気のない目つきの伊右衛門を演じている。
その伊右衛門が、一旦逆上すると、ものすごいエネルギーと形相で向かってくるのが、怖さ倍増!

このちゃんは、表裏のはっきりした江戸っ子気っぷ、でもお袖にはぞっこんという弱みをもつ直助を好演している。精神的に強い(それが悪事に向かう)が、あきらめもいい。
たくらみがばれ、自分が殺したのがお袖の婚約者でなく人違いだったとしるやいなや、「もういけねえ」と、自ら首を差しだす姿や、下手ながらも懸命に伊右衛門らと闘い果てる姿は、「お袖さん、そのなよなよした婚約者より直助のほうがいいかもよ」とお勧めしたくなる。
最後の直助の、へっぴり腰で恐怖をこらえながら度胸だけでぶつかっていく殺陣がいい。
薬を売って歩く姿、川に入って網を仕掛ける姿、たばこに火をつける仕草、寝ころんでたばこを吸う姿など、町人にしては姿勢が良すぎる感も否めないが、そこは剣豪、このちゃんファンなら許せます!
このちゃんは、こんな、ちょっと憎めないような、お茶目なところが見え隠れする役が、一番お似合いな気がするが、これはもともと恐そうなお顔立ちだからかしら?


他の同名映画と同じく、ここでも、伊右衛門が自分の欲得のためにお岩さんに毒薬を飲ませ(正確には薬をお岩に届けたのは金貸し・喜兵衛だが)、さらに不義密通の汚名を着せる訳だが、この映画を見ていると、すべての人に、多かれ少なかれ、悪(エゴ)と善が同居していることに気づく。それによって、善悪よりも、皆が、善と悪の淵、生と死の淵で、あえぎながらたくましく生きているということの方が、映画の中で強い印象を与えている。     (じゅうよっつ)


この映画での近衛十四郎による直助権兵衛は、『砂絵呪縛」の森尾重四郎、『遊侠の剣客・つくば太鼓」での逸見一角とともに私が一番気にいっている役なので、実を言えばビデオでリリースされたものやテレビの深夜放送で放映されたものを含めると今まで4回ほど見ているのですが、大画面で見たことが一度もない作品でしたので非常に残念でした。
作品を監督した加藤泰自身も自分の映画人生をつずった著作の中で、直助権兵衛を演じた近衛十四郎について「剣戟スターである近衛十四郎氏の、渋い演技に驚いた』ということを書いていますし、私自身おなじみのニヒルな悪浪人の役や豪放磊落な素浪人役とはふた味も違う、江戸の市井に棲む卑しい小悪党を見事に演じた近衛十四郎に大喝采をおくりたいとおもいます。(三四郎さま)







「無法者の虎」(1961年7月・ニュー東映)

監督:深田金之助 脚本:丸根賛太郎 
出演:近衛十四郎、北沢典子、円山栄子、花村菊江 田中春男     

<あらすじ>

川越人足の寅八(近衛)らは、酒を飲んでは馬方の丑五郎(田中春男)らを相手にケンカの毎日。
今日も、この辺りのご意見番・質屋・大黒屋の「大昔、人は裸だった」という話を持ち出し、着物を着ている馬方のほうがえらいと抜かした丑五郎を相手にとっくみあいの派手なケンカ。

そこへ、寅八の仲間、辰(菅貫太郎)が息もたえだえに駆け込んでくる。
キツネ退治に宿場はずれに行ったところ、キツネが置いたと思われる角柱が倒れてきたのだという。

「よし!」と今度は寅が向かうが、そこにいたのは赤ん坊。
これはきっとキツネが化けているにちがいないと、赤ん坊を連れ帰るが、キツネはなかなか正体を現さない。
それどころか、赤ん坊のおかげで寝られない寅は、仕事中もうとうと・・とうとう、川を渡していた賀太野山(坂東好太郎)という相撲取りを川に落としてしまう。
しかし、話を聞いた賀太野山は、「キツネに化かされたと思えば腹も立とうが、天からの授かりものだと思えば腹もたつめえ。おまえさんが育ててやるんだな。」と、快く、子どものためにと寅に1両渡す。

そうはいわれても、どうやらキツネではないらしいと分かった赤ん坊は、夜も眠らせてくれないし、好きな酒もおちおち飲ませてくれない。
「拾ってきた赤ん坊をまた戻してきてどこが悪い」と、大黒屋に相談に行った寅は、ケンカ仲間の丑五郎にからかわれ、大黒屋からも、「子供ってヤツは情愛がなくては育てられない、おまえには無理だ」といわれ、つい強がって「意地と強情で育ててみせる」と、公言してしまう。

それから2年、そして4年、賀太野山がもってくる相撲人形は6体になり、酒も博打も喧嘩も止めた寅は、善太と名付けたその赤ん坊を、居酒屋のおとき(北沢典子)の協力を受け、もらい乳をしたり、熱が下がらないと高名な医者を遠くから運んできたりと、必死で育て、その甲斐あって、善太は、字の覚えもよく、年上の子どもも一目置くような、堂々としたリーダー格のこどもになった。
子供の成長に目尻を下げる寅のさまは、今や、誰が見ても善太の父親だった。

ある日、大名行列を真似て遊んでいた善太たちは、本物の大名行列に出くわす。
あわててよけようとする子どもたちをよそに、大名役の善太は、かまわず進めと聞かず、子供らは侍たちに捕まってしまう。

行列を乱して無事にすむはずはない。
考え抜いた末、寅は、善太の身代わりになることを思いつく。
「おら、どうやら本物のオヤジになれるらしい」
大黒屋にあとを頼み、おときに見送られ、寅は大名の本陣へ向かう。
そして、子を思う親の心が通じ、寅親子、子どもたちは無罪放免となる。

しかし、その祝いの席、寅は久しぶりに酔った弾みで、「善太はご落胤のこども」と話したのがきっかけで、事態はとんでもない方向へ。
それを聞きつけた、世継ぎの亡くなったばかりのさる大名の家来が寅を訪ねてくる。

寅にしては、酒の席の冗談、だが、それは冗談ではなかった。
6年前、城にあがって殿様の子供を産んだのが、賀太野山の妹。
奥方から生まれた子供より数ヶ月早かったために、気遣った妹は城を離れ、亡くなり、賀太野山に子供を託した。
賀太野山は、子供の身分がばれない赤の他人で、キツネ退治も恐れないような勇気のある人に育ててもらおうと、キツネが出るという宿場はずれに赤ん坊を捨てたのだった。

寅には納得がいかない。立派な着物を着させられた善太を見て寅は怒る。
「おまえ誰の子だ、ちゃんと別れてもこの着物がきてえというのか」
「こんなもん、いらねえや」と着物を投げ捨てた善太を抱きしめて、寅は号泣する。
「どうだ、どこから見たって俺の子だ。素っ裸になって本当の幸せがあるんだ」

その夜、寅は眠れなかった。
寅が手放せば、善太は何不自由ない十万石の若君として暮らせるのだ。
寅の気持ちは揺れていたが、「貧乏だっていいよ、ちゃんと一緒にいたい」という善太の言葉に、二人で逃げるようと決心した寅は、翌朝、大黒屋に金を作りに行く。
しかし、大黒屋に「かわいいからといつまでも縛り付けておくことが本当にいいのか。自分のわがままをがまんして子供の天分を生かしてやるのも親の情愛というものだ」
さらに、「あいつと別れるくらいなら死んだ方がましだ」という寅に、「おまえは善太のみがわりになって死んだはずじゃなかったのか。一度死んだモノが2度死ねるモノなら善太のためにもう一度死んでやれ」といわれ、動揺した寅は大黒屋を飛び出す。

泣くだけ泣いたあと、寅は、一人街道に座り、空を見上げて決心する。
「善太、ちゃんはもう一ぺん死ぬぞ」

旅立ちの日、寅とおときに連れられた善太は、寅の肩車で川を越えたいと頼む。
「さあ、しっかりつかまるんだぞ」「うん」
町の皆に見送られながら、行列は出発する。
寅につかまる善太の手を握りながら、寅は、顔がゆがむのをこらえながら川を渡っていった。(じゅうよっつ)


<見どころ>

正義のヒーローでもない、といって悪漢でもない、ちょっと一言では説明できない役どころを演じた作品があります。「無法者の虎」がそれです。
もちろん東映作品で近衛さんが主役なんですが、なにせ子供の頃にTVで放映されたのを見ただけなので、肝心のストーリーはほとんど記憶にありません。ただ、近衛さんにしては珍しい役だったので印象に残っているのです。
近衛さんの役は主人公の「張子の虎さん」。名前からして情けないのですが、川越え人足か荒くれ馬喰(現在では差別を助長する言葉かな)てな設定だったので、劇中ずっとフンドシいっちょうなのです。しかも頭に鉢巻き、確か刺青もしてたかな。顔は無精ひげだらけ。性格は短気で喧嘩っ早く、おっちょこちょい。だからセリフも「この張子の虎さんをなめんなよ!」だの「おうッ!ふざけるんぢゃねえぜッ!」だの笑えてきます。まあ今で言うフーテンの寅さんをもっと凶暴にした感じでしょうか。
で、この虎さんが、倒れてきた岩壁を馬鹿力で受け止めたとき、赤ん坊を授かります。この赤ちゃんを育てるのが、この映画の中心ストーリーだったように記憶しています。
時代劇なのに刀を差していないふんどし姿の近衛が見られる貴重な映画だと思います。もう一度、きちんと最初から見たいなあ。ちなみに、これ、原作があるらしく、昭和45年頃に大映も「狐がくれた赤ン坊」という題で映画化(勝新太郎主演)しています。(キンちゃんさま 2003年3月18日)

がさつで喧嘩っぱやい川越え人足張り子の寅八を、“剣のスター”である近衛が、全編にわたって見事なユルフン姿を見せた。
夜道で赤子を拾った寅八は、貰い乳を口移しで与えるなどして懸命に育てる。しかしその子はある大名の落とし胤だった。そして数年後に別れの時が来た。
近衛の場合立ち回りばかりが注目され、肝心の芝居を云々されることがない。しかしこの作品を見る限り、どうしてどうして、演技もなかなかなもの。最後の別れの場面、盛装した子供を肩車して川を渡る。このときに、「ちゃん、泣いてるのかい」「ちぇッ、泣いてなんかいねえよ。目に汗が入っただけでぇ」というような台詞のやりとりがあった。子供心にも、涙か止まらなかったことを覚えている。
ちなみにこの作品は、戦時中に公開された阪妻主演の大映映画、『狐のくれた赤ん坊』のリメイク。(三四郎さま 2004年9月17日)

このちゃんにしては珍しく、怒ったり笑ったり悲しんだり、感情を開けっぴろげに出して号泣する場面がたくさんある。
大名の本陣で沙汰を待つときや、善太に迎えが来た夜の行く末を悩む顔、若君となった善太を肩車に川を渡る時の笑うような泣くような押し黙った顔、感情を抑えたときの息をのむような真剣な顔との落差が、一生懸命生きている魅力的な寅になっている。
その昔、「素浪人シリーズ」が女子どもに受けたという新聞記事があったが、このちゃんは、子どもや若い女性を相手に情愛深い演技をさせるととてもいい。同シリーズがあたった原因もそんな演技が共感を得たのかも、と思ったりした。(じゅうよっつ)

大昔にテレビで見た作品で、がさつで喧嘩っぱやい川越え人足張り子の寅八を、“剣のスター”である近衛が、全編にわたって見事なユルフン姿を見せた。
夜道で赤子を拾った寅八は、貰い乳を口移しで与えるなどして懸命に育てる。しかしその子はある大名の落とし胤だった。そして数年後に別れの時が来た。
近衛の場合立ち回りばかりが注目され、肝心の芝居を云々されることがない。しかしこの作品を見る限り、どうしてどうして、演技もなかなかなもの。最後の別れの場面、盛装した子供を肩車して川を渡る。このときに、「ちゃん、泣いてるのかい」「ちぇッ、泣いてなんかいねえよ。目に汗が入っただけでぇ」というような台詞のやりとりがあった。子供心にも、涙か止まらなかったことを覚えている。
ちなみにこの作品は、戦時中に公開された阪妻主演の大映映画、『狐のくれた赤ん坊』のリメイク。(三四郎さま 2006年9月)


当時の東映の台本には必ず「製作意図」というのが入るのですが、「無法者の虎」の場合、「全ての胸の琴線に暖かく触れる感動篇として製作したい」と書かれてまして、「柳生新陰と疋田陰流の凄絶な死闘」(「柳生武芸帳」)とか「打算と非情の人斬り稼業」(「三匹の浪人」)といった殺伐とした言葉の目立つ他の近衛作品とは完全に一線を画していますね。
これは何としても見なければ!(春日太一さま 2007年6月)






「幽霊島の掟」
(1961年8月・東映)

監督:佐々木康 脚本:結束信二
出演:大川橋蔵、美空ひばり、北大路欣也、松方弘樹、丘さとみ、花園ひろみ、近衛十四郎、月形龍之介、鶴田浩二     日本映画データベースさまより)

<感想>

これはビデオで出ているのでご覧になった方が多いと思いますが、中国人の悪役を憎々しげに演じています。特筆すべきは、近衛さんが劇中、サングラスをかけたまんまということです。近衛十四郎の黒眼鏡姿、けっこうイケてました。松方坊ちゃんも出ています。(キンちゃんさま)





「千姫と秀頼」(1962年3月・東映)

監督:マキノ雅弘 脚本:安田重夫 高橋稔
出演:美空ひばり、高倉健、近衛十四郎、平幹二朗、千原しのぶ、中村錦之助   日本映画データベースさまより)

<感想>

近衛さん、健さん、そして、花見の宴で、斬られて死ぬ
チャンバラトリオの頭 南方英二さん通称喜八ちゃん(本名) この三名が、揃った映画を探すのは、苦労しました。
近衛さん演ずるは、柳生但馬守 いつもの独特の台詞回しと声が、良い 薙刀を構えて、秀忠と家康に向かって来る千姫を阻止する近衛十四郎(ここは、柳生但馬守と書いた方が良い)
私の知り合い 中村錦司さんも出演 
そして、この映画のセットを立て込んだ主任が私と一緒に働いていた 松井さん!(国府 治三郎さま)

双方(平と近衛)が演じたのは坂崎出羽守(平)と柳生但馬守(近衛)で、刎頚の友という設定です。
近衛はひばり作品では常に優遇され、この映画でも、最後に美味しい場面をすべてかっさらった(笑)
また、中村錦之助との絡みも実現されなかった。(三四郎さま)





「きさらぎ無双剣」
(1962年4月・東映)

監督:佐々木康 脚本:結束信二
出演:市川右太衛門、松方弘樹、里見浩太郎、大川恵子、高田浩吉、近衛十四郎、若山富三郎     日本映画データベースさまより)

<解説>

徳川八代将軍吉宗を失脚させようとする尾張徳川家の陰謀を、市川右太衛門扮する竜胆月之介こと播州三日月藩(実在)主森安芸守が剣で打ち砕くという勧善懲悪もので、原作は五味康祐の『如月剣士』(徳間文庫、絶版)。名作『柳生武芸帳』をはじめ、五味の小説は未完のものが多いのだが、『如月剣士』は『薄桜記』『風流使者』などとともに、完結された数少ない作品のひとつ。
とはいうものの、『二人の武蔵』の出版後十数年、結末を改変するほどの五味であるから、一筋縄ではいかない。当初は主役であると思っていた竜胆月之介は物語の途中で死に、最後は意外な人物が如月剣士として登場する。そして事件の幕引きに奔走するのは、尾張家の兵法指南柳生兵庫。
したがって、映画は原作とは似ても似つかないものである。しかし、それでも映画はなかなか見せる。
まず、右太衛門を筆頭に、近衛十四郎、高田浩吉、松方弘樹、若山富三郎、里見浩太郎、東千代之介といった、キャストの豪華なことである。正にセミオールスターといった顔ぶれだが、当時の東映はこのほかにも、千恵蔵、錦之助、橋蔵、大友柳太朗、月形龍之介、北大路欣也、進藤英太郎 などなど、枚挙にいとまがないほどの時代劇スターを抱えていた。その一部が出演しただけでこの顔ぶれになるのだから、凄いの一語に尽きる。
そして、五味の小説からそのまま抜け出して来たかと思われる、近衛の鉄閑蒲生又右衛門影忠(蒲生鉄閑)。

一歩、一歩…。
少しの渋滞もなく鉄閑は乱闘の場に接近してゆく。
「退け」
かるく言ったのと、一条の銀蛇が閃きパチンと鍔音の鳴ったのが同時。目にもとまらぬ居合い討ちに一人をたおしていた。「ぬ」
バサッとと音がして、鉄閑の下げている深編笠が、真二つに裂ける。
いつ鉄閑は抜いたのだろう。いつ鞘に収めたのだろう。
「―無、無念」
呻いて、どうと横ざまに倒れたのも浪人だった。

これは小説に書かれている、安芸守を襲う刺客を鉄閑が斬り倒す場面だが、この場面は映画にもある。近衛はこの省略された文章で書かれている殺陣の場面をロマネスクあふれる剣技で見せた。
映画のなかで、近衛の鉄閑のみ、自分より強い相手を探して諸国を流浪する剣客として、ほぼ原作どおりに描かれている。鉄閑は尾張に荷担するのだが、彼には善も悪も関係ない。ただ、月之介と剣を合わせることのみなのである。そして、「天下の平安を遮ってでも必ず抜かしてみせる」 とまでいって、月之介に剣を抜かせようとする。
この映画には悪の総本山に屯する山形勲、佐々木孝丸、原健策、坂東好太郎(悪の手下に描かれてしまっているが、これが柳生兵庫だと思われる)といった敵役が登場する。しかし彼らは死なない。月之介に斬られて死ぬのは鉄閑だけである。
立ち回りの上手さが日本一と謳われた近衛と、もし近衛がいなければ当代随一だったろうと個人的には思っている右太衛門との決闘だけに、終盤のチャンバラは迫力があった。しかも鉄閑は、月之介に斬られたあと「きさらぎ無双剣、はじめて見た―見事」とひとくさり言ってから死んでゆく。
脚本を書いた結束信二は、尾張の謀叛を縦糸にしながらも、恩しゅうを超えた剣の対決に重点を置き、ひとりの剣客の荘厳な死を描くという形に、原作の錯綜したストーリーを簡潔にまとめあげた。

そして、主役である右太衛門本人もこの映画と立ち回りは気にいっていたという話がある。(三四郎さま 2007年10月)



「座頭市 血煙り街道」にもせりざわさまのお話があります。)





「祇園の暗殺者」
(1962年6月・東映)

監督:内出好吉 脚本:笠原和夫 擬斗:島義一
共演:北沢典子、木村俊恵、千原しのぶ、佐藤慶、菅貫太郎

<あらすじ>

幕末、攘夷・倒幕派の中にも各藩の政権争いがあらわになってきた京都。
元薩摩藩の志戸原兼作(近衛十四郎)は、超党派による倒幕を理想とし、多くの奸物を斬ることで大衆を目覚めさせようと、体制側の人間を冷酷に消していく暗殺集団を統率していた。

女にも酒にもおぼれずに人を斬る「薩摩の人斬り兼作」の、その夜の仕事は、目明かし一家の暗殺。
慣れた手順で仕事を終えて出ていこうとする志戸原の前で、皆殺しにしたはずの家の襖が開く。
そこには、目と口を大きく見開き、恐怖のため立ちすくんだ少女が。少女の表情にたじろぎ、その場から逃げ出す志戸原。

そのときからだった。志戸原の周りで少しずつ歯車が狂い始めた。

ある日、志戸原の元に、薩摩から、腕はないが度胸はある、田代(菅貫太郎)という男が転がり込んでくる。
田代には、薩摩の田舎が飽きたらず、是が非でも、京で倒幕の一役を担いたいという、出世欲があった。

故郷へ帰れといさめる志戸原の言葉を聞き入れず、田代は三条川原の暗殺で滅多斬りを見せ、強引に志戸原に認めさせるが、その際、役人から田代をかばい怪我をした志戸原は、身を隠しているところを鶴(北沢典子)に見つかる。
鶴は、浪人に絡まれたという志戸原の言葉に何の疑いも抱かず、志戸原を迎え入れ介抱する。

が、鶴の家は、志戸原にとって見覚えのある家だった。
あの夜・・鶴は、志戸原があの夜暗殺した目明かし一家に残された、もう一人の娘だったのだ。

鶴は、仕立物をしながら、あの事件以来気がふれた妹の面倒を見ていた。
「氷水一杯だけやったらね」
悲しい運命を背負いながらも明るく生きる鶴の純粋さに触れ、殺伐とした世界に生きてきた志戸原は、心癒される思いがする。
鶴に問われ、思わず江戸のご家人崩れと身分を偽り、以後、何かと鶴の面倒を見るようになる。
志戸原自身、関わってはならない娘であると知りながら・・・。

志戸原は、同士の土佐藩・武市(佐藤慶)に、江戸の同士の説得に当たるように頼まれ、
田原を武市に託し、自分を思ってくれる芸者・辰路(千原しのぶ)に鶴を託し、江戸へ旅立つ。

しかし、これは、志戸原の留守中に一気に政権争いに先駆けようとする、志戸原を目の上のこぶに感じ始めた武市の策略だった。
それを知り、江戸から引き返した志戸原を最初に迎えたものは、志戸原の留守中に台頭した田代らによる三条川原の死体。
志戸原のいなくなった暗殺集団は、体制派を無計画に暗殺し続け、意見の異なるものは同士であろうと消す集団と化していた。

かわっていたのは、同士だけではなかった。
志戸原に思いを寄せていた芸者・辰路も、もはや、志戸原を待ってはいなかった。
辰路は、志戸原に鶴を託されたとき、もはや志戸原の中に自分の場所は見いだせないと絶望し、長州の倒幕藩士に身を寄せた。

そして、その辰路の口から、鶴までもが、昨夜家に帰って来ていないないことを知らされる。

辰路の世話で舞子になった鶴は、両親を殺した憎むべき倒幕派の田代と、恋に落ちていた。
志戸原の言葉も耳に入らず、田代の部屋にそのまま留まる鶴を、志戸原は、どうすることも出来ない。

むやみな暗殺を止めろという志戸原の諫言は、次第に、暗殺集団と武市にとって、耳障りなものになってくる。

そしてある日、ついにその対立が、表面に現れる。
江戸に帰る与力と御用商人を暗殺しようとする田代らを止めに入った志戸原に、武市が通告する。

「君はもう人を斬りたくないんだろう。敵でも味方でもないものはやはり敵なんだ、君はどちらを選ぶ?」

その言葉を最後に、今まで二人の話を聞いていた同士は、1人、2人・・そして志戸原に賛同していたものさえ、刀をとり立ち去る。
そして志戸原自身も、与力らの暗殺に、再び指揮をとる。

運命のいたずらはさらに追い打ちをかけた。

志戸原らが殺した与力の中には、両親を亡くして以来、鶴と妹の面倒を何かと見てくれていた与力が含まれていた。
それを知った鶴は田代を刺そうとする。自分たちが幸せならいいじゃないかと言う田代に、「汚い!」とののしる鶴。
その言葉に逆上した田代の言葉に鶴は戦慄する。
「お前はどうだ!父親を、母親を、兄を殺した男の手で救われて、舞子になったお前は汚くなかとか!」

出ていく田代と入れ違いに、与力の遺髪を届けに来た志戸原。下りてきた鶴の目は、いつもの志戸原を慕うそれではなかった。
「お父ちゃんを殺したのはあんたか!」その言葉が、剣より鋭く深く、志戸原をつき刺す。
志戸原の脇を鶴が走り去った時、志戸原は、すべてを失ったと悟る。仲間も、芸者・辰路も、そして心のよりどころだった鶴も。

深酒におぼれる志戸原の元に、暗殺を見逃してやったおえんが姿を現す。
志戸原は、絶望の中でおえんを抱くが、自害した夫の仇の志戸原と相打ちするつもりでここに来た、でも死ねなかった、と志戸原への思いを告げられたとき、志戸原は、もう一度、おえんに希望を見出そうとする。

しかし、終焉はもうそこまで近づいていた。

おえんと別れた志戸原を、田代が呼びに来る。やがて、田代が立ち止まり、志戸原は、刀を抜いた仲間らが自分を取り囲んでいるのに気づく。
志戸原の説得にもはや聞く耳を持たない仲間は、容赦なく志戸原に斬りかかってくる。

走り、転び、暗闇に隠れ、やっとの思いで追っ手から逃れる。
逃げ抜いた川原で、無我夢中で水を飲み、頭を冷やす志戸原。
「バカッバカッ」自分の運命を必死に振り払おうとするかのように、吐き捨てる。

息を整えふと気づくと、そこは、かつて志戸原率いる暗殺集団が殺戮を繰り返した三条川原だった。

その時、茂みの向こうから迫り来るかつての仲間。「バカッ、お前達は!・・・」
パーン!
乾いた短筒の音が夜の川原に響き、志戸原は倒れた。

しかし、志戸原の死は、京都の町になんの影響も及ぼさない。それは、祭りで浮かれる町とは、遠くかけ離れた小さな出来事に過ぎない。
今日も暑い日が始まる。祭りの囃子が聞こえる。
志戸原をまつ、おえんにとってさえ、やがて、志戸原のいない町が、日常になるのだろう。


<見どころ>

このちゃんは自他共に「演技が下手」と言うことになってるが、うそ!演技派です!
不器用に見える台詞が、そのまま、志戸原の生き方へとつながっている。
仲間内や辰路にさえ冷徹だと思われていた志戸原の、実は誰よりも人間的であるがゆえに苦しみ、癒しを求める内面、お鶴への愛情、そういう陰のある主人公を演じられる役者はそうそういない。この役は、当時の東映トップスターの誰よりも、このちゃんでなければ説得力がない!
映画は、志戸原の運命を変えた目明かし暗殺の現場から始まるが、そこに不気味に響く暗殺のテーマが、効果的に使われていて、志戸原を元の仲間が囲む最後のクライマックスで繰り返されるが、静かに音楽が始まっただけで胸が締め付けられる思いだ。
(以上じゅうよっつ)


目明かしの一家を襲った人斬り志戸原兼作(近衛十四郎)は偶然生き残った少女の表情が頭を離れず、苦悩する。月影兵庫や花山大吉の近衛先生とは全く違う。そう言えば「十兵衛暗殺剣」でも、相手が強敵幕屋大休(大友柳太朗)なのでかなり厳しい表情だった。今回は暗殺者の立場。
その暗殺者が人間性を持ったら、やはり仕事は出来ない。優しすぎるのだ。最後は自分が世話をした田代新次郎(菅貫太郎)に裏切られてしまう。
武市瑞山(佐藤慶)は悪いね!一瞬、現代の政治の世界も思い浮かんだ。最後の場面、もと味方だった仲間に何人にも囲まれ襲われながら、刀は抜かなかった。そしてついに田代に銃で撃たれてしまう。やはり刀は抜いていない。敢えて抜かなかったのか。
刀で近衛先生に勝てる剣士はいない、相も変わらず私は同じことを思ってしまうのです。
(百地三太夫さま 2005年9月18日)


「祇園の暗殺者」見ました。うなりました。これって、「早すぎた時代劇」ですね。おそらくはメインの映画の併映作品として低予算で製作されたものでしょうが、それにしても昭和37年に東映がこのような作品を作っただなんて信じられません。当時は下火になりつつあったとは言え、まだまだ千恵蔵や右太衛門が主演する勧善懲悪型の作品が主流だったと思うからです。あの「十三人の刺客」が登場するのだって二年後なんですよ。
で、見ているうちに、「アレ?これって任侠映画じゃん」と思いました。それも、どちらかと言うと高倉健よりも鶴田浩二が演じそうな・・・。純粋なままに自分の意志を貫こうとする主人公が、組織に押しつぶされてしまうという図式は、後年、「博打うちシリーズ」で多く見られました。
脚本が笠原和夫氏なので、それも当然でしょうが。おまけにラストでは、近衛はまったく抵抗もせず(人を斬りたくなくなったという説明では手ぬるい)、木偶人形のように殺されてしまいます。
今までの作り手の定石でいくなら、少なくとも佐藤慶と菅貫太郎の二人(不快感をもよおすような醜悪な演技!)は倒すところでしょう。これはまさに不条理時代劇とも呼ぶべき作品です。カタルシスのない点が、良質の作品なのに不当に評価されない理由ではないでしょうか。
子供が刃物を持って近衛に迫る場面はまるで「ヒッチコック劇場」です。苦悩する近衛の姿はあたかも罪に苛まれるラスコーリニコフそのものです。ストーリーが進行しながらタイトルクレジットが出るオープニングは鳥肌立つくらいに斬新でスマートです。当時、映画館でこれを見た観客はどう思ったのでしょうか。
とはいうものの、近衛の熱演は素晴らしいですね。性格俳優の片鱗を見せてくれているようです。
北沢典子に簪を渡そうとする場面の、少しはにかんだ様子など絶品でした。 
(キンちゃんさま 2004年2月23日)


近衛十四郎の『祇園の暗殺者』を監督したのは内出好吉。でも、この作品のシナリオを書いた笠原和夫は、加藤泰に監督させたかったらしい。そして夏の暑さが伝わってこない内出演出にムカっ腹を立て、会う度に顔を睨み付けてやったと、笠原本人が語っている。
先に触れた大川橋蔵主演の『幕末残酷物語』は、笠原が『祇園の暗殺者』を撮って欲しいと切望した、加藤泰が監督した。そして内容の面白さもさることながら、画面から夏の暑さが嫌というほど伝わってきた。
夏の暑さを演出させたら、日本一の監督ではあるまいか。(三四郎さま 2006年10月15日)
(南方英二さんの訃報に際して)南方英二は、チャンバラトリオを結成して以降もずっと東映剣会に籍を置いていたそうです。
いわば東映剣会の大幹部だったわけですが、近衛十四郎主演の『祇園の暗殺者』には、史上有名なテロリスト岡田以蔵に扮した南方が、兄楠本健二の演ずる本間精一郎を暗殺する場面がありますね。(三四郎さま 2010年2月27日 「祇園の暗殺者」のご感想はコチラにもあります。)



<当時の映画評>

(読売新聞 S37年6月22日 スクリーン「時代の落伍者の悲劇 『祇園の暗殺者』(東映) 地味だがしっかりしたテーマ」)
幕末の京都が舞台。薩摩を脱藩した志戸原兼作(近衛十四郎)は、佐幕派から「人斬り兼作」と恐れられた暗殺の専門家である。この優秀な刺客が人間性に目覚めたとき、それは同時に”志士失格”のときであり、彼は時代の渦巻きの中で惨めに死んでいく、と言う話だ。地味な作品だが、とにかくシナリオ(笠原和夫)にしっかりしたテーマの通っているのが強みである。
兼作のつまづきは、目明かし一家を斬り殺したとき、その惨劇を見つめていた幼女の異様な眼差しに気後れしたのに始まる。そして孤児になったその姉(北沢典子)に名前と身分を隠してなにくれと心遣いを示すようになった。(中略)殺し合いにむなしさを感じ、おえん(木村俊恵)という女と「生きよう」と思った兼作は裏切り者として土佐浪士・武内瑞山(佐藤慶)や田代(菅貫太郎)たちに殺されるのである。
瑞山という勤皇派のリーダーは冷酷な現実家で、「兼作の人間的な悩みは正しいが、それだけに目的のために邪魔だ」といい、「君は我々の敵か味方か?どちらでもない者は敵なんだ」と、大島渚作品みたいなセリフも吐く。演出は少々気負いすぎて、兼作の人間的な苦しみの内側にはいりきらなかったうらみがあるが、この時代の落伍者の悲劇は訴える力を持っている。
近衛十四郎が熱演で、ほか菅貫太郎の個性が目立つ。



<当時のポスター>

右肩から後ろにグッと睨む兼作の写真に、”近衛の豪剣とぶ”
同時上映は、大川橋蔵さんの「喧嘩道中」

「プロフィール 本で会う時代映画S37年6月号No85」にも有ります。





「勢揃い関八州」(1962年8月・東映)

監督:佐々木康 脚本:結束信二 
出演:片岡千恵蔵、松方弘樹、北大路欣也、高田浩吉、近衛十四郎、月形龍之介、山城新伍、若山富三郎      日本映画データベースさまより)

<解説>

このちゃんは平手酒造。着流しの浪人で敵側、飯岡の用心棒です。酒と結核で身を崩して、最後は大利根川の出入りで千恵蔵に斬られる(だったかな?小学の観たんでちょっと記憶が・・・)(ま〜さま)


「勢揃い関八州」は近衛さんの登場のしかたがすごいんですよね。近衛をよく理解している監督らしく、メチャクチャにカッコイイんです。茶店の床几に腰掛けてスルメを噛みながら茶碗酒をひっかける姿もじつにサマになっている。必見です。(キンちゃんさま)


平手酒造に扮した近衛さん、かっこいいです。キンちゃんさまが言われる通り、登場するや、目にもとまらぬ早業でやくざ数人を斬ってのけ、対峙する片岡千恵蔵扮する国定忠治が「おおー!」とびびっているところに「忠治か」と冷静ににらみをすえます。
この作品には松方弘樹さんも出ており、近衛さんとは敵同士、2人の会話は結構笑えます。(久米仙人さま)





「柳生武芸帳・独眼一刀流」(1962年9月・東映)

監督:松村昌治 脚本:結束信二・高橋稔 
出演:近衛十四郎、松方弘樹、宮園純子、東千代之介、品川隆二      日本映画データベースさまより)

<解説>


いわずと知れた、松竹から東映に移籍したのち、近衛の代表作となったシリーズの一本。まあ、比較的原作を尊重した作りになっており、番外を含めて個人的には近衛の立ち回りもいちばんいいと思う。嘘か本当か知らぬが、山城新伍の話によれば、十兵衛が霞の多三郎(霞の千四郎=松方弘樹か?)を救う場面で見せる山田浮月斎の手下との、正に新国劇の「殺陣田村」を彷彿させるような立ち回り、近衛もカラミも本身の刀を使ったという。(三四郎さま 2006年9月)



霞の多三郎は出てきません。弘樹の役が霞の千四郎、弟役の名前は小弥太。
三四郎様がおっしゃった「十兵衛が霞の多三郎を救う場面」で本身を使ったらしいというのは、千四郎がお寺で痺れ薬を飲まされて殺されそうになって、十兵衛が現れるというシーンでしょうか?刀がライトでかなり光ってはいましたが。
柳生十兵衛シリーズを年代順に見ていくと、2〜3年で映画の作り方が随分変化したものだとつくづく感じますが、弘樹の成長の変化も一目瞭然。
「独眼一刀流」はファンと言えども、見ていて恥ずかしい・・・・。(中村半次郎さま 2006年9月)



<毎日新聞の日曜版日曜くらぶ(「快楽亭ブラックのヒーロー回復にこの1本」)に載ったこのちゃんの柳生十兵衛評>
〜近衛十四郎の柳生十兵衛 時代劇最高の対決シーン〜
「・・・柳生十兵衛は多くのスター達によって演じられてきたが、一番はまっていたのは近衛十四郎だ。近衛は松竹で2本、東映に移って9本と計11本で柳生十兵衛を演じているが、松竹のは平凡な時代劇なので、ここでは東映作品を紹介したい。・・・(一作、二作は、古い時代劇のまま)・・・3作目の「柳生一番勝負 無頼の谷」までシリーズは低迷を続けるが、4作目から流れが変わった。(黒澤監督のリアルな殺陣の登場で、東映時代劇がウソっぽく見えてきた)遅まきながら東映もリアルな殺陣を追求するようになった。・・・リアルな殺陣ならば歴代時代劇スターの中で一番殺陣の上手い近衛十四郎の出番だ。かくしてシリーズは中盤から古典的ヒーローものから集団抗争時代劇へと変貌を遂げ、そうすることによってついに近衛十四郎の技の冴え(特に逆手斬りは素晴らしい)が目だった。・・・(作品の紹介)・・・(「十兵衛暗殺剣」の大友柳太朗さんとの対決)シーンは時代劇史上最高の対決シーンと言ってよい。・・・」
あと、快傑赤頭巾さまが前に評されたように、このシリーズでは「柳生武芸帳」とタイトルが付いてないものもあるので、「柳生武芸帳シリーズ」でなく、「柳生十兵衛シリーズ」と呼ぶと書かれてます。(椿三十郎さまより)






「柳生武芸帳 片目の十兵衛」(1963年2月・東映)

監督:内出好吉 脚本:高田宏治 
出演:近衛十四郎、沢村襄升、松方弘樹、山城新伍、新井茂子、品川隆二      日本映画データベースさまより)

<見どころ>


近衛十兵衛対品川霞忍者の対決は 必見です。
斬り合って 近衛の刀を頭で受けた品川が その刃を手で掴み 弟に扮した松方弘樹に 「早く自分の体毎 突け! この期を逃したら十兵衛は斬れん!」と云って迫るシーンでの 両雄の顔と松方のカットが早く切り替わるところなどは 後日のコンビを考えると 最後のスクリーン対決ではなかったか? もっとも 第二東映「砂絵呪縛」でも二人は対決していますが。
未見の方は 是非。
(佐々木順一郎さま)

<解説>

中村錦司さんも敵役の山田浮月斎の手下の忍者役(濁水坊)で出演してましたね。若〜!あの人にも若い頃あったんですね。両親の結婚写真を初めて見た子供の気分でした。
それから、加賀邦夫は、志賀勝さんのお父さんですし那須伸太朗もよく知っています。
この作品を撮ったのは、冬ですね。役者が、台詞を喋る際に、息が白く映ってます。この現象を防ぐには、台詞を喋る直前まで、口の中に氷を含んでおくんです。(国府 治三郎さま)






「中仙道のつむじ風」(1963年3月・東映)

監督:松田定次 脚本:鈴木兵吾 
出演:松方弘樹、桜町弘子、北条きく子、品川隆二、里見浩太郎、近衛十四郎、月形龍之介      日本映画データベースさまより)

<TVでの紹介>


「中仙道のつむじ風」、昔TVで時代劇特集の番組(1980年頃)で、「近衛十四郎VS松方弘樹 親子の対決」とテロップが出て、ナレーションは、納谷悟郎さんだったと記憶していますが、「実の親子対決、おやじの方は、本気になっているような気がする。」というセリフと、杖で松方さんをシバキまくってる近衛さんの映像をみて、「うーん。さすがプロだ」と恐れ入った思い出があります。
この番組は、雷蔵さんの「眠狂四郎」や、三船敏郎さんの「新撰組」(抜群の重量感、三船というナレーションで、田村高広さんをぶった斬るシーンでした。)
勝さんの「座頭市」など、わざと東映ものをあまり取り上げてなかったです。(久米仙人さま 2004年1月)


<感想>

たった今「中仙道のつむじ風」が始まりましたがね、びっくりしましたよ。近衛が薄田研二を斬るシーン始めて見たがな!カットしてたんかい地上波! っていうかNET!
俺が知ってるファーストシーンは、いきなり雨宿りする松方だぜ。ふう〜〜、あきれたが観られて嬉しい事。
近衛の剣は抜き打ちにすきっと薄田の首を斬ってるよね。凄いわ。ホレボレ。怖いけどホレボレ。
あと、俺は近衛が代官かと思ってたんだけど違うのね。(大地丙太郎監督 2004年1月)


今、「中仙道のつむじ風」見終わりました。もう、しあわせぇ〜です。十四郎様は一段とニヒルでしたね。
薄田研二さんの子分たちを桜の木刀(というか棒?杖?)で叩きのめすところなんか迫力充分。こわかったぁ〜。
ラストの弘樹を斬るシーンでの刀の抜きの速いこと、速いこと。弘樹に倒されるとはやっぱりおかしい。
十四郎様が弘樹を追い詰めるシーンは「手に汗を握り、ハラハラドキドキ」が普通なんでしょうが、結末を知っている私は何故かおかしくなってげらげら笑って見てしまいました。弘樹は演技でなく、本当に恐ろしかったと思いますよ。もっとビシビシ十四郎様にやられたような記憶があるのですが、時間にしてみると割合短かったんですね。弘樹が地面を転げまわったような記憶もあったんですが、違っていたわけで・・・・。(中村半次郎さま 2004年1月)


「中仙道のつむじ風」は傑作ですな。今二回目観てるんだけどさ(仕事せいっちゅーの)、音楽もいいね〜〜〜。
水辺で百太郎が「寂しくなんかねえやいっ」といった後すぐに「寂しいよお……」というカットね……。泣けるわあ〜。泣いてたも。
見どころ満載、聞き所満載(俺たちゃ地獄の料理番〜だし)のこの作品、ただもんじゃないですわ。
とにかく石切り場がかっこいいタラありゃしない。ロケーションかよ!ロケーションですけど!
あ、近衛の感想がない!
近衛の悪役は迫力満点です。たしかに松方に斬られるわけがない。納得行きませんよねえ、いつもの事だけど。
でも、斬られた時の表情、ポーズ、断末魔の声、痺れますね。
百太郎を斬った時の速さは俺も息を呑みましたね。薄田研二を斬った時もね。
それに杖の振り回し方もただもんじゃないです。凄過ぎます。怖過ぎます。
コレから石切り場のシーンもう一回観ますわ。(大地丙太郎監督 2004年1月)


『中仙道のつむじ風』見ました。ようやく。いやーよかったっす。
この時代特有のねっとりとしたカラーの色合い、美しいですね。
皆さんもおっしゃっているド頭の薄田さんを横一線で斬る刀の軌道の美しさ、ラストの百太郎との対決もスゴイです。
しかもラスト百太郎を追い詰め、恐ろしい形相で棒で乱打しながら、笑ってる声が入っていてスゴイ怖い(笑)。百太郎の怯え具合がリアルでした。棒を払われてからの抜刀の早いこと…いいものを見ました。いやぁー映画ってほんとにいいもんですね。(貴日さま 2004年1月)


弘樹の訃報に接してからこっち、松田定次が監督した『中仙道のつむじ風』を何度か引っ張り出して鑑賞してます。大敵の役で出演した近衛が最後に弘樹にメッタ斬りにされて殺され、映画館内で拍手が沸き起こったというアレ。
これで近衛扮する門倉新八が、また凄まじく怖い!
極悪非道を正に絵に描いたようで、彼が演じた悪役の中ではダントツでしょう。最後の一騎打ちの場面でも、悲鳴を挙げて逃げ回る弘樹を追う姿、最後はまるで獲物を嬲っているトラかライオンのよう。
この一騎打ち、殺陣師の谷明憲によれば、近衛は武器として用いた大ぶりな桜の枝をもって本当に弘樹を叩きまくったそうで、加えて弘樹の体をかすめた枝が岩にぶち当って弾け飛んだ破片が顔に突き刺さり、弘樹がさらに悲鳴をあげる!それでも近衛は手を緩めず、「これには、松田監督が流石に止めに入った」とは弘樹の述懐。
近衛扮する門倉新八は弘樹だけではなく、殺された親分の敵討ちに現れた尾形伸之助らも、桜の枝をもってマジでブッ叩き、殺してるでしょう。
もちろん尾形らは、厚く重ねた新聞紙もしくは週刊誌を体に巻きつけているとは思いますが、私にはマジでブッ叩いているようにしか見えません。(三四郎さま 2017年2月)





「十七人の忍者」
(1963年7月・東映)

監督:長谷川安人 脚本:池上金男 
出演:里見浩太郎、近衛十四郎、三島ゆり子、大友柳太朗、東千代之介、品川隆二  日本映画データベースさまより)

<「ザ・テレビジョン」での里見さんのお話>

一番大変だったというか嫌だったのは、お堀の水中から静かに上がってくるシーン。京都の二条城のお堀で撮影したんですけど、みなさん察しがつくと思いますが、まあ、臭いもすごいし入れたもんじゃない(苦笑)。その水中に潜って20秒がまんしてあがってきてもらいたいというのが監督からの指示。しかも最後に目を見開いて現れてほしいと。これには参りましたよ。あと、共演した近衛十四郎さんと僕はすごく親しくさせてもらっていたんです。同じ釣り仲間で共演も多かった。近衛さんの殺陣は剣の振り方が独特でとにかく絵になる。のちに、彼の息子である(松方)弘樹の殺陣をみたら、これがそっくりで。亡き近衛さんの姿がだぶってみえたことがありました。その弘樹も昨年亡くなって、寂しいですよ。(2018年7月)





「柳生武芸帳 剣豪乱れ雲」(1963年8月・東映)

監督:内出好吉 脚本:高田宏治 
出演:近衛十四郎、松方弘樹、藤純子、山形勲、戸上城太郎      日本映画データベースさまより)

<十兵衛の隻眼について>


東映の“柳生武芸帳"シリーズで、近衛十四郎扮する柳生十兵衛のトレードマークでもある眼帯は、原作者五味康祐のアドバイスによって、第六作の『剣豪乱れ雲』から“柳生拵え"の刀の鍔に換えられた。
だが、“柳生拵え"は、十兵衛の父である但馬守宗矩の甥で、尾張柳生の祖となった兵庫介利厳の三男、麒麟児とまで謳われた連也厳包が晩年に考案したもの。なので、時代が合わない。とはいうものの、十兵衛の眼帯は“柳生拵え"の鍔でなければ、ナントカを入れないコーヒーのように、しっくりこない。
ちなみに柳生石舟斎は、新陰流の印可状を、宗矩を差し置いて、兵庫介に授けている。(三四郎さま 2007年6月)

独眼竜といわれた伊達政宗の肖像画には、しっかりと両眼が画かれています。しかし、実際の政宗は隻眼でした。文書にもはっきりと記されてます。では、なぜ肖像画に両眼が画かれているのかというと、「俺の肖像には必ず両眼を画いてくれ」という、政宗本人の遺言によってです。
そして、柳生十兵衛の肖像画にもしっかり両眼があります。ですが、尾張の柳生家に彼が隻眼だったという口伝らしきものはあるものの、信頼できる資料や記録に、十兵衛が隻眼だったという記録はひとつもない。
作家の五味康祐は、『柳生武芸帳』のなかで、十兵衛は、少年時代に坂崎出羽守を殺しに行ったとき、出羽守に眼を刺されて隻眼になったとしています。もっとも、彼は以後の作品において、十兵衛の眼についてはまったくふれてません。それどころか、『柳生武芸帳』の続編とされる未刊の大作『柳生石舟斎』では、十兵衛はカッと両眼を開いて死んでいるそうです。つまり、十兵衛の場合は、実際に隻眼だったかどうかわからない。したがって、左右どちらが正しく正しくないということは、言えません。(三四郎さま)

以前(↑の記事)にも書き込んだことがあるのですが、尾張の柳生家に口伝らしきものがあれことからも、十兵衛が隻眼だった可能性はまったくないと断言することはできないと思います。
十兵衛は20歳のときに、「さることありて〜」という理由で、奈良の柳生へ引きこもってしまいます。そして、この「さること」というのが、隻眼になってしまったからと、とることはじゅうぶんにできる。理由を明らかにしていないのも、特別な事情があったからだった。
さらに、父である宗矩が死んだ後、十兵衛は八千石の旗本になっている。ところが、大身の旗本が隻眼だったというのは体裁がよくないばかりか、江戸の柳生家は、将軍の兵法指南役でもあったので記録さえ残さず、十兵衛も肖像画に両眼を画いた。
少し、都合がよすぎる話だとは思いますが…。 (三四郎さま)


>梅毒
だと私は聞きましたが。
「柳生旅日記」は昭和29年の本だそうで、なら、(以前にも書いたと思いますが)私が子供の時(昭和38,9年頃)読んだ「闇の左近」というマンガの十兵衛隻眼のエピソードの元ネタはそれだったかも。十兵衛が子供の時、修行の最中、気を抜いているのを見た宗矩がいきなり小柄を投げ、左目に当たる。もう一本、投げようとして宗矩はギョッとする。十兵衛は血の吹き出る左目ではなく右目をかばっていた。「うーむ、わが子ながら恐ろしい奴」と宗矩が呆れる、という話でした。(右京大作さま 2007年6月)





「雲の剣風の剣」(1963年10月・東映)

監督:河野寿一 脚本:結束信二 
出演:近衛十四郎、松方弘樹、桜町弘子、三島ゆり子      日本映画データベースさまより)

<解説>


この映画は、盗まれた名剣をめぐって、強者どもがぶつかり合うという話。やはり、剣戟映画は勧善懲悪ものよりも、伝奇ものがおもしろい。
この作品で近衛は、『水戸黄門・天下の大騒動』とならび、松竹の『柳生旅日記』シリーズ以上のケレン味たっぷりな剣技を見せる。そればかりではなくリアルにも見えたのは、殺陣を付けたのが足立伶二郎だったからか。剣戟場面の効果音も渋くていい。
最後の松方弘樹との一騎打ちはご愛敬だが、よく近衛のスピードについていっていた。欲をいえば、戸上城太郎をもう少し重く用い、彼との一騎打ちも見てみたかった。
ちなみに、この映画の撮影を担当した松井鴻、そのスタートは大都映画である。いわば、近衛とは“同期の桜”だった。(三四郎さま)





「続・次郎長三国志」
(1963年11月・東映)

監督:マキノ雅弘 脚本:マキノ雅弘、山内鉄也 
出演:鶴田浩二、松方弘樹、丘さとみ、佐久間良子、長門裕之、山城新伍、津川雅彦、近衛十四郎日本映画データベースさまより)

<解説>

先日、東映チャンネルで放送された、鶴田浩二主演・マキノ雅弘監督の『次郎長三国志』シリーズを通しで看ました。
ぶっちゃけ、これはマキノが東宝で撮った同名作のリメイク。
とはいえ、いいヤクザを演ずるのに鶴田は最も相応しく、大政(大木実)、関東綱五郎(松方弘樹)、桶屋の鬼吉(山城新伍)、森の石松(長門裕之)、増川の仙右衛門(津川雅彦)、追分の三五郎(品川隆二)、小政(里見浩太郎)らが子分になる経緯も、それぞれを主役に据えた銘々伝があるだけに、非常にドラマチックで面白い。

そして、忘れてならないのが、二作目である『続・次郎長三国志』に登場する近衛十四郎。
彼が演ずるのは、次郎長の剣の師でもある三州吉良の侠客・小川武一で、村上元三の原作には、

「武一は四十を越え、もと備後の浪人くずれで、剣術の指南をしているうちに博徒の親分になっただけあって、いまだに乾分たちに「先生」と呼ばせている。総髪を結び、でっぷりと肥り、酒焼けのした赤ら顔で、いつも朱鞘の大刀だけを一本、腰に打ち込んで夜は賭場を廻っている。昼間は自分の家にこしらえてある道場で、乾分たちや近所から通ってくる門弟に、剣術を教えているのだった」

とある。
豪放磊落斗酒なお辞せずという近衛を表現したようで、彼の武一は、原作の人物像そのままの、袴を履いて大刀を一本落とし差しにした素浪人スタイル。
しかも、総髪に結んだ髷が、関取のように斜めに乗っているのが粋で、立て板に水を流すようなべらんめえの喋りも、口跡が清々しい(その反面、声質もあるのだろうけれど、さようしからばの、侍言葉は柄ではない。コラッ!)。

テレビの『素浪人』シリーズで近衛との伝説といっていい名コンビになった品川隆二は、「近衛は三尺物が得意だった」と言っています。
侠客が三尺帯を締めていたことから、博徒を主人公とした演目を「三尺物」と呼ぶのですが、実際、近衛が一座を率いて巡業していた頃の演目は、「森の石松」などヤクザ者を題材にした芝居が多いんですね。
あるブログには、一座を率いて故郷長岡を訪れたさい、その舞台を看た父親から、近衛の長岡訛りが非常に耳障りだったと聞いている、と書かれています。
それほど訛りがキツかったわけで、近衛はこれを矯正するために、敢えて勢いよくべらんめえ口調で台詞を喋る三尺物を出し物にし、それが結果として得意な演目になったということかも知れず、また、これが台詞回しの個性にもなった(座員と殺陣の腕を磨いたことをも含め、もし実演時代がなかったら、戦後の近衛はどうなっていたのやら)。

ちなみに何度も書き込んでいますが、訛りを矯正できずにスターになれなかったのが、「殺陣は一流台詞は二流」の戸上城太郎です。

しかし、鶴田の『次郎長三国志』は、第三部で大政が大木実から中村竹弥に変わる。
そして、四作目では大木実が復帰するも、江尻の大熊が水島道太郎から山本麟一に交代され、二代目お蝶になる投げ節お仲、関東綱五郎、増川仙右衛門も、それぞれ丘さとみ→安城百合子、松方弘樹→曽根晴美、津川雅彦→矢野圭二へと変更されていいます。
嫌になって降板したのか、それともスケジュールの都合なのかはわかりませんが(この理由はマキノ雅弘の自伝『映画渡世』に書かれていたような気がするけれども、忘れました)、いずれにしても鶴田の次郎長一家は、非常に纏まりがなかった。

大敵も、これまでの東映時代劇の定番だった進藤英太郎、月形龍之介、山形勲ではなく、丹波哲郎、天津敏、遠藤辰雄(太津朗)が演じており、これがそのまま任侠物へとスライドしていくんです。(三四郎さま)





「血と砂の決斗」(1963年12月・東映)

監督:松田定次 脚本:村松道平 
出演:大友柳太朗、丘さとみ、河原崎長一郎、笹みゆき、佐藤慶、近衛十四郎      日本映画データベースさまより)

<解説>


(近衛VS大友の十作品について)御存知、近衛は、松竹の時代劇製作中止のため、1960年「あらくれ大名」で東映初出演。
時系列に並べると、危うし!!快傑黒頭巾、赤穂浪士、赤い影法師、暴れん坊一代、丹下左膳乾雲坤竜の巻、勢揃い東海道、十七人の忍者、血と砂の決斗、十兵衛暗殺剣、十七人の忍者大血戦の10本が大友柳太朗との共演作となる。
血と砂の決斗は、相当、期待したのに、案外あっさりと終わっちゃうのが残念。十三人の刺客のセットがあまりにも、立派に作られたので壊すのが勿体無い、と、この企画「血と砂の決斗」が作られたのであります。つまり、画面を見くらべるとよくわかるのだが、1つのセットの裏表で、二本の映画を作ったのですね。
大友を倒すのは、幕屋大休ただ一作だけど、今まで斬られてばかりいた、近衛が、はじめて斬る側になれた。今度も斬られるかと、ヒヤヒヤしながら見たので、この「十兵衛暗殺剣」は、あの汗といい、恐怖におののく表情といい、船に刺した小刀、など、迫力満点でした。
キャスティングのうまさですね。チャンバラの素晴らしさは、相手役が強ければ強いほど映画はスバラシクなる、という、見本ですね。もう一本おすすめするとすれば、才賀孫九郎対、大友、伊賀の甚伍左の対決「十七人の忍者」でしょうか。(快傑赤頭巾さま)





「柳生武芸帳 片目の忍者」(1963年12月・東映)

監督:松村昌治 脚本:笠原和夫 
出演:近衛十四郎、松方弘樹、東千代之介、藤純子、山形勲      日本映画データベースさまより)

<解説>


今年(2007年)は、柳生十兵衛の生誕400年目にあたる。
だからというわけではないが、近衛十四郎主演の『柳生武芸帳 片目の忍者』を見た。『柳生武芸帳 独眼一刀流』とともに、近衛主演のシリーズのなかで、自分がもっとも好きな作品である。
この『片目の忍者』の面白さは、柳生一族をコマンド部隊として捉え、十兵衛もそれまでの剣のスーパーヒーローとしてではなく、指揮官、兵法家として描かれているところだろう。そのぶん、近衛の特異な剣技は影を潜めた感があるが、最後、累々たる門弟の死体を尻目に敵の砦に斬り込む十兵衛の形相は凄まじい。そして、この最後の壮絶なアクション場面は、ハリウッド映画『史上最大の作戦』のノルマンディー上陸シーンを彷彿させ、かなりの見応えがある。
原作者の五味康祐は、小説を全く無視したこのシリーズのストーリー仕立てに、苦笑をしていたと伝えられる。そして剣戟スターとしての近衛は、相撲の番付で例えれば「前頭」程度との評価しかしていない。しかしシリーズ中盤から、五味のアドバイスによって、十兵衛の眼帯が柳生拵えの鍔に変えられた。この事実から、五味は、少なくとも近衛の演ずる十兵衛は気に入っていた。是非ともそのように思いたいものである。(三四郎さま 2007年1月)


<感想>

私、「十兵衛暗殺剣」とならんで柳生武芸帳シリーズではこの作品が大好きです。
最後の方の攻撃シーンの十四郎さまの匍匐前身するところを見ると、大東亜戦争に召集された十四郎様はこういうふうに戦争をしていたのかしらと想像してしまいます。(中村半次郎さま)





「三匹の浪人」(1964年2月・東映)

監督:平山了 脚本:岩晃 
出演:近衛十四郎、高津住男、進藤英太郎、三島ゆり子      日本映画データベースさまより)

<新聞記事の紹介>


畳の下から昭和39年1月29日付けの京都新聞が出て参りました。何とそこに 寒風にトリハダ 東映「三匹の浪人」びわ湖ロケ という記事が載っていました。(略)ロケ当日はカラリと晴れ上がった絶好のロケびよりながら大寒ともなれば湖面を吹き渡ってくる風はハダを刺すよう。胸もとを大きくあけていかにもじだらくな風来坊らしい扮装の三人には無情ともいえる寒風だ。トリハダになりながらもぶらりぶらりと砂地を歩く三人組にカメラは寄り、アップと執拗に追い続ける。メガホンをとる平山監督は「題名どおり三人の無頼漢には近衛十四郎さん、進藤英太郎さん、高津住男さんと、それぞれ強い個性を持った俳優さんに出てもらったので、たいへん味のあるものがつかみだされるのではないかと喜んでいます。ぼくは、殺し屋稼業のこの三人にも人間としての善性が自ずと画面ににじみ出てくるのを狙っているんですが…」と意欲を燃やす。三人組の中のボス格近衛十四郎は「今度は進藤くん、新劇から高津さんと、顔ぶれもそれぞれ異なった三人が全部主人公なんですよ。とにかく題材が気に入ったので今年最初の仕事にふさわしい出来栄えにしようとお互いに励ましあってやってますよ」と語った。
タイムリーな話題でしたので参考までに紹介させて戴きました。何とか読めましたよ。(2005年 京さま)






「忍者狩り」
(1964年8月・東映)

監督:山内鉄也 脚本:高田宏治 擬斗:上野隆三 
共演:天津敏、佐藤慶、山城新吾、河原崎長一郎、田村高廣

<あらすじ>

一人の浪人が、城跡にたたずんでいる。浪人の名は、和田倉五郎左ヱ門(近衛十四郎)
その頃幕府は、体制確立のため、ひそかに豊臣恩顧の外様藩取りつぶしを計っていた。
和田倉が仕えていた今津家同様、取りつぶしの悲運にあった3人の浪人八右衛門(佐藤慶)、新蔵(山城新吾)、弥次郎(河原崎長一郎)は、藩主危篤で今、同じ運命をたどりつつある松山藩蒲生家に雇われ、無事、家督相続が終わるよう同家を助けることになった。

幕府から与えられた、世継ぎ・種丸の家督相続認可のお墨付きを、幕府が取り上げようとする、
種丸を迎える幕府使者が松山に到着するまで、蒲生家は、このお墨付きをなんとしても守らねばならないのだ。

和田倉らは、経験上、藩内に公儀・甲賀忍者が潜んでいるに違いないと、新規召し抱え6人にお墨付き(偽物)の警護にあたらせる。
案の定、外の混乱に乗じて、お墨付きに火がつけられた。部屋には6人以外、出入りした形跡はない。
さらに、城から逃げていく怪しい男達を追った弥次郎は、明くる日、城門前で切腹し果てて発見される。その両目は針でつぶされていた。
これを、闇の蔵人(天津敏)の仕業だと確信した和田倉は、この6人中5人を次々斬り、ついに忍者1人を捜し出すが、4人は無実、1人は恐怖に気がふれる。その冷酷さは、家臣の大きな反発を招いた。
動揺を隠せない蒲生家家臣に、「こうしなければ忍者は斬れんのだっ」と、一喝、その気迫は周囲を圧倒する。

お墨付きが偽物だったと知った蔵人は、本物のお墨付きを運んだ、家老お側付きの女中・美保(北条きく子)を誘い出し責める。
しかし、美保はお墨付きの在処を吐く前に自害、すでに和田倉らによって配下の忍者の大多数を失っていた蔵人は、江戸の使者到着まで日もなく、ついに、お墨付き奪回の猶予を失う。こうなれば、目標は直接、世継ぎの種丸である。

ところが、蒲生家でも事態が一変、いよいよ明日、江戸からの使者が到着という夜、蒲生家藩主・忠知が逝去する。
葬儀は明朝。種丸は喪主として葬儀に参列しなければならない。
明日の葬儀には蔵人は必ず姿を見せるはずだ。和田倉は、蔵人を倒すために、危険を承知で種丸の参列を求める。

翌日、葬儀を終えた種丸(身代わり)の手を引きながら、和田倉と八右衛門は、行列に続き墓室に入る。
瞬間、墓守に扮した甲賀忍者が重い石戸を閉め鍵をかけ、家臣数名、奥方、種丸、和田倉と八右衛門が墓室の中に閉じこめられる。

墓室のろうそくが消され、辺りは闇の世界。
和田倉は種丸を八右衛門に託し、闇の蔵人との勝負に挑む。聞こえるのは、時折りしたたり落ちる水の音だけ。
しかし、形勢は和田倉に不利、より正確に相手の居所をつかむ蔵人に、和田倉は、足と肩を斬られ、大怪我を負う。

「和田倉、今度も俺の勝ちだな」と高らかに笑う蔵人が種丸に近づく。これをくい止めようと、和田倉は必死で這いずる。
そのとき、すきを見た八右衛門が、蔵人に飛びかかった。「和田倉さん、早く!」

足を刺された和田倉は、必死の形相で立ち上がっては、倒れ、立ち上がっては、倒れ、八右衛門が押さえ込む蔵人に向かう・・・・・
外では、墓室を開けようとする丸太の音。それは心臓の高鳴りのようにしだいに大きく速くなる・・・・・そしてついに、和田倉は、八右衛門の体ごと蔵人を刺す。同時に射しこむ陽の光。種丸は無事、保護された。
安堵と歓喜の中、和田倉は一人、八右衛門の死体のもとにしばし佇む。八右衛門の目には針が刺さっていた。

同日、江戸の使者が蒲生家に到着、無事に家督相続が成立した。
ボロボロになって闘い、使命を果たした和田倉は、仲間の浪人達の墓に黙礼し、松山城を一瞥して、夕陽の中を旅立った。


<見どころ>

「親父はラブシーンが下手」とは松方弘樹さんの弁ですが、この映画は当時にしては珍しく、ハードボイルド一辺倒の映画(一部、山城さんの役にはありますが、おまけみたいなもんです)。
で、出だしからもう、カッコいい殺陣です!蒲生藩の侍に、腕を確かめるために突如斬りかかられ、身をかわし、刀を抜き構えるこの時の美しい立ち姿、ファンは、最初から魅了されます。
闇の蔵人との戦いが劣勢に組み立てれているだけ、戦いは泥臭く、七転八倒。苦しみながら闘い、息も絶え絶えにようやく戦い終え、心身ともに重たいものを残しているはずなのに、その守りきった城にまぶしそうに一瞥すると、もはや振り向かず杖を付きながら立ち去る姿・・・
後ろ姿が、物語ります!演技は台詞だけじゃないぞ、誰がやったら、何も言わずにこれだけ感動させるかい!ってなもんです。


<京都映画祭レポより>

ゲストトーク、司会が山内監督、祐樹に質問という形式です。

(オープニングの廃城のロケは何処ですかの質問に)
「安土城です。(高いところにあり大変だったでしょうの司会の言葉に)スタッフは若かったから大丈夫でしたが、大変だったのは近衛さんです。
 もう五十何歳だったはずですから。」
(夜間撮影のことなども含めて)「近衛さんは何も言わなかった。こちらが第一回監督作品だから成功させなければと思ってくれたのでしょう。」
「十三人の刺客」では片岡さん、嵐さんがリーダーと言ってもどこか浮いた感じがあるけれど、近衛さんの場合はそれが無い。
これは28歳のときに劇団をつくり50人もの団員を引き受けていたなど若いときの諸々の苦労を経験してきた方だからでしょうみたいな話も出ました。
(中村半次郎さま 2004年9月26日) 京都映画祭レポ2へ

安土城を使ったのは、焼け落ちて廃城になって会津城にイメージ的にあうし、山之上にあるので雰囲気的にイメージに合うので決めた。
当時、山内監督は29才、他のスタッフも会社の意向で第一回の一本立ちしたばかりのが多かったので、「成功させなければと言う気持ちを持ってくださって、優しく愛情を持ってオヤジさんのように接してくれました」。
最後の廟のシーンは監督が尊敬するベテランの美術・井川さんの作=セット。
「忍者狩り」では、きれいなスターのヒーロー時代劇はやりたくない、舞踊的な時代劇とは違うものを作りたいと工夫した。幕府方の闇の蔵人は忍者、忍者は闇で動くものなのでライティングの元ではおかしいと思い、天津敏さんに、「顔は映さないよ分かりました」俺は映らないのかと言う感じで。それに対抗するグループの近衛さんにはホンモノの殺戮に見える立ち回りをしてもらいたいと、殺陣師を含めて工夫してもらった。
(大地丙太郎監督 2004年9月29日) 京都映画祭レポ3へ

「剣聖 近衛十四郎」での上野隆三さんトークショーにもおはなしがあります。

<感想>
近衛十四郎の魅力は日本映画界随一とうたわれた殺陣のほかに、時代劇俳優には珍しい、ハードボイルドが似合う特異なキャラクターである。その意味で、この二作品は近衛のキャラクターを生かしきった最高傑作であるといっていい。たりわけ『祇園の暗殺者』では、近衛は性格俳優ばりの演技をみせる。表情が豊なのた。この二作品において、近衛は大きな時代の流れに翻弄されながらも、ギリギリとひとり歯軋りをしながら闘う男を演ずる。しかも、いずれもスーパーヒーローではない。
『祇園の暗殺者』の志戸原兼策は用がなくなった途端に虫けらを踏み潰すように抹殺される人間凶器であり、『忍者狩り』の和田倉五郎左衛門は、宿敵である忍者闇の蔵人を倒す依然、すでにズタズタに斬られている。そして最後は、佐藤慶演ずる、これも蔵人のために半死半生の状態に陥っている長永八衛門がとっさに蔵人へ組みつきはがいじめにしたところを、八衛門もろともに串刺しにし、ようやく決着をつける等身大のヒーローとして描かれる。大昔、別冊宝島という雑誌上で「Oh!我らがB級映画と題し、あまり話題にのぼらない映画の特集をしたことがある。その中の対談である作家が「近衛十四郎の『忍者狩り』という映画、徳川幕府が外様大名を取り潰すために忍者を送り込み、それに対抗するために大名側は浪人を雇って戦わせるという話。これ、単純に黒澤明の映画よりおもしろい」というようなことをいっていた。(三四郎さま 2006年9月)


(カミコロさまの「日本映像学会」のお話を受けて)
「日本映像学会」の存在は恥ずかしながら初めて知りました。その機関誌は、大学の図書館の蔵とのことなので、大学の芸術学部か何かの研究紀要みたいなものなのでしょうか。筆者は大学の先生かな?是非読んでみたいですね。
ただ、インテリの方々や、大学教授あたりが近衛を語るときに、決まって「集団抗争時代劇」とセットにして論評する傾向が依然としてあるみたいですね。もちろん私は東映の「集団もの」は高く評価する者の一人だし、近衛の主演した「忍者狩り」や「十兵衛暗殺剣」に代表される後期柳生武芸帖シリーズは文句なしの秀作であると確信しています。しかし、それらを語るとき、そこには主演である近衛の価値よりも「集団もの」の特長である「政治性」に論旨が偏る危険性が含まれているとも思います。それとて、後から付加されたもの、始まりは(白黒、低予算、新人監督だったことからも察せられるように)、実験的な試みだったということではないでしょうか。近衛はただただ「いかに観客を楽しませるか、いかに自分の殺陣を堪能してもらえるか」、それを第一義的に考えていたはずです。ファンとしては、「集団時代劇だから忍者狩り!」ではなく、「近衛だから忍者狩り!それがたまたま集団時代劇だった」てなセンでいきたいのです。
 読みもしないで勝手なことばかり書きました。その意味でも、「映像学」ぜひ、一読したいものです。(キンちゃんさま)


(ラピュタでの上映会で配布されたチラシに書かれた高田宏治さんの感想について)
忍者狩りへのコメントの最後「ラスト、霊廟の中での死闘はいま観ても、痺れるわ。」本当に。(レンスキーさま)

<「伝説の殺陣集団 東映剣会 VOl3」より>

スターシステムによる時代劇が黄金期の終焉を迎えようとしていたころ、テレビの時代の到来とともに世代交代の波が押し寄せてきた。東映は時代劇再建の切り札としてスターの魅力に頼らない集団抗争時代劇というジャンルを創出し、時代劇本編の起死回生を狙った。「十三人の刺客」で、この映画の殺陣をつけながら、「もはや自分の時代は終わった」と感じたのか、剣回の中心だった足立怜二郎は中村錦之助とともに東京を去る。
次の時代を担ったのが、すでに殺陣師デビューを果たしていた谷明憲だった。谷明憲の殺陣は血みどろで汗まみれ、彼の熱いまなざしは、無名の役者にも注がれ、スター俳優により型にはまってしまった東映の殺陣を真っ向から崩しにかかる。体の内がわから沸き起こるような個の情念を、すべての役者に求めた。
スターを引き立たせる従来の殺陣か、切られ役も含めたリアリティを追求する殺陣か、剣会の方針をめぐり会員全員参加で投票が行われ、剣会はいったん解散することになった。新たに谷明憲を頂点に、正式名を「東映剣会 技能集団」とあらため、新生剣会として再出発した。
谷の殺陣に対するほとばしるような情熱は、やがて上野隆三、菅原俊夫に引き継がれて現在の東映剣会にまで届く時代劇の新しい風が吹き始めた。
「忍者狩り」で、上野隆三は新居地を切り開く。近衛十四郎主演の「忍者狩り」には、言葉では言い表せないような恐怖と狂気があった。
「先生いままでで最高の写真ですわいうたら、近衛さんご機嫌になってまた飲み直しや」
上野は気に入った脚本を見つけるとプロデューサーに直談判して作品を担当した。(2021年3月)

番組開始から10分40秒頃(VOl1)に,東映剣会の演技部名簿の中身(スターたちは東映剣会の『特別会員』だった)が紹介されていて,その中で,上段に(縦書きで)『近衛 十四郎』さんの名前がありました.
名前の上のチェック欄にはチェックマークが有るような(多分会費を収めたということか?)感じがしています. 
最初見たときに『実力的にも,もっと右側でも良いのでは?』と思いましたが,よく数えてみると右から十四番目でした. 多分ワザと十四番目にしたのでしょう. 
名簿の十四番目というのがオシャレですね!(相談屋さま 2021年3月)






「十兵衛暗殺剣」(1964年10月・東映)

監督:倉田準二 脚本:高田宏治 
出演:近衛十四郎、大友柳太朗、河原崎長一郎、宗方奈美      日本映画データベースさまより)

<疑問やら賛否両論やら、さまざまな感想>


印可状(?)を渡そうとする大休にたいし、満面の笑顔で受け取ろうとするところに違和感を感じます。ここは不信感に目を光らせる表情が欲しかったと思います。(KSさま 2006年9月)


もう何度なく、十兵衛暗殺剣を見返していますが、見方もいろいろあるを痛感しました。確かに、近衛の十兵衛を始めて、この1本を見れば、そんな風に見られなくもない。時代劇、特に、テレビ時代劇は、お茶の間で、老若男女が気軽に見るために、判り易く軽く作られたものが多い。だから、テレビ時代劇をまず見ない。映画一辺倒。
これは、ぴあ、では、柳生武芸帳十兵衛暗殺剣、と間抜けな題名になってはいるが、十兵衛を暗殺して、柳生家を倒し、天下の将軍家指南番になろうとする強敵幕屋大休一派と、闘う十兵衛の物語。五味康祐原作の柳生武芸帳ではなく、関西の大衆文芸作家、紙屋五平の原作を、高田宏治が、すばらしい脚本に仕上げた大傑作。東映は東宝黒澤時代劇に負けて、製作費を落とされ、モノクロ集団抗争時代劇に突入した頃のもの。時代劇の対決映画としても上位に入るのでは。
前後の闘いぶりからすれば、絶対に笑顔でニコッの余裕ある姿には、見えないはず。万一を考え、舟に刺した隠し剣がなければ、あるいは、負けて当然、の死闘であった。映画史上に残る一編である。(快傑赤頭巾さま 2006年9月)


大休が十兵衛に認可状を渡す時の、十兵衛の笑顔、これって、笑顔じゃないかも?とも思えました。
時々このちゃんが、遠くを見る時(例えば「忍者狩り」の最後のシーンでお城を見る時)、あんなお顔です、つまりしかめっ面(まで行かないけど)に近い方。で、不可解な時よく、口を開けてるんですよね(このちゃんって口を開ける演技が結構多いような気がします)。あれじゃないかしら?もっとも、笑ってるとも見えるんですが・・。(じゅうよっつ 2006年9月)


私も笑っているようには見えませんでした。歯が白く見えるから、ちょっとそんな感じもしますが、違うと思います。うちの小さいテレビでは判別しにくいのですが、スクリーンで見たとき(3〜4回見ました)は、そんな印象はありませんでした。
今回見直して思ったのは、例の恐怖に引きつる顔の真偽です。十兵衛の演技か、それとも本当に恐怖の顔なのか・・・・?今まで見ていてもどちらとも結論できなかったのですが、今回、「十兵衛の演技」ということで、私は決着しました。
湖賊の武器の2つを大休に投げたあと、また大休に鎹のようなものを投げて左腕に傷を負わせる十兵衛。鎹のようなものをまだ隠し持っていたわけです。
また、人間一度恐怖に落ちたら、すぐ立ち直るのは無理なのでは。というわけで、私は十兵衛の演技と解釈することにしました。(中村半次郎さま 2006年9月)


私は「十兵衛暗殺剣」をTVでしかみていないので、大きな事は言えませんが、私も「大友vs近衛」と聞き、いろんな映画評を読んでいたので、てっきり二人が、大刀でバシバシと大チャンバラを演じてくれるのかと期待してたのですが、大友さんが、小太刀(で合ってましたっけ?)なのでがっくり。加えて、残酷なシーンも多いので、「何で評価が高いのだろう?」と、正直、当時20代後半の若造の私は不満でしたが、最近、スカパーで見直して、怪傑赤頭巾さま、おっしゃる通りだと思います。東映時代劇の流れの中、健康時代劇から、残酷集団時代劇に移り、その中で、集団ではなく一対一のリアル残酷時代劇と考えれば、この作品は別の楽しみ方が出来ると思います。
最後、大友さんが、近衛さんに、利き腕に金串の様なものを刺された瞬間、得意の小太刀が使えなくなり、あせりと怒りの表情が劇中はじめて大友さんに現れる所、最高です。加えて、近衛さんはその時得意の大刀を構え、まさに逆転!私の好きな健康時代劇なら、大友さん、即効で、もう一方の手にもちかえて反撃したと思います。とどめの近衛さんの拝み打ちで、脳天を割られた大友さん・・とても痛そうですが、「やったー!」て感じです。
私は男優さんに、威圧的なオーラというか、迫力を感じる人が居るのですが、月形龍之介さん、三船敏郎さん、勝新太郎さん、若山富三郎さん、丹波哲郎さん、そして近衛さん、大友さん。一騎打ちになると上記の方々は、相手を完全に圧倒してます。こわいです。(久米仙人さま 2006年9月)


僕が『十兵衛暗殺剣』をはじめて観たのは今から20数年まえ、東京の蒲田の、それも場末にある小さな映画館でした。当時は三一書房からハードカバー版で出ていた、永田哲朗さんの『殺陣』を読んですでにこの映画のあらすじを知っていたこともあり、近衛十四郎と大友柳太朗という両剣豪の、秘術を尽くした火花が散る決闘がようやく観れると胸をワクワクさせて上映時間を待ちましたねぇ。
時代劇ではなく剣戟映画、それも自他共に許す大の近衛ファンとすれば当然のこと。しかし観終わったときは、正直「アレ」という思いでしたね。
確かに、天下の柳生新陰流に、新陰流正統を名乗る幕屋大休が挑戦する、しかも大休を演ずるのがスターの序列では近衛さんよりも上である大友だったことで、並々ならぬ相手であることを認識させるというアイデアは秀逸でした。ただ、大友を敵役にしすぎたきらいがあり、天下の御流儀である柳生、つまり強い者の哀れさがよく描かれず、また剣豪スター同士の決闘を軸に話が展開する割りには、剣の立ち合い場面もかなり地味。決着の付け方ももう少し荘厳に描いてほしかった。
そして僕がもっとも納得できなかったのは、最後の決闘場面で十兵衛が恐怖を表わにするところ。この映画の脚本を書いた高田宏治の話によれば、これは近衛さんのアドリブだそうです。僕にはこの場面、自分の映画に敵役で出てくれた大友に対する、近衛さんの敬意の表れに見えて仕方がない。それだけ話の流れのなかで違和感があり、近衛さんが主役に見えないんですねぇ。
その点が近衛さんファンとしては残念、評価が低い理由です。
ちなみに、僕は近衛さんの主演映画に関するかぎり、作品の善し悪しの判断基準は、ケレン味たっぷりの立ち回りがどれだけ見られるかにおいています。なんたって“剣のスター”なんですから!(三四郎さま 2006年9月)

近衛VS大友の十大対決とは、少しオーバー。
危うし!!快傑黒頭巾から十七人の忍者大血戦まで共演作は十本。しかし、実質的な対決は、三本のみ。十七人の忍者の才賀孫九郎、血と砂の決斗の鬼塚市兵衛、に、十兵衛暗剣である。
元はといえば、松竹高田浩吉の敵役であったのが松竹時代劇の中止で、東映へ移籍。第二東映で何本かの主役があるが、東映本線で常に脇役。大友とは、ランクが違い、唯一、十兵衛のみが主役のイイモン。だけに、十兵衛では、斬られるのではないか、と手に汗握るの迫力が満点となった。
十一本の十兵衛を見れば、また時代劇対決映画と見ても、充分、主役に私は見えたが。プログラムピクチャーは、単品ではなく、帯状の東映時代劇作品群としての流れの中にあるのではないか。
この一本は、ゆえに、近衛の代表作として、評価したいのですが、まあ、好みの違いはいかんともしがたい、ですね。(快傑赤頭巾さま 2006年9月)(快傑赤頭巾さまの「十兵衛暗殺剣」のお話は「血と砂の決斗」にもあります)


(川谷さん出演シーンについて)川谷さんは湖族たちが夜、十兵衛達の船に襲いかかる時、水中から水面に浮かび上がるシーンで水中を泳ぐ姿がそうではないかと思います。(タキシードペンギンさま 2005年1月)


(福本清三さん出演シーンについて)たまたま本棚(実はビデオ棚)の手前にあったので見てみました。たしかにクレジットはしっかり出てますね! でも最初の、じゅうよっつ様のおっしゃる柳生道場門前のシーンにはいないと思います。その前に門弟をズーッとカメラがなめるシーンがありますが、ここにも出てません。
幕屋大休一派にも出てませんね。とすると、残るは「湖族」・・・・と思って見てると、クライマックスの湖での決戦シーン(1時間11分頃〜)で湖族が船べりを叩く場面の左端で一瞬出てます!
以降、出てませんので多分あのシーンのみと思われます。
63年当時はまだまだ福本先生(笑)と言えどもその他大勢で、むしろ川谷さんと志賀さんのほうが目立ってますね(どちらも湖族で登場)
で、じゅうよっつ様の判定や如何にっ。
しかしこの「十兵衛暗殺剣」、湖の決戦も凄いし、大休との死闘も凄すぎる!シリーズ1、2を争う出来ですよね! この後なぜシリーズが続かなかったんでしょう?・・・・・・(ま〜さま)

(↑の出演シーンについて)じゃ、ビデオテープを再生してっと(クルクルックル―テープの音。正確には1時間3分頃でした、すいません)
・船上の決戦が始まる→湖族が次々襲いかかる→船べりを叩く湖族→カメラが右から左へ移動
 2隻目の船が映る(ココで止めて(笑)船の中、後方で叩いている長髪の湖族―この人だぁ!
あと、結束つながりで、小田部さん、国さん、波多野さん、平沢彰さんとかが出てるので私のお気に入りです。
あそうそう、昨日聞き忘れたんですが、決戦に臨む前、渡し場の茶店でこのちゃんが着物の両脇と背中を縦に裂くのは何の為ですか?(ま〜さま)


ま〜様
ご丁寧にお教えいただき有難うございました。でも、あの湖族が福本さんとおっしゃられても私には全然判別できませんでした。すみません。
平沢さんはしっかりわかりました。何回も「十兵衛暗殺剣」を見ていたはずなんですが、あそこにいらっしゃったのに初めて気が付きました。
あと、十兵衛が着物を裂くのは私もいまいちわからないのですが、身体を動かしやすくするためだと勝手に自己流解釈で結論としていたんですが・・・。
湖族との戦いであるわけですから、水中戦(すなわち泳ぐ)の可能性もあるということで。(中村半次郎さま)

「十兵衛暗殺剣」の福本さん、実家のテレビの大きい画面で見てもわかりませんでした。じゅうよっつ様ではないけれど、私も「カメラに向かって叩いてくだされ〜。」(テレビは良くてもビデオデッキが悪いから、画像がひどくて・・・・。)

じゅうよっつ様の疑問点(湖族が押し込んだ家の娘を十兵衛が押入れから助けだしたシーン)押入れに、あそこもなんかふしぎな場面でしたね。私も最初見たときなんで怪しいと思わないのかと思ったのですが、実は十兵衛は気が付いていて、わざと敵が正体を現すまでだまっていたと解釈しました。
娘は一人で押入れに閉じ込められていたのではなく見張りがいたから、家の住人(のふりをした湖族)は脅されて十兵衛たちに何も話せなかったということで一応「怪しさ」が消去されます。
だけど十兵衛は住人(のふりをした湖族)を怪しいと感じていたので、配下を舟に行かせても自分は残り、住人(のふりをした湖族)と娘を2人きりにしないで、湖族が正体を現すのを待っていた。
と、なんかこじつけみたいでうまく書けませんが・・・・。(スンマセン。日本語力がなくて。)(中村半次郎さま)


中村さまのご推察通りでしょうね(動きやすくする為と、このちゃんもあらかじめアヤしいと思ってたことも)うんうん、それで納得(笑)このちゃんもそう思ったんで、なにげに船に乗るそぶりを見せて、倒したんでしょうね。
中村さま、平沢さん発見、いやぁ凄いですねっ!あんな瞬間の1カットなのに(笑)しかも、キャストクレジットには載ってないんですよ(ちょっとお気の毒)
「湖族」―ですが、脚本の高田宏治著「東映のアルチザン」に詳しく載ってますよ。昔の文献を探してるうちに、”琵琶湖に古くから漁を生業として生活する一族がいた”というのを発見して「これで筋が出来た!}と小躍りしたそうです。―という訳で「湖族」が正解です。
あと、大休との決戦シーンのシナリオがなんと3ページ分くらいに詳しく載ってます。
並の脚本家なら
・ここで十兵衛と大休の壮絶な戦い―
と書くくらいで、あとは殺陣師と監督におまかせ、―が多いなかで、読んで頂くと分りますが、実に細かく、凄い! それを又倉田監督(あの忍者狩りの―)が又丁寧に描写してます。
まぁ、赤頭巾さまも仰る、作り手の”時代”もあったんでしょうね。今、あの緊張感を作るなんてとても無理ですよね。(ま〜さま)





「博徒対テキ屋」(1964年12月・東映)

監督:小沢茂弘 脚本:小沢茂弘・村尾昭 
出演:鶴田浩二、松方弘樹、大木実、島倉千代子、近衛十四郎、八名信夫、天津敏      日本映画データベースさまより)

<感想>


私の印象に残る「悪役近衛十四郎映画」は・・・。まず「博徒対テキ屋」です。これは時代劇ならぬ初期の東映任侠もの。主演は鶴田浩二。近衛は百パーセント極悪非道のヤクザの親分を演じます。しかも慣れない背広姿で。東映任侠物は、背広=ヤクザの風上にも置けない新興勢力としての悪。着流し=カタギに迷惑かけない義理人情を尊ぶ侠客としての善。という図式がありました。もちろんこの映画での鶴田は着流し。
で、劇中で鶴田は近衛を「やい、女郎屋のおやじ!」とか「俺もクズだがてめぇもクズだ」とかさんざん罵倒しまくります。「おやじ」だの「クズ」だの、近衛ファンにはおもしろくありません。ラストは鶴田との一騎打ちですが、これ、どう見ても近衛のほうが数段強そうなんです。ふたりは正式な剣法を学んでいないヤクザという設定ですので刀をメチャクチャ振り回しますが、近衛は決まりすぎてどっちが主役かわからないくらいです。そして、屋根の上に追い詰められた近衛、なんとこのとき、右手で刀を縦に構え、左手で拳を作ってグッと肘を張る、あの月影や花山でおなじみの極めつけポーズを披露してくれるのです。近衛が演じるとヤクザの悪親分も剣豪になっちゃいます。
次に近衛は、屋根の上からチラッと下を見てあまりの高さに「おおっ!」とひるむのですが、このときの演技、まんまネコに遭遇した兵庫の旦那でした。この後ふたりは相打ちになって屋根から転落します。それから、他に印象に残っている映画は、「よいどれ無双剣」の鈴木大膳。赤頭巾さまが推薦されていた「きさらぎ無双剣」と似た役どころですが、この映画での死の直前、「俺〈近衛)はお前〈市川右太衛門)の剣に負けたのではない。お前の人間に斬られたのだ」というセリフ、たまりません!他に「幽霊島の掟」や「勢ぞろい関八州」なんてのがありますが、それらはまたの機会に。(キンちゃんさま)


話は前回の「博徒対テキ屋」のつづきになるんですが、この作品での近衛さんは敵役ではなく、根っからの悪役であります。この映画が公開された時期は、「月影」第一シリーズの撮影にすでに入っていたのではないでしょうか。松竹時代ならいざ知らず、東映で主演を張れるスターになった近衛によくもこんな役を演らせたなと思うくらいの卑劣な親分を演じているのです。で、そんな親分にはお決まりのパターンですが、自分の気に入ったカフェーの女給の夢子(このへん、死語ですが、時代設定が昭和初期なので)を金の力で縛ろうとします。
その夢子を演じているのが、なんと、島倉千代子さん。ああ、島倉さんですよ!藤純子さんが仁侠映画のヒロインとして台頭してくるのはもう少し後のことですが、ああ、けどねえ、島倉さんねえ。近衛さんは、島倉が主演の鶴田と店でいちゃついてチークダンス(またしても死語)を踊るのを見て、嫉妬の炎を燃え上がらせます。眼は三白眼になって、鶴田を睨み付け、くわえていたタバコをクチャッとかみ締めてしまいます。そして、いやがらせに蓄音機のレコードを止めてしまいます。近衛ファンとしては見るに耐え難いシーンの連続ですが、近衛さん、こんな役でも不思議と楽しそうに演じているんですよね。やっぱり、ウツワがちがうんでしょう。(キンちゃんさま)





「城取り」(1965年3月・日活)

監督:舛田利雄 脚本:池田一朗・舛田利雄 
出演:石原裕次郎、千秋実、近衛十四郎、今井健二、中村玉緒、石立鉄男

<映画中の石垣について>

近衛十四郎の槍は最高の見所ですが、別の視点の見所を紹介させてください。

近衛が立てこもる砦の石垣、あれは「鎧積み」という特殊な石積みなのです。現在ではその技術は失われているとか。
10数年前に野外観察会でその石積みを見たことがあり、初めて「城取り」を見た時に、あっと思いました。その時にも掲示板にと思いながら・・・遅ればせながらの書き込みですみません。

「鎧積み 白水峡」で画像検索してみてください。砦に使われている石垣の写真も出てきます。(切り立った地形の前面に鎧積みの石垣あり)
六甲山の裏側、宝塚線生瀬駅から有馬温泉に向かう途中にあり、草木のない岩場は映画やテレビのロケによく使われています。

文章検索ではなかなかよいものが見つからないのですが、以下の兵庫県のHPの中「阪神南の街道をゆく」という記事は参考になります。

鎧積みの石垣はいくつか残っているのですが、映画に使われたのはここだと思います。私ももう一度確かめたいと思っています。(武庫川散歩さま)



<裕次郎さん〜「ザ・ドキュメンタリー」の松方さんのお話で>

近衛が石原裕次郎と共演した『城取り』という映画。
この姫路ロケへ弘樹が訪れたさい、恐ろしく長い槍を縦横無尽に扱う近衛の姿に、あの裕次郎が「凄い!」の声をあげていたという。(三四郎さま)





「主水之介三番勝負」(1965年6月・東映)

監督:山内鉄也 脚本:高岩肇、山内鉄也 
出演:大川橋蔵、天知茂、里見浩太朗、嵐寛寿郎、近衛十四郎、桜町弘子      日本映画データベースさまより)

<感想>


「主水之介三番勝負」観たがな観たがな。すげえよ、近衛の存在感。前に一度観てるって言うことは途中から思い出したけど。
近衛が主水之介を斬りたいがために本来仲間だったはずの門弟たちを斬って行く件、山内監督と近衛のコンビなだけに「忍者狩り」のあのシーンを彷彿させる狂気でしたね。
いい!いいよ!惜しいのは斬られ方。もう少し溜めてほしかった。盛り上げてほしかった。ショット的に。
っちゅーことで、一杯飲みながら観てた主水之介で、乱文失敬!(大地丙太郎監督 2005年2月)





「座頭市 血煙り街道」(1967年12月・大映)

監督:三隅研次 脚本:笠原良三 
出演:勝新太郎、近衛十四郎、高田美和、朝丘雪路、中尾ミエ、坪内ミキ子      日本映画データベースさまより)

<殺陣について>


時代劇のチャンバラシーンに、刀の峰で敵を叩き伏せる峰打ちというのがあります。テレビドラマなどでは、敵に向かって抜き構えた刀を峰に返し、敵に、最初から峰打ちとわからせたうえで叩き伏せ、その後に「峰打ちじゃ、安心せい」という台詞を吐かせるのが固定的なパターンとなっています。
しかし、正木流居合い術の宗家である名和弓雄氏の話によれば、実際の峰打ちというのは抜いた刀で斬ると見せて、一瞬のうちに峰に返し敵を叩くもので、そのために敵はばっさり斬られたと思い込んだり、もうだめだと転がりまわったりして戦闘意欲を失うのだといい、テレビドラマでみられるような峰打ちは意味がなく、最初から峰打ちだとわかっているのに「峰打ちじゃ、安心せい」といわせる台詞自体も蛇足であると指摘しています。

勝新太郎主演の大映映画「座頭市血煙り街道」に、公儀隠密赤塚多十郎に扮した近衛十四郎が、旅芝居一座の座長に扮した朝丘雪路にからむゴロツキに峰打ちを喰らわせて撃退する場面があります。そして、ここで近衛十四郎が見せた峰打ちこそ、名和氏の言う実戦的な理にかなった本格的なもので、刀を抜いて斬りかかるゴロツキに対して、コンマ何秒の渋滞もなく刀の鯉口を切るのと同時に峰が外側へ向くように一瞬刀を捩りざまに、抜き打ちで、腕、肩、首、腰、臑のそれぞれ違う部位を軽く打つように峰打ちを喰らわせ、四秒たらずの短い時間で五人までを叩き伏せています。
そして、恐怖をあらわに這這の体で逃げ去るゴロツキ達を尻目に刀を鞘に収めながら、本当に斬ってしまったのではないかと、心配そうなそぶりを見せる朝丘雪路に「心配するは、峰打ちを喰らわせただけだ」と言っているんです。
私はこの場面が大好きで、ビデオテープを繰り返し見ているのですが、見るたびに「ああ、こういうのを芸というのだな」と感心することしきりです。
このほかにも、市川右太衛門主演の東映映画「きさらぎ無双剣」で蒲生鉄閑に扮した近衛十四郎は、茶店で睨み合う竜胆月之介と刺客達の間へ割ってはいるシーンで、斬りかかる刺客役の尾型伸之介の腕ごと、腰に帯びたままの大刀の柄で押さえ込んで出端をくじき、あつという間に、その尾型伸之介の胴を抜き打ちで払い斬り倒していますが、これも近衛十四郎が見せる、ならではのチャンバラ芸のひとつです


「座頭市 血煙り街道」ようやく見る事が出来まして、現在 色々心当たりを調べております。
例の構え方の名前、これに似ているな・・・と言う物には行き当たったのですが、もう少し調べてみたい事がありまして・・・
実は中盤でこのちゃんが、すれ違いざまに役人を切る時に ある流派の極めて特徴的な動作をしていたのに今回気がつきまして、もしその流派と例の構え方の流派が同一だったら これをもう決まりであろうと思います。
現在参考文献を探しているのですが、何処にしまったか全然見つからなくて・・・・確認が取れましたら もう一度書き込みいたします。

それにしても勝新さんの逆手抜刀もすばらしい技ですね。座頭市は 勝新さんにしか出来ないキャラですね
仮に違う役者さんで新作を・・・と思っても適当な役者さんが思いつかないし・・・あのすばらしい殺陣をこなせる人は・・・・まず居ないのではないかと思います。

(後日)
さて 「座頭市 血煙街道」での殺陣ですが、とりあえずこのちゃんが役人の鳥越様を切った所のお話を致します。
このシーン 市さんが旅の途中で道ずれとなった子供の親の手掛りを聞き出すために役人の鳥越様の籠を呼び止めると言う所です。
市さんの居合の腕を思い知らされた鳥越様は、すっかり何もかも白状する気になるのですが 後ろから近ずいてきた このちゃんにすれ違いざま 横薙ぎにバッサリ切り殺されます。市さん「なぜ やくてい(不貞な役人と言う意味か?)を闇討ちなさるのです?」 このちゃん「お前には関わり無い事だ」と言いながら刀の切っ先を下に下げて、柄頭をぽんっと軽く叩いて納刀します。

実はこの時の 「柄頭を叩く」と言う動作が結構珍しい 特定の流派だけの「血振り」の動作なのです!!
普通 血振りの動作というと、刀の切っ先で敬礼をするような形を作り、そこから右下へビュンッと振り下ろす(この時足を切らないように、右足は後ろへ引いておく)動作が普通だし もっとも有名な動作です。その他に真横に振る動作をする物・鍔側を握っている右手を逆手に持ち替えて左手で刀の峰の部分を拭う動作をして逆手で納刀する物などもありますが・・・
殺陣を習っていた時、切り結ぶ時の練習はしましたが ちゃんとした抜刀と納刀の行い方が知りたくて先生に頼んだのですが 必要ない(生徒には必要ないと言う事だと思うんですけど・・・私から見たら最近の役者で正しい抜刀の動作をしてる人は殆どいないと思うのです・・・ごめんなさい偉そうな事言って・・・)との事で教えてもらえませんでした。
それが凄く不満だったので半年ばかり夢想伸神伝流居合道の道場に通った事が有ったのですが、この時習った血振りの動作は やはり右下へ振り下ろすと言う物だけでした。

さて肝心の「柄頭を叩く」血振りなんですが、昔この映画を見た時は全然気が付かなかったのですが、最近読んだ本の中に「何々流の血ぶりは柄頭を叩いて云々・・・」と言う文章がでてきたのを覚えていたので、今回もう一度見た時に「あぁ〜これは!!」と成った訳です。
さて肝心のその時の本なのですが・・・ごめんなさい!!あれから随分手元の関係する本・資料・その頃本屋で立ち読みしたであろう本を又立ち読み・果ては漫画まで 又インターネットで「血振り」「柄頭」「居合の流派」・・・などなど調べたのですが、どうしても特定できませんでした m(__)mでも確かにそう言う記述を読んだ事は事実なのです。
非常に中途半端な答えしか出せずに申し訳ありません。(無念じゃ・・・)(せりざわ ひろしさま)


朝イチで行って参りました、新文芸坐。
いやあスゴかったです。近衛さんが鬼に見えました(笑)。(貴日さま 2007年6月)

同じことばかり言いますが、でも「何度見てもいいのよねぇ〜。」の言葉になってしまうんですよね。(中村半次郎さま 2007年6月)

このサブタイ(「銀幕の前で泣いていた」)がすべてです。
今まで幾度となくとなく見た「血煙街道」。いや、ラストの殺陣シーンは幾度どころではありません。しかしスクリーンで見るのは初めて。集中度が違う。
最初五人くらいの連れを予定していたのですが、最終的に誰も来れなくなってふたり連れ。でも結果コレが良かった。とにかく銀幕に集中しました。
いろいろあるけどとにかく最後の雪の立ち回りでは息も出来なかった。
みなさんいろいろ泣き所はあると思いますが、大地は近衛の「役目に慈悲はかけられん」のセリフで自然と涙があふれ出しました。この涙の分析は野暮なので致しません。
しびれた。とにかくしびれた。
最初直帰の予定だったけど、飲まずにいられませんでしたね。
今まで飲んで若い連れ(近衛初体験のご婦人)相手に語りまくってきましたよ。ああ、すっきりした(笑)。

かなり興奮しました。銀幕の威力はスゴイ。ここで語りきれない分は「チャンバラナイト」で語ると思いますわ。
ちなみに隣にいた若い女の子は市のコミカルなセリフやリアクションにいちいち声を出して笑い、最後は感動の涙。
そのまた隣のお母さんらしき人が「ね、いいでしょ」って言ってました。
いいお母さんだ。いい娘だ。 (大地丙太郎監督 2007年6月)

チャンバラナイト」で話題になった、「座頭市血煙り街道」の世紀の対決シーンですが、大地も知り合いのアクション俳優Yから「アレ、ふたりとも本身だったらしいですよ。狂ってますよね」って聞いてました。
実はそれを聞いて、「いくらなんでもそれはないだろう」と思ってました。(その後1989年版「座頭市」で勝新は例の事件を引き起こすわけですが。当時の報道は実に曖昧で諸説あって、大地は最終的にナニがどうなってそういう事故になったのかは把握してません)
「血煙り街道」では確かに剣のアップは本身かと思ってました。しかし、いくらなんでも実際の立ち回りで使わないだろう、と思うのが常識ですよね。
しかし、今回も原口智生さんの証言で、少なくともバルサ製の丸太を斬るところは実際に真剣でないとあんな斬れ方はしないと確信しました。しかも、原口さんは映画の現場伝えでその話を披露してくれました。

それでも、実はあの時大地は、壇上からも「ソレはないだろう」と、まだ思っていたんです。しかし、今思い直しました。あのふたりなら、それで出来たんだと。
真剣を使って、もしものことがあったらどうするんだ、というのが素人の考え。「あ、イケね、失敗した、今のもう一回ね。」なんてコトで作ってるのが映画の作り方だと思うのが普通。
でも、あのふたりは信頼し合えていたんじゃないでしょうか。確信もあった。あらゆる緊張感の演出のために、ソレをやったとしても不思議じゃないと思えてきました。
そして、いままでその考えに到達しなかった自分に、まだまだ近衛を語るには甘いと感じました。「本気でチャンバラにすべてを掛けた人なんだ」と、さんざん語っておきながら、まさかそこまで、と思っていた自分の見識の低さに気付きましたね。
あのふたりだったら出来ることなんです。うん、身震いします。
そして、1989年版「座頭市」で、勝新はあの近衛とやったコトをもう一度やりたかったのではないでしょうかね。そこに勝新の甘さがあったわけです。
アレは、勝新と近衛でなくては出来なかったことなんです。勝新は、勘違いしてしまったのではないでしょうか?
いや、あくまでも大地の想像です。全然違うかもしれないし、情報もまだ不確かなのではありますけど。
「吾が生涯、竹光とともに」と色紙に書き残した近衛が、一世一代、真剣を使ったとしたら、ソレは真のチャンバラアーティストだったのだと思います。(大地丙太郎監督 2007年7月)


大地監督
ご意見、ごもっともです。私も一言。
>しかし、いくらなんでも実際の立ち回りで使わないだろう、と思うのが常識ですよね。
今の私たちの感覚ではそうなるでしょうね。
でも、戦前は本身で立ち回りしたこともあったと聞きます。戦後、銃刀器は『特別な方々』が持つものになりましたが、戦前というか、十四郎さまはじめ軍隊経験者の方には割りと『身近』なものだったのでは。ですからこそ、その取り扱いに対しては慎重であり、畏敬の念を持っていたと考えられます。
勝新さんは昭和6年生まれと微妙ですが、少なくとも十四郎さまは本身の立ち回りで自分は仮に傷つけられても、「相手を絶対に傷つけない強い自信」はあったはずです。いや、「傷つけられる」ような「ヘマはしないという自信」も充分あったはず。
>「あ、イケね、失敗した、今のもう一回ね。」なんてコトで作ってるのが映画の作り方だと思うのが普通。
これもビデオが普及したがための今の感覚。
(だから、NG大賞なる番組もできるわけ。)
まだまだあの当時はNGなどたやすく出せませんし、出す人も少なかったでしょう。先輩後輩の上下の差も厳しかったのですから、先輩相手にNG出したら大変なもの。
凄いのは本身を使うという緊張感のなかで、それに圧倒されずに立ち回りが演じられていることでしょう。
勝新さんの事件云々は私も詳しくは知りませんが、あのとき、現場に勝新さんはいなかった、本人も本身と知らなかったとの話だけ新聞で読みましたが・・・。(中村半次郎さま 2007年7月)


「座頭市血煙り街道」のあの立ち回りシーンは本身だったんですかっ。・・・あり得るかも。近衛十四郎が鯉口をきるシーンは本身だと思っていましたが。
刀のアップは本身で撮ると、大映京都で活躍した中村玉緒さんがインタビューで答えていらっしゃいました。だから市川雷蔵も親指と人差し指の間が切れているのを見たことがあるそうです。
で、映画の立ち回りが全て竹光かというと、見ていて「?」って思うこと、あるんですよね。
雷蔵の映画で恐縮ですが『薄桜記』では、雷蔵に向かって振り下ろされた刀が石段に当たった瞬間、火花が飛び散るシーンがあるし(竹光で火花は飛びませんよ ねー)、『新撰組始末記』でも階段だか戸棚だかの角が、すっぱり切り落とされるシーンがあります。『血煙り街道』では小池朝雄扮する親分ちに乗り込んだ座 頭市に斬りつけた用心棒の刀が鴨居にひっかかるシーンがありますが、あれも竹光じゃないんじゃないかなー。
・・・というわけで、実は知らないだけで、本身でチャンバラやっているんじゃないかと私は思っています。
『血煙り街道』の、あのチャンバラシーンは、私の中でベストのチャンバラシーンです。ものすごい緊張感。先月の新文芸座の上映も見ました。息がつまってしまいました。本当にすごい。あの緊張感といったら!ほとんどワンカットで撮っていますよね。やり直しがきかないってことじゃないかな。
途中で高田美和が子供をかばいながらブルブル震えているシーンが入りますが、あれは芝居ではなくて本当に怖くて震えているとずーっと感じていました。目の前で真剣勝負(本当の意味で)が行われているんだったら当然と納得です。
近衛十四郎が、座頭市が振り下ろした刀を背中に回した刀でガッシリと受けるシーンがありますが、あんなの、普通の感覚ならできないですよ。はぁぁぁ。
(あやこさま 2007年7月)


「座頭市血煙り街道」見直してみました(歌のところは早送り) 本身だったんだと知ると何とも言えない緊張感(私が)で思わず「はぶない!」危ないと言ってるつもり・・・勝新も好きなのでなんかホッとした、不思議な気持ちになりました。<総理大臣の代わりはいても俺の代わりはいないんだから・・>って勝新が言った時、私も<そうだ、そうだ>と思ったものです。
そうそう「博徒一代血祭り不動」も、ものすごい緊迫感だったけどあれは雷様の遺作だったからでしょうか、顔色がだんだん悪くなってくるのがわかりますものね このちゃんもわかっていたのでしょうね。また泣きそう・・。(のりりんさま 2007年7月)


それから、例の「血煙り街道」の真剣の話ですが、その後近しい方に聞くと諸説ある様です。アップだけだったとか。
つまり、まだ謎……?
ですから、以前の書き込みは、あくまでも、うわさ話に対する大地の想像、空想ととらえておいて下さい。
(大地丙太郎監督 2007年7月)



なべおさみさん扮する大工が市に自分の顔を説明する時「眉毛が濃くって、目はきりり、鼻筋通って・・・」などと言っていますが、この指示の通り似顔絵を書くとこのちゃんの顔になりますねえ。大映、そして勝さんの客人(近衛さん)をもてなす心意気が感じられるようでうれしいシーンでした。
(タキシードペンギンさま 2005年2月)


これも昔、ほんの少し聞いた話ですが、近衛さんと勝さんの殺陣のシーンだけは余人を入れさせず二人だけで殺陣を組み立てられたそうです。出来上がりを見てスタッフ一同も皆、意気を呑んだとのことでした。私もストーリーでは近衛さんの赤塚は任務を果たせず負けたが、殺陣は勝っていたと思っています。映画館で観た迫力は忘れられません。(京さま)


久米の仙人様がご紹介下さった京都ヒストリカ映画祭、「座頭市血煙り街道」みてきました(2014年12月13日上映)
対決シーンでは客席も息を呑む感じで緊張感に包まれ、終映時には拍手が起こりました!
その後、久米の仙人さまが本も紹介してくださっている、「るろうに剣心」のアクション監督、谷垣健治さんのミニトークがありました。
聞き手は東映の高橋剣さんで、二人とも感動の面持ちで「マスタピースだ、マスターピースだ、今みても素晴らしい。質感といい。三隅監督はもっと評価されていい。」と絶賛。その後、話は色々なところへ飛び、身振り手振りも交えて熱く語ってくださいましたが、私の能力知識では三割程度しかついていけなかったという感じでした。「場を縦の狭い空間でやると、名作が生まれ易い。」「逆手と順手では相手との距離感も違う。近衛さんが背面へ刀をまわして受け止めるのはかっこいいと思われてるが、腕を掴んで背後から近接して責めてくる座頭市の動きに長い刀で応戦するにはああなる」といったようなことも言っておられたように思います。またあのクライマックスの対決シーンを「わずか3カットで撮っている、普通では中々できない、自分なら300カットぐらいで撮るだろう、特に○カット目(聞き取れず)が凄い。実際にどれくらいの時間をかけたんだろうか。ワンテークだったらほんとに凄い。あの二人だから。」「月影兵庫のころで東映の粗末なセットで撮っているのをみた交渉役の人が、立派な映画美術の大映からの申し出を必ず受けると思ったらしいですね。」といったようなことがトークの一部だったように思います。
他にも若山さんの話やら、香港映画の話やら縦横無尽でした。谷垣監督は1970年のお生まれ。客席には平成生まれと思われる若い方も相当程度みえていましたし、座頭市は外国でも人気があるとのことで、世代や国を超えてみられるかと思うと嬉しい。チラシにも2人の対決シーンは日本映画史上最高とも呼ばれている。と書かれておりました。(レンスキーさま 2014年12月)


ラジオ深夜便(2018年6月3日放送)で目黒さんが勝新さんのことを話されている中にも、このシーンのお話があります。


<美術監督・下石坂成典さんのこと、など>

一緒に働いていた美術監督の下石坂成典さんは、素晴らしい才能の持ち主です。
大映で、眠狂四郎シリーズの美術監督としてご活躍されていました。検索サイトで、調べてあげてください。しかし、私も彼も仕事以外では、ただの酔っ払いでよく大映通りで、二人してひっくり返っておりました。懐かしい思い出です。
 (2015年1月 国府 治三郎さま)

私の最も信頼出来る美術監督の下石坂成典さんが、大映時代に制作に携わった座頭市シリーズの第17作 座頭市血煙り街道
あの作品の最後の場面  多十郎は、市に一言 負けた と言い残し折から降り出した 雪中を足早に去って行く  
この場面について下ちゃんは、酒飲んだ時に あの作品、観てくれた、ねぇ観てくれた、あれ良かったでしょう。と しつこいくらいあの場面が、気に入るっていたみたいでした。
みなさんは、ラストの打ち合わせなし アドリブで行われたという伝説の殺陣の方に関心があると推察されますが、その真相、今思えば 下ちゃんに聞いておけばよかったなぁーと後悔してます。その話の時は、正直また始まった 酔っ払いの思い出話やーとしか思いませんでした。 (2015年1月 国府 治三郎さま)

ラストの勝さんと近衛さんの殺陣は、伝説の殺陣ですからついでに、そのバックに映っている塀、静かに降り積もる雪あれは、下石坂成典美術監督(しもちゃん)一押しの名セットです。
あの塀は、しもちゃん得意の塀なので、通称下塀(しもべい)と我々は読んでいました。 (2015年1月 国府 治三郎さま)

座頭市 血煙り街道 ラストの殺陣をご覧になる際の注意事項
何度も繰り返しますが、あの殺陣は 打ち合わせなし アドリブで行われた言われている伝説の殺陣です。
静かに降り積もる雪 これは、静    殺陣の名人二人による一対一の動の対決 その静を表す雪を引き立たせる薄墨色の しも塀
勝さんのアップ その対比の近衛さんのアップ 繰り返す 時折、高田さんのアップも入れる 戦い終わって近衛さんが正気に戻り
カメラ 引き 二人の全体のアングル そこで、近衛さん 一言  負けた
はーいOK  (2015年1月 国府 治三郎さま)

家の嫁はんは、映画には興味はあまり無い人なんですが、美術に関しては結構うるさい人です。映画の感想と言うか、しも塀の感想
雪を引き立てようと白じゃなくて黒にして、その黒も塀が目立ち過ぎない様に薄墨色に抑え、屋根も瓦や木ではなく あえて手間のかかる柴ぶきにしているところがいいね この塀作るの手間とお金が、かかったでしょうー この塀 設計したのお父さんの知り合い? この方 良い腕してるわー(2015年1月 国府 治三郎さま)





「博徒一代 血祭り不動」(1969年2月・大映)

監督:安田公義 脚本:高田宏治 
出演:市川雷蔵、近衛十四郎、亀井光代、長谷川待子      日本映画データベースさまより)

<キネマ旬報のインタビュー>

キネマ旬報最新号『特集 市川雷蔵―虚無と一抹の哀愁に、恋する』
雷蔵、37年の生涯|D夭折の章
最後の雷蔵
遺作『博徒一代血祭り不動』
高田宏治インタビュー
取材・文=伊藤彰彦       より

映画『博徒一代血祭り不動』が、市川雷蔵の遺作であることに不満を覚える者は少なくなく、監督の安田公義は、「遺作がやくざ映画で残念やった」と高田宏治に語り、当時の企画部長土田正義も、雷蔵が「鶴田(浩二)の二番煎じをオレにやらすんか」と、最後まで出演を嫌がったと打ち明けた。
その理由は、東映任侠映画の模倣だからである。

しかし大映の社長永田雅一は、凋落した会社を建て直すため、五社のトップをひたすら走る東映のお家芸、任侠映画をわが社でもやろう、と藁にもすがる思いで考える。
そこで、企画部長ね土田から社命を受けた、脚本家八尋不二の子息八尋大和は、東映の脚本家に任侠映画を書かせようと、高田宏治に白羽の矢を立てた。
「脚本家の一番手である笠原和夫や村尾昭に頼むわけにはいかん。二番目の高田ならやりおるんやないか、と八尋さんがかんがえたんやろ」と、白羽の矢を立てられた高田は推測しているが、古巣からの風当たりは強い。
それでも雷蔵の直腸ガン療養からの復帰作と聞き即座にオファーを受け、相手役に、集団抗争時代劇で仕事をした近衛十四郎を推薦した。

企画会議がはじまり、雷蔵の任侠映画には既に『若親分』シリーズがあったが、八尋は新シリーズを打ち出したく、高田が「雷蔵の口跡が活きる長谷川伸の股旅モノでいこう」と提案。
『博徒一代血祭り不動』の撮影が一九六八年末からと決まると、土田は、退院後リハビリにつとめる雷蔵を自宅へ見舞い、「これをやったあとはやりたい作品をやらせるから」と説得し、深秋のある日、第一稿を書き上げた高田が大映京都の企画室を訪ねた。
原稿を読み終わった雷蔵が、「やらしていただきます」と折り目正しく頭を下げたと、高田は回想する。

十一月、『眠狂四郎悪女狩り』撮影終了後、すぐに『博徒一代血祭り不動』に取りかかったものの、雷蔵は盛んに腹痛を訴え、一九六九年二月、 次回作『千羽鶴』の衣装あわせのあと、再び入院。
すでに直腸ガンは肝臓にも転移しており、念願だった『あゝ海軍』や『春の雪』に主演することなく、七月十七日に力尽きた。

以下、全文

しかし、雷蔵が遺作でふたたび長谷川伸の世界に帰り、最後の共演者が近衛十四郎であったことをせめてもの慰みとしたい。
この映画の白眉は降りしきる雪の中での雷蔵と近衛の死闘だ。
舞台の新潟ははからずも近衛十四郎の故郷である。
その近衛が雷蔵に、「生きているうちにおめえさんと来れてよかった」とつぶやく場面には胸を衝かれる。
そして、雷蔵百五十九本目のラストは、軒下まで雪に埋もれた町を亀井光代を置きざりにして画面の向こうに立ち去る雷蔵の背姿だ。

「これから先々けっしてあっしを探すんじゃねえぜ。縁があったらまた会える」

高田宏治が近衛十四郎のために書いた台詞が、背中を向け消えてゆく市川雷蔵への手向けのようにわたしには聞こえた。

と、記事は結ばれています。(三四郎さま 2014年12月)





「日本やくざ伝・総長への道」(1971年3月・東映)

監督:マキノ雅弘 脚本:高田宏治 
出演:高倉健、若山富三郎、鶴田浩二、松方弘樹、近衛十四郎、大木実、木暮実千代      日本映画データベースさまより)

<感想>


節操のない私は高倉健も大好きで、任侠ものもたくさん見たつもりでしたが、これは未見。ワクワクしつつ東映マークを眺めているうちに映画が始まりました。すると、開巻いきなり聞き覚えのある声が・・・。ありゃりゃ、我らが近衛十四郎さんが出てるじゃありませんか!「日本大侠客」や、ベストの悪役を演じた「博徒対テキ屋」などの任侠ものに出演していることは知っていましたが、「日本やくざ伝」に出ていたとは知りませんでした。いやあなにかとても得した気分です。
近衛の役は善玉の大親分。出番は少ないですが、クレジットは単独でラストから二番目。オールスター映画でこのポジションはいいセンですよね。ちなみに、トップが高倉で、ラストは鶴田浩二です。ザンギリ頭の近衛さん、ちょっとオツなものでした。天津敏と正座して談笑する場面があるのですが、あいかわらず背筋がピンと伸びてカッコいいんです。よく見ると、膝にのせた両腕もまっすぐなんですね。カッコよさの秘密はこれだったのです。正座ひとつにでもその役柄(大親分だったり剣豪だったり)をにじませる・・・すごいもんです。
ただ、現在オンエア中の「花山」よりもずいぶん以後の撮影らしく、近衛さんの表情があきらかに衰弱していて、少し痛ましいのが気になりました。糖尿病が進行していた頃だったのでしょうか。
なのに、ファーストシーンでは大声で「バンザーイ」と叫ばされるんです(出征兵士を見送るシーン)。近衛さんも迫真の演技で、青筋立てて絶叫していましたが、あの演技さえなけりゃ近衛さんもあと3ヶ月くらいは寿命が延びたかもしれないのに。あんな演技をさせたマキノ雅弘監督をあたしゃ
怨みます。(キンちゃんさま)



わたしがまだ子供のころ、近所にあった「並木座」という映画館では、スピーカーを通して上映作品の音声を表に流すのを集客の一手段としており、この『日本やくざ伝〜』がかかったときにもそれは同じ。なので、学校帰りに道路を挟んだ映画館の向かい側に立ち、ずっとスピーカーから流れてくるセリフを聴いていたのを覚えています。聴いた近衛のセリフは、「大宮、おめえ何を言うんだよ」でした。

まあ、これは子供の頃の懐かしい思い出だけれども、いま改めてこうして観ると、オープニングタイトルバックの、近衛と大木実、健さんが並んで御輿を眺めている映像は、ファンとしては流石に感無量。
しかし、東映任侠映画末期のモノだからなのでしょうか、作品に全盛期のようなバイタリティが感じられず、そもそも脚本の筋が混迷しまくっているせいか(近衛と遠藤・天津の一家が対立していると設定すればよかった)、マキノ雅弘の演出も冴えがなく、嵐寛寿郎と木暮実千代の扱いの酷さに至っては、目も当てられない。

その上さらに残念なのが、近衛と健さんの絡みが少ないこと。
とりわけ、近衛は途中から全く顔を見せずに映画が終わるのは、これが初顔合わせにしては非常な寂しさを感じさせますが、もともとの脚本がそうなのだから仕方がない。
その意味において、近衛は明らかに特別出演。名前の登場順も、留めの鶴田浩二のひとつ前で、しかも一人だけ。天津敏と遠藤辰雄に挟まれている嵐寛寿郎よりも、格上あつかい。
加藤剛の大岡越前でも思ったんですが、やはり近衛は、テレビの素浪人シリーズで、押しも押されもせぬスターにのし上がったんですね。

この映画は、近衛が出征する子分に「恐れおおくも、お前たちは天皇陛下の赤子(せきし)となるんだ云々」の言葉をおくり、両手を力強く天に突き上げて張り裂けんばかりに万歳の声をあげる場面から始まりますが、以前にどなたかがされていた、「この軍国主義が近衛の命を縮めたのだ」というような書き込みには、いまでも思い出し笑いをさせられます。
近衛は糖尿病療養中のさいの出演だったのでかなりやつれており、大声を張り上げるのは相当にキツかったでしょう。
もし元気だったならば、凄みを利かせた大敵の役で出演し、健さんにバッサリと斬られる、なんていうのが見れたかも知れません。

追伸
もう幾つめなのか、この『日本やくざ伝〜』も、アップで撮っている俳優の肌の色が濃くなったり薄くなったりと、この会社の作品は観ていて非常なストレスを感じます。
この会社の自社の作品に対する責任のなさ、フィルムの管理の悪さについては色々と話を聞いているけれども、だいぶ前に観た大川橋蔵の『用心棒市場』という作品で顔が青色になったのには、「こんな粗雑なのをよく金を取って見せるもんだ」と、さすがに腹が立ちました。第二東映作品の放送を期待するのは、無理なのではないでしょうか。
(三四郎さま)





前ページへ
 / 次ページへ / ホームへ