プロフィールに載せた写真資料は、すべて、北海道古典映画研究会の稲田博さまが収集されたものです。(*を除く) 稲田さまのご好意により、使わせていただいておりますので、無断転載はご遠慮くださいませ。 |
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大都時代2大都映画移籍から実演に移るまで。 |
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東龍子・近衛十四郎 (左・上) 「七化け蜥蜴大名」(’39/5) 監督演出 石山稔 撮影 永貞二郎 (喜平次) |
* 近衛十四郎(左から2人目)水川八重子(同4人目) |
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* 近衛十四郎、三城輝子 (上2枚とも) (上5枚) 除隊後の第一作 「帰って来た銀平」(’39/5) 監督演出 大伴龍三 撮影 宮澤恒夫 (銀平) |
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近衛十四郎、雲井三郎 (上下2枚) 「忍術千一夜」(’39/6) 監督 大伴龍三 脚本 三品文雄 (穴山新八) 近衛十四郎、水川八重子、雲井三郎 |
「当時、大都映画は、大手の日活、松竹、東宝、その次の新興キネマの次の、三流格でした。 入場料も安かったです。 チャンバラ映画ばかりやる会社でした。」 (稲田さまのお話) |
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大都映画社は、設備も規模も組織も、大手映画会社に比べて数段劣っていたが、生産能力だけは日本一だった。 (つまりは薄利多売主義) 撮影では、時には俳優がライトやキャメラをかついだり、殺伐として喧嘩でもしているような大声の飛ぶ忙しさだったが、 元大都の俳優やスタッフが口をそろえて言うのは、大都の雰囲気が非常に家庭的だったということだ。 |
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* 1ヶ月に渡る蒙古ロケ 狼の子を抱いている (上と右) 「地平線」(’39/10) (ハルマ王/外蒙兵タラハン) |
「・・いつも3本くらい掛け持ちでわいわい言いながら忙しい中にも楽しかったのを憶えています。 ロケーションといえば、どこでもがたがたのロケバスで行きましたが、バスのなかで合唱したりして、現場へ着くまで歌い続けました。 その中で、阿部(ご主人)、近衛十四郎さん、大乗寺八郎さん等は、たいがい二日酔いで、着くまでイビキを立てて寝ているのでした。・・」 (元大都女優の東龍子さん談) |
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(右3枚) 「絵本忍術道場」 (’39/8) 原作 冬島喬次 演出 佐伯幸三 撮影 金森利之 (漫蔵) |
東龍子、近衛十四郎 |
近衛十四郎、大乗寺八郎 |
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(9枚) 「怪傑紅蜥蜴」前・後篇 (’39/11) 演出 後藤昌信 撮影 永 貞二郎 (十六夜小僧) |
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(前篇) |
大乗寺八郎、近衛十四郎 |
近衛十四郎、水川八重子 |
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(前篇) (後篇) |
(後篇) |
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近衛十四郎、大乗寺八郎(前篇) |
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参考資料 「もう一つの映画史 懐かしの大都映画」 ノーベル書房 「喧嘩もわが青春のスポーツ」 近代映画’67年4月号 前ページへ / 次ページへ / ホームへ |