プロフィールに載せた写真資料は、すべて、北海道古典映画研究会の稲田博さまが収集されたものです。 稲田さまのご好意により、使わせていただいておりますので、無断転載はご遠慮くださいませ。 |
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デビュー デビューから大都映画に移るまで。 | ||
近衛十四郎 本名 目黒寅一、のち寅彦。 1914年4月10日、新潟県長岡市西新町(にしあらまちthanks元長岡在住さま)で、 父多七、母ミカの*長男として生まれる。*実際は長男が早世、姉と妹の間の次男だった *工業学校卒業後、鉄道建設事務所に勤めていたが、映画俳優を目指し、奈良あやめ池の市川右太衛門プロダクションに研究生としてはいる。(当時の芸名は長岡秀樹) *中島尋常高等小学校卒業後というプロフィールもある その後、日活に、野球の腕(映画界きっての名ショート)を買われて、引き抜かれるが、大きな役は付かず、主に銀棒組(「御用御用」の団体)だった。 1934年(20歳)、映画監督白井戦太郎に認められ、白井ののすすめで「近衛十四郎」と改名し、亜細亜映画で、同映画社第一回作品の「叫ぶ荒神山」(4月))に主役(吉良の仁吉)デビュー。(写真上・中) さらに、同年の第二回作品「曲斬り街道旅」(5月)にも主演。 *しかし、亜細亜映画社は、メジャー映画社に対抗できずに、つぶれる。*同年9月の室戸台風が枚方を襲った際に、撮影所が倒壊、資金繰りがつかずに閉鎖したと、キネマ旬報503号にはある。 同年、前二作を監督した白井戦太郎氏が、第一映画社を作り、彼を尊敬する近衛も、つづく。「天保からくり秘帖」(6月)に主演。 が、ここも資金難でつぶれてしまう。 翌35年(21歳)、白井監督とともに、大都映画社に移る。 |
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稲田さまのお話 実演の前に、アルバムと雑誌大都映画数冊を持って近衛夫妻を訪ねましたら、「よくぞこのようなものを持っておられた」と驚かれて、快くサインしてくださいました。(サインは筆) このとき、稲田さまは、1時間ほど映画について、近衛夫妻と話されたそうで、よく喋ってくれたそうです。(昭和24年頃) |
近衛十四郎初主演の亜細亜映画第一回作品 「叫ぶ荒神山」(’34/4) (キネマ旬報・’34/4) 原作・脚色 御壮金吾 監督 白井戦太郎 撮影 亀田耕司 配役 近衛十四郎(吉良の仁吉) 結城重三郎(神戸の長吉) 正宗新九郎(清水の次郎長) 團 徳磨(安濃の徳次郎と稲木の文蔵) 山本絹枝(お菊) 花柳洋子(小定) 中村園枝(おしげ) 松井長(大政) 谷譲二(小政) 社刃之助(法印の大五郎) 吉田益二郎(大瀬の半五郎) 天津哲也(大録の鶴吉) 落合新十郎(下矢部の 吉) 市原義夫(立川の慶二郎) 惚れて惚れぬいて夫婦になった仁吉とお菊。 清水身内の7人の謝りかねた仁吉の旅、たった三日も離れたくないお菊だった。その旅立ちに訪れた神戸の長吉、仁吉とは盆座の上の兄弟分だ。その長吉が現在の女房の兄安濃徳一家の蹂躙受けて、命と頼む荒神山の縄張りを奪われたとの話、仁吉は涙をふるって恋女房お菊を伊勢の安濃徳へ送り返して挑戦した。その折りも折、子分7人叩っ斬らんと次郎長親分が駆けつけて、2人を子分に護らせて荒神山に差し向けた。神戸の在で旅足休めた仁吉一行。 長吉は情婦小定と忍んで逢って、一夜の添い寝寝物語りに逃げておくれとせがまれた。その翌日が4月8日のお釈迦祭、荒神山の盆割り日。稲木の文蔵が仲ッ人にたったがそれを蹴られて遂に一行9人は白装束で斬り込んだ。小定の情に曳かれる長吉、斬り合い途中で逃げていった。仁吉は乱刃に傷ついて、7人衆に護られて山を下りるその途中、仁吉求めて山に来て、乱闘の跡駈けづりながら、仁吉の名前を絶叫するお菊の声、その声を山彦に聞きながら仁吉の戸板は山を下りていく。 |
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写真上下とも、「叫ぶ荒神山」 (’34/4)(吉良の仁吉) |
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亜細亜映画第二作目 「曲斬り街道旅」(’34/5) (キネマ旬報’34/4) 原作脚色 御荘金吾 監督 白井戦太郎 撮影 亀田耕司 配役 近衛十四郎(近松門之助) 正宗新九郎(源氏庄七郎 結城重三郎(新道源太左衛門・新道左門) 山本絹枝(新道松江) 花柳洋子(近松小雪) 水谷清子(田安秋野) 松井良(田安四郎五郎) 市原義夫(仁平) 社刃之助(座光寺新兵衛) 谷譲二(小谷新齋) 伊東洋(犬山伍兵衛) 吉田盆二郎(龍門仙左衛門) 天津哲也(有澤天平) 落合新十郎(松山文之助) 大谷卓二(吉岡半五郎) 福岡傳(安田善兵衛) 森龍介(直木三郎兵衛) 井村博(菊地寛十郎) 白井戦太郎氏の「春雪朧夜頭巾」に次ぐ作品 |
東海道の宿々を流れる剣道見世物師、近松門之助の曲斬りが、街道上り下る旅人の足をとどめて噂をまいた。その近松は、不逞浪人源氏庄七郎に誘拐された姉小雪を探しているのだった。三島の宿で、新道流剣道旅の源太左衛門と剣客7名。下僕から曲斬り師の話を聞いて、頑固爺の源太左衛門は邪道剣法なりと近松を斬らんとしたが却って殺された。急使は源太左衛門の江戸の家へ飛んで、父の仇討たんため左門と松江の兄妹が東より西へ、また西から東へ田安四郎五郎と剣客13名の助太刀の一隊が近松目がけて突進した。そして府中の宿、近松はそこで松江を誘拐しようとする源氏庄七郎に巡り逢い、斬りつけたが庄七郎は廓に逃げ込み、追っかけた門之助は女郎姿の姉に逢った。殺してくれるなという姉の頼みに庄七郎の片腕斬り落として夜の宿場をつつ走ると、その後を松江が何処までもついて来た。松江から仔細を聞いた門之助は、生甲斐のない身、討たれようと松江に約束したが、松江は門之助を恋し、その恋情は恩讐を越えて門之助を甦生させた。折柄助太刀13人組が門之助討たんと追って来た。 |
「天保からくり秘帖」(’34/9) (梓龍平) |
第一映画社主演作品 「天保からくり秘帖」(’34/9 三四郎さま)(キネマ旬報’34/6) (写真左) (映画広告) 原作脚色 栄本宏 監督 白井戦太郎 配役 近衛十四郎(梓龍平) 中山介二郎(親友 進藤) 正宗新九郎(鼬小僧辰五郎) 尾形章二郎(七北の金八) 社刃之助(藪蛇の新七) 大原光三郎(閻魔の嘉十) 阪東幸四郎(傳馬町の吉) 井村博(床下の丑松 岡村義夫(荒川傳内) 市原義夫(穴倉七五郎) 松井長(三河屋丈右衛門) 落合新十郎(番頭 久六) 松浦築枝(辨天 お妻) 山本絹枝(娘 お雪) 仇討欺疑偽気合術の智能犯泥棒鼬小僧一味の妨害をしては上前をはねる 梓龍平のしがない浪人生活に差し迫った50両。病友進藤に飲ませる薬代 の算段に不逞浪人荒川傳内、穴倉七五郎が、ゆすりをかける三河屋の 仲裁をして礼金を得ようとした。 龍平出てきた娘をみて驚いた。先の日、鼬小僧一味のために危ないところを 助けてからひそかに恋しているお雪だった−。 |
参考資料(プロフィール部分) キネマ旬報 「殺陣 チャンバラ映画史」永田哲朗著 「ふるさと 長岡の人びと」(長岡市、H10・3発行thanks 中村半次郎さま) 次ページへ / ホームへ |