注:そのうち要約にすると思います。


スター千一夜
(フジテレビ ‘74年 3月11日)  
松方さんがNHK「勝海舟」(主演=渡哲也)を第10回からを引き継ぐ、それに当たっての親子三人のインタビュー

関口宏: 「咸臨丸」もいよいよ出航したみたいですけどどうですか。

松方弘樹: ええ、皆さんいろいろ気い使っていろんなこと質問されたりですけど、僕は生来のんびりやですから、こだわらずに
やってます。あんまりこだわってたんじゃ萎縮しちゃうので、10回が僕の第一回だと思ってやっています。

関口:  今日はお父さまも弟さんも一緒に出ていらっしゃいます。お子さんは2人だけなんですか。

近衛十四郎: ええ、もう、後にも先にも2人だけです。

関口: こんなによく似てる親子というのは、珍しいですね。

近衛: (笑)似てますか?僕には似てないと思うんですよね。2人はよく間違えられるんですけどね。撮影の中でも間違えられるん
ですよ。でも僕には似てるとは思わないがな。

関口: 息子さんと間違えられたりして。

近衛: それはどうか分からないけどね。親子だって事を知ってるだけ。

関口: お父さま嬉しい気がしてる。

近衛: (笑いながら)ほんとね、悪い気はしないですね。

関口: ちょっと前ですが、三人で共演なさったんですね。

松方: ええ。「いただき勘兵衛(旅を行く)」で僕がゲストで。

関口: 親子でって言うのはあんまりないでしょ、一番やりにくいのは誰でしょうね。

近衛: そうですね。あの、前にもありましたけどね、前のは弘樹が主演で僕が出演したんですけど、それは本編だったんだけども。
今度はちょうど弘樹が体が開いてるからね、「もったいない」と「出ろ」と。会社の方でごたごた言ってましたがね、結局出てきて、
3人でやったんです。もう2人出してると楽でいいんですけどね、こっちは。

関口: ほんとに楽ですか。

近衛: ええ。もう、僕はあの、後ろに下がってね、2人でどんどやれと。本よみの段階では、もう僕はそう言う風にして、
2人で思う存分活躍させて、僕は後ろでこうしてじいっと見てればいいとね。

関口: 3人がらみってあったんでしょ。

近衛: そうですね、

目黒祐樹: 2〜3場面あったね。

近衛: うん。

目黒: 僕が一番みんなに気を使わせてるほうですから気が楽ですよね。僕のこと見てるの、何となく分かるんですよね。

近衛: やっぱり一番気になりますわな。まだね、なにも右も左もわからないんだから。

関口: 松方さんはもうりっぱに、ねえ。

近衛: いやいや、まだまだ子供ですよ。こないだね、去年、やっと僕がね望んでた男の子が生まれたんですよね。前2人は女で。
どうも女の子ってのはね、僕あ。

関口: だめですか。

近衛: この二人の時もね、女の子生んだらもう、名前もつけてやらんというくらい、女の子をいみ嫌うみたいに、イヤだったんです
けどね。男の子が欲しくってね、やっと男の子が生まれたんでね、もう、京都からその日すっ飛んで来ましたよ、僕は。ええ。

関口: 女の子を嫌うのはなぜですか。

近衛: なんて言うんですかね、僕は、やっぱり男臭いのが好きなんでしょうかね。

関口: 女嫌いではないでしょ。

近衛: (笑いながら)女嫌いって言うんじゃないんだろうけども、子供はやっぱりね男の子の方がいいいですよ。

関口: だって、お二人しかいなくって女のお子さん持ったことないから分かんないんでしょう。

近衛: そうね。最近になるとね、やっぱり一人ぐらい女の子があってもよかったなあと、最近思いますけどね。やっぱり、若い時分は
男の子の方がよかったですね。うん。だけどもそういう心境になってきたので、男の子が欲しい、男の子が欲しいと思ってたら、
やっと去年ね。ホッとしましたね。これがまた素晴らしいんですよ、僕が言っちゃおかしいけれど。もう近衛一家では一番美男子です。
すっごい大物の顔をしてますな。うん。

関口: 二人のお子さまがお父様の後をお継ぎになってらっしゃる、これは、お父様の思いどおりですか。

近衛: いえ、これはもう全然関知しないことです。

関口: 笑ってますよ。

近衛: いやほんとですよ。ただ、芸人になりたいというより、歌うたいになりたかったんですよ、兄貴の方はね。で、たまたま
上原げんとさんに頼んでお預けしたんですよね。で1年半程勉強してました、唄の方をね。で、僕は東京にしょっちゅう出るもんだから、
ちょっと遊びに行こうかって東映の本社へ連れて行ったんですよ。そしたら、社長が見てね、「この男の子を俺にくれ」っていうん
ですよね、亡くなられた大川社長が。で、うちに帰って相談したんですよね。そう言うことで、「どうだやってみるか」って言ったら、
とにかく本人任せですからうちは。結局やる気持ちになったんでしょうね。早速会社の方で迎えてくれたんで、それからスッと
すんなり入ったんですよ。

関口: 今お二方ともあとを継いでるのはお父さまにとっては嬉しい事ですか。

近衛: そうですねえ、まあ、サラリーマンになるよりもよかったかな、みたいな感じですね。でもやっぱりね、あの、この社会だけはね、
ほんとにものになってくれなきゃダメなんでね。だから、ものになってくれないとほんとにサラリーマンの方が呑気で気を使わなくて
のんびりいけるんではないかと思いますよ。

関口: お父さまと決定的に違うことは何ですか?

松方: そうですねえ・・決定的に違う事・・・年ですかね。(笑)

関口: 例えば仕事の仕方なんかで、ああ、昔の人だなあと思うことは?

松方: それはありますね。僕も弟もいますし、僕はちょうど中間ですわね、皆それぞれ違いますね。

関口: 橋渡しみたいな?

近衛: 橋渡しというのかね、時代のそういいう差がありますね。最近なんかねやっぱり、弘樹は弘樹なりにね、もう年輩にもなったし、
だから僕にね、仕事の上でも、ものの進み方にしても、忠告なんかすることありますよ。そうするとね、僕も考えさせられちゃってね。
「ああそうだなあ、僕も気が付かなかったけど、うん、なるほどその方が正しい行き方かもしれんな」とかねそんな風に思うことが
ありますよ。

関口: 現代にかなった一理ありますか?

近衛: そうですね、ものの考え方がやっぱり今日的だろうし、それはね、僕は??しちゃ行かんと思いますよ。

関口: そう言ったいいお父様やお兄さまをもって、弟さんとしては

目黒: 恵まれてると思ってます。芝居のことも、あんまりうるさく言わないんですよね。あの芝居違うとかね、オヤジにしてみれば
全部違うんでしょうけどね。

近衛: それはね、今僕が話した、僕が正しいと思ってやってる演技とか芝居とか、これは今日的に見たら正しくないんだと
いうようなこともね、やっぱり弘樹から見たらあるんでしょうね。そういうことは忠告する。これはいいことだと思うんですよね。
これは決して「お前達が言ってることは」なんて一蹴する、これも自分が損であって、いろいろ新しいところから見たり若い人から
見たりということは、ほんとに大切だし。

関口: それを言い合える雰囲気はなかなか出来ないことですよね。

近衛: そうですね。うち一家は全部飲みますからね。飲むとたいがいそういう話になりますね。

関口: それからもう一つ気がついたんですが、お名前が全部違うんですね。

近衛: そうですね。みんな会社でつけてくれたりね。

目黒: 僕は本名です。

松方: 目黒浩樹です。

関口: お父さまは?

近衛: 目黒寅一です。兄貴が死んだんでね、で、寅年で僕が。年のことになるけれども。

関口: ではそろそろ赤い色ですか。(笑)

関口: 今日はありがとうございました。咸臨丸の成功祈ってます。

松方: どうもありがとうございます。

近衛: どうもどうも。

     (終)






3時にあいましょう(TBS ‘74年3月15日)

近衛十四郎: もう古いことであまりはっきりした記憶はありませんが、とにかくやんちゃでね。ガキ大将で大変なものだった
ですね。チャンバラはやってましたね。

       (CM)

船越英二: さて今度は皆さまおなじみの近衛十四郎さんでございます。そして、奥様の、えー近衛さん、ご紹介して頂きましょうか。

近衛: ぼくね、随分物持ちがよくって。連れだってもう30年以上もなりますからね。そのあいだ、まったく天下一点わがまま
だしね僕は、ワンマンだし、もうね、世の中夫婦喧嘩ってあるでしょ、うちは夫婦喧嘩ってのはないんですよ、絶対喧嘩にならない。
僕が一喝怒鳴ったら全部僕の言うとおりにしてくれる、そういうね。

船越: 目黒八重さんでございます。奥さんは元女優さんで、水川八重子さん。そして近衛さん、18歳で新潟の故郷を後にして
芸能界に入られたんですね

近衛: そうですね。子供の時から好きで好きでしょうがなくってね。

船越: で、どこへお入りになったんですか。

近衛: あやめ池という奈良の、右太衛門プロダクションへ、あそこへ研究生で入ったんです。

天池総子:ご結婚されたのはその当時ですか。

近衛: そらもう、ずっとあとです。

船越: それからどうなさったんっですか。

近衛: それから今の大映京都、旧日活に入りましてね。

船越: 僕らが学生時代覚えているのは大都映画っていって、その頃、二枚ねでね、人気は大変だったですからね

毒蝮三太夫:僕たちは、東映でいい渋い仇役、今はテレビの「月影兵庫」と「花山大吉」って、あの浪人姿で二枚目ってみたことなかった
んです。さっき楽屋で二枚目だったんですね、って言って、怒られたんです。

船越: そうすると、その大都映画でお知り合いになられたんですか。

近衛: そうですね。日活の後ですね。

毒蝮: 当時水川八重子さんって大スターだったんですか。

近衛: そうですね、だいぶ売れてました。僕が行ったときは新?生で、その当時研究生で入ってきたんです。

毒蝮: 一応、あれですか、研究生をかっさらったと言うことになるんですか。

近衛: うん。(笑)なんか今はこんなボリュームあって凄いけども(笑)、当時はかわいらしいなと思って。うちで一番
ボリュームがあるんですよ。だから息子たちが一緒に出るのイヤだって言うくらいね。

船越: 戦中戦後と劇団をもたれて

近衛: そうですね。

船越: その時、奥様は

近衛: ええ、相手役でね、困らなかったですね。健康だったし。いきもお互いにあってるし

天池: 奥様、プロポーズの言葉って覚えてらっしゃいますか。

毒蝮: 「近う参れ」ってそれだけじゃ(笑)

近衛: よく散歩に行きましたよ、夜ね、撮影所が一緒だったし。飛鳥山とかよく行きましたね。で、夜間があってね
遅くなって、旅館へ休もうということで部屋を借りて休んだわけですよ。それで僕はいきなりキスしようとしたわけだ、
そしたらね、ほっぺたひっぱたきやがってね。

毒蝮: ご夫婦じゃないときでしょ

近衛: もちろんそうです。そしたらね、ほっぺたひっぱたかれてね、こりゃいけねえな「俺が悪かった」と。さすがの天狗も
予期しなかったですね。油断してましたな、こいつは。もういいかと思ったらまだダメなんだ。

毒蝮: 主演だからどうにでもなると思ったんですね。

近衛: そうなんですね。そういう意識があったのかもしれんですな、やっぱり。

船越: そして劇団で全国回られて

近衛: そうですね、全国回らん所がなかったぐらいですね

船越: その当時お子さんは松方さん、目黒さん。

近衛: 結婚した明くる年に弘樹が生まれたんですけど、それから2歳の時か、僕は召集になりましてね。

水川: 三歳です。

船越: 全国回られたときはお子さんは。

近衛: おばあちゃんが元気でしたからね、東京でね。

船越: そうですか。それでは今日は、お子さんの声がありますので、きいてみたいんですけど

松方弘樹(録音): 松方弘樹でございます。僕は32年間オヤジお袋に育ててもらいまして、オヤジの希望としては僕と弟の
目黒祐樹と3人で盃をかわすというのが僕らが生まれたときの希望だったらしいんですけど、今やその希望は叶えられまして、
3人でしょっちゅう飲んだりだべったりしておりますけど、ただ、あんまり怒らないでくださいね、弟でも。僕も最近あんまり
怒られないようになりましたけど、あんまり怒らないようにしてください。

近衛: 怖かったらしいですね、僕はね、ちっちゃいときは。

船越: それでは目黒さんを引き続き

目黒祐樹(録音): 僕とか兄貴とかお袋とか、3人であまりの飲むな飲むなというわけですよね。それで、最初のうちは
「うん、分かってる分かってる」なんて言うわけですが、あんまりしつこく言うと、怒り出しちゃったりなんするときがあるんです、
ポンポンいっちゃう方ですので、そういうお袋がカバーしてる面があるんじゃないかと、僕は思うんですけど、夫婦ってのは
うまいことできてますね。

船越: 今ありましたように、近衛十四郎さんというとお酒とは切っても切られないという。近衛さん、相当昔からお飲みにになると。

近衛: 昔はかなり量も負けない程つよかったんですけど、最近、3年程前に、糖尿病って言う病気をやりましてね、参りましてね、
しばらく止めたり、飲み出したり、また止めたりなんかしてね。ずっと止めっぱなしってわけにいかないわけですよね。で、結局
病気が治る時点にいったのか、やっぱりウィスキー飲みながら治したようなもんでしてね。今はもう完全に治りましたけどね。
その当時はほんとに参りましたな、あの病気には。

船越: どのくらい何を召し上がりますか。

水川: 私ビックリしたのは、ちょうど巡業してる当時に、お酒が不自由な時に、どういう経路でか、御ビールとお酒をたくさん
差し入れていただいたんです。御ビール2ダースとお酒が5本ですか。そしたら「ビールはとにかく俺が一人で飲むからやらん」と、
「お酒は要らんからみんなで飲め」と配ったんです。ビール一気に23本、もう私ビックリしてね。ウィスキーになりますと
量がしれてますからね、まぁ強いですけど。ビール23本がどこに入ったかと思いました。

船越: 一時、劇団の途中で声が出なくなったことがございましたね。

近衛: ああ、そうでしたね。だいたい僕はね、声帯が弱いんですよ。だけど、僕は熱演居士だしね、もう力一杯やらんと
気がすまんほうでね。8ヵ月、声が出ないまま芝居しました。大阪巡業中に、医者に通いながらね。声がまるっきりでない、
かすれてるなんてもんじゃなくて、まるっきりでない。

船越: マイクなんてありませんしね。

近衛: そう、もちろんなかったですね。やっぱり聞こえなくっても、やっぱり隅々まで芝居のあれが聞こえなきゃいかんので、
体で(以下不明)

船越: そうですか。当時70人近い劇団だった。

近衛: そうですね、一番多いときは。当時ね、僕はまた道楽でね、なんぼでも俳優を寄せるわけですよ。入りたいと言えば、
なんぼでも来い来いって言ってね。

船越: どうだったですか、奥さま、大変厳しくって

水川: えで、人を寄せるのが好きですから、家の中は年中火の車でしたね。分からずにとにかく来いと、みんな呼んでは
どんちゃん騒ぎするでしょ。

船越: 実は今日その当時、劇団結成されてる当時の方で、是非お会いしていた大機隊方ですが。ご紹介して頂きましょうか。

近衛: あ、どうも。朝本相十郎っていってね、大都から僕の弟子になったんで、それからずっと実演に長いこと協力してくれた
僕の一番弟子なんです。随分弟子はいますけどね、一番弟子なんです。

毒蝮: 今のお名前は。

笈川: 笈川。

毒蝮: もうこの道は。

笈川: ええ全然もう。

船越: 奥様はご一緒の劇団で?

笈川: はい。

近衛: あの、僕が??っていうね一座にいたわけですが、、、僕が満州いってる間に彼は結婚したんです。

船越: 座長の近衛さんはどんな方ですか

笈川: そうですね。普段は非常に弟子思いですけども・・舞台になるとうるさくってねぇ。ちょっとでも笑ったりね、
?ったりすると絶対許さないですね。

毒蝮: ビシッと来ますか

笈川: ビシどことろじゃないですよ。(笑)

水川: 刀でね。

笈川: 私は弟子でも一番上で古かったから、殴られたことないですが、他にいたんですが、もうしょっちゅうです。

水川: でも、怒った後は必ずなだめるんです。お酒飲む人は呑まして、食べる人はよく?するとか

船越: お芝居以外にはどんな人でした。座員の中の男女関係はきびしかったと。

笈川: ええ、とにかくうるさかったですね。それでちょうど親分がいない(間に)ですね。(笑)

毒蝮: 厳しいたって、さっき、いきなりキスしようとしてひっぱたかれたのに(笑)自分だってやってんじゃないですか。
要するにいい加減な付き合い方をするなって事ですね。

船越: 奥様その当時、近衛さんご自身はどうだったんですか。

水川: やっぱり役者ですからね、もてないとおかしいですしね。そりゃありましたよね(笑)、ありましたけど、あたしは
自分が知らない間にやるんだったら、これはもう仕方がないと思ってます。ただ、

毒蝮: たしか、この間も近衛さんの名前を語った人がいましたね。そっくりさんで。

近衛: あれね、書かれたっきり、僕は一度も会わないんだけどね、僕に子供が出来たって言うんですよね。それで近衛十四郎
だといってキャバレーで遊んでたんです。

船越: そんなに似てらっしゃる方?

近衛: それは僕も知らないです。あんまりしつこく手紙が来るし、あまりいい気持ちもしないしね、一ぺん呼んで納得させてやろう
と思って呼んだんですよ。そしたら友達を連れて来ましたよ、僕見てビックリしてるわけですよ、違うって言うんでね。泣いて返りました。

毒蝮: 騙されたんですか。

近衛: そういうことですね

船越: お酒を飲まれるとどういう方ですか。飲まれない方ですか、お酒には。

笈川: ええ、飲まれないですね。飲んでもたいていお芝居のこととかね、演技のことを。

天池: やっぱり芸に打ち込んでらっしゃったんでしょうかね。

笈川: それだけはうるさかったんですね。

近衛: 研究生で入って実演というものを知らなかったんです

     (CM)

船越: どうでしょうか橋本さん(多分、別の出演者)。どのくらいお酒。

橋本: もう弱くなりました。

近衛: 段々弱くなりますね。(笑)

近衛: 全然飲まないです。

水川: (不明)

近衛: でも最近だしね。前は全く飲まなかった。

船越: 前は笈川さんからご覧になって近衛さんはどんな夫婦ですか。

笈川: 私はね、夫婦ゲンカってのを聞いたことないです。ただ舞台衣装でね、奥さんがちょとふざけたんですよね、その時に
ちょっとね楽屋に入ったら怒ったんですねぇ。






徹子の部屋    <松方さんが11年ぶりの主演「真田幸村」の撮影を終えた頃>

松方弘樹: 僕が生まれたときには、割と裕福というか優雅だったんですね。でも僕と5つ違うんですが、弟が生まれて2、3年
してから、ちょっとオヤジが。

黒柳徹子: 大変失礼ですけど、これ(写真)は裕福な。

松方: そうです。これは3つぐらいの時ですから、とっても優雅な。

黒柳: こんなにたくさんぬいぐるみがあるなんて。

松方: 3つっていうと、昭和20年です。ですけど、ほんとにあの程度のうちだったんですけど、これが、あるとき突然ガァーっ
とダメになりますんでね。

黒柳: お父様の近衛十四郎さんは、そのときは、あなたがお生まれになった頃は、お仕事が順調だったんですか。

松方: はい、順調でした。で、お袋も女優としてやってまして、二人で稼いだ収入というのはたいしたもんだったらしいですね、
話聞きますと。何百円ですけどね。

黒柳: それが、どうしてそうなったんですか。

松方: あのねー、うちの親父というのはとっても波瀾万丈の人生を送りましてね、波というのが非常に大きいんですね。その点、
僕もなぜかちょっと似てるような気もするんですけども(笑)。非常にその波が大波なんです、さざ波じゃないんですね。ですから、
波のどん底行ったときにはひどいもんなんです、仕事はないですしね。ですから僕が小学校高学年のときには全部売り売り生活でしたね。

黒柳: おみかんを買って欲しいって言っても、それももらえなかったとか。

松方: ええ、ただね、ミカンを買ってくれといったのはうちの弟でしてね。僕はもう、あまりにもうちに何もないもので、弟にも
買っちゃいけないと言ったほどですね。

黒柳: そのぐらい。

松方: はい、ひどかったです。もちろん、社会全体が終戦後で物資が少なかった時代ですけども。

黒柳: これはあなたですか。

松方: はい。これは小学校入ったころぐらいですかね。まん丸い顔してるんですよね。

黒柳: どういうお子さんですか、その頃は。

松方: 小学校に入ったときは割とおとなしい子どもでした。健康優良児で表彰されたこともありますし。ただ小学校4年頃から
悪ガキにちょっとなりましてですね。ガキ大将というか、先生にも反抗したりする学生になりましたね。

黒柳: 野球をおやりになるのはその頃ですか。

松方: そうですね。そういう意味で子供心にオヤジの商売、俳優というのがあんまりお金の儲かる商売じゃないと、今でも自分が
やっててもそう思ってますけど。これはオヤジと同じ商売やっちゃあいかんと。割と僕は。野球は優れたセンスを持ってた親なんですね。
どうしても野球の選手になりたくて、あるときに。オヤジは役者になる前に、野球で芸能界にスカウトされた見たいな部分があるんで。

黒柳: お父様もそうなんですってね。野球がおできになるんで引き抜かれたんですね。

松方: 芝居が上手いとか顔がいいとかじゃないんですね、昔は野球、各社が対抗してましたんで、野球の上手い人から順番に
採用していったわけですね。で、小学校高学年になった時に、僕が野球やりたいと言ったら「よしじゃあ」。今で言う千本ノック
ですかね、校庭に連れて行かれましてね、もうほんとにさっきのセットじゃないですけど暑い照り返しのある校庭で千本ノック受けると、
血反吐は吐きませんでしたけど。これでまた野球やってるもんですからね、上手いんですよ。捕れるぎりぎりの所へね、球がびゃーっと
来るわけですね。ゴロだとかライナーをぎりぎりの所へ持って来るもんですからね、捕らないと取りに行かないといけないでしょ、
だからなんとか飛びついてと捕るんですよね。例の、江川さんがへとへとになった恰好を新聞で見たことありますけど、ほんとに
そういうことやらされたんですね。

黒柳: お父様は、ほんとにその間、平気でもってコンコンお打ちになる。

松方: そうです。とにかく、野球の選手としてはおまえは素質がない、ということを僕に認めさせようとするわけですからね、
野球をあきらめさせようとするわけですから、大変な執念ですよ、親としては。

黒柳: でもあなたは素晴らしい才能あると思ってらしゃるわけでしょ。

松方: 僕は、並の生徒が例えば3年でレギュラーになれるのが、僕1年でレギュラーでしたからね。よし、俺は野球いけるんだと
思ってたわけですよ。ところがオヤジのノック受けたときに、これはダメだと思ったんですね。「こんなことでへこたれる、おまえ
もう辞めろ」って言われて野球は。それで僕すぐ辞めたんです、素直に。親のいうことすぐに聞いちゃうんです。

黒柳: でも、おやりになってたら凄かったかもしれないじゃない。

松方: いやあ、でも僕は今、役者やってるでしょ、37になりましたけど、野球の選手で37といったら、かなり淘汰されてる
年齢ですからね、ですからオヤジの言うこと聞いてよかったと思ってますけどね。

黒柳: お父様はやっぱりあなたに随分いろんな影響を。

松方: ええ、もう随分どころじゃないですね。オヤジの人生そのまんま生きてるようなところが随分ありますね、やっぱり自分で。
女性に対する考え方だとか、家庭の中の作り方ね、要するに家長は一人しか要らないんだみたいな考え方とか、従業員に対する
接し方だとか、随分、32の時にオヤジ亡くなりましたからね、それまでに随分いろんな事、勉強。

黒柳: もうお父様お亡くなりになって5年。

松方: もう足かけ4年ですか。

(CM)

黒柳: お父様のそのままを生きてらっしゃるということですが、今でもあなたはおうちではあんまりお口をおききにならないですって。

(要約) と言う質問に、外ではどうしても喋らないといけないので、うちでは必要最小限しか喋らないと。チャンネルすら
指示して、仁科さんに変えてもらう。

松方: それはだけどね、うちのオヤジがそうでしたしね。それがいい悪いじゃないんですよね。もう30何年間それ見て来て
生きてるわけですよね。ですからどうしてもそうなるわけです。

(要約) しかし、仁科さんは、非常によくご両親に育てられた娘さんで、横着な松方さんに文句も言わずに従ってくれる。打ち上げ
などで飲みに行った時に、「これから家へ行く(=人を連れてくる)」というと「帰る(=一人)」と違って、それからうちまでの
30分の間に料理しなけりゃならない。で、お客さんがいる間は、いろいろ喋っているが、明け方になってお客さんも帰り、二人に
なった頃には、酔いも回ってもう喋りたくない。彼女でなきゃ、横着な自分の面倒見切れなかったと思う。

松方: そう言う意味でね、うちの両親なんですけども、お袋がオヤジが死ぬ10ヵ月前に亡くなっちゃったんですね。うちのオヤジは
お袋がいなかったらなんにも、本当にわかんない人なんです。夫婦というのは不思議で、自分があのときに夫婦というのは不可思議
で信じられないときでしたので、夫婦という存在を。ですからオヤジがお袋に対する思いというのが、僕はどうしても分からなかった
んですね。ところが今になると、なるほどオヤジの気持ちというのはこういうもんだったんだな、というのが分かる気がして。あのとき
は分かんなかったんです。自分自身を省みてね。

黒柳: お母様がお亡くなりになった後のお父様というのは。お母様がお亡くなりになって、何もかもがダメみたいになってしまった。

松方: 生きてることが億劫なんですね。オヤジ脳溢血だったんですけども、だいたい一回発作を起こして倒れて「二度目の時は
もうダメですよ」と主治医に言われてたわけですね。「こういう食事と、こういうもの、で、アルコールはダメですよ」とか
いろいろ制約されるものがあるわけですね。その制約されたものしか食べないわけです。ですからもう、自殺行為ですね。で、
早くお袋の側へ行きたい、行きたいという感じしかないわけですから。ほんとに、僕あんな姿、オヤジと僕、32年間付き合い
ましたけどね、オヤジのああいう弱々しいというかね、とにかく突っ張って生きてきた人ですから、そりゃもう立ち回りなんかしたら
おっかないほどの人でしたからね、その人があんなになっちゃうというのは、やっぱりお袋の側に行きたいからというね、
何者でもなかったですね。もう息子も、僕も弟もないんです、そうなると。とにかくお袋の側へ、それだけなんですね。

黒柳: 今になったら分かります。

松方: 分かります、今はね。だんだん横着になりますしね。だけどあの当時、オヤジを不審な人を見るように見ましたけど。
今はとってもよく分かりますね。

(CM)

黒柳: あなたのお母様も、お父様が外で遊んでらして帰ってらっしゃって、遅くなっても、ご飯作って待ってらっしゃった。

松方: はい、待ってました。

黒柳: それで何か、お母様がご存じないうちに、あなたが女性を、お父様の影響によって知ったというとき、お母様はとっても
お泣きになったんですって。

松方: 僕が16歳ですかね、そのときに、要するに男の子じゃなくって男になったと知ったときには、お袋はウォンウォン
泣きましたね。涙がこんなに出るものかと思うくらい泣きましたね。お袋があんなに涙流したのは初めてみました。

黒柳: どういうお気持ちだったですか。

松方: 分かりません。分かりませんけど、弟のときは、二度目ですね、ちょっと慣らされてまして涙が少なかったんですが。弟の
ときには僕が言ったんですけどね。

黒柳: お母様としも、妻としても素晴らしい方だったんでしょうね、きっと。

(要約) 話変わって、仁科さんとのことで、松方さんは、俳優生命は終わりになるかもしれないとまで覚悟されていた。

松方: 僕自身としてはね、いいこと悪いこと両方重なっていっぺんに起こったわけでね。もうオヤジも死に、その10ヵ月前
にはお袋も死にして、僕もさっきのオヤジの話じゃないですけど、波が激しいんですかね。なぜか平々凡々たる人生を送ってない
みたいな気がするんです。そういう点でもオヤジの教えというか、オヤジがやっていたことを子供の頃いろいろ見てたんじゃない
でしょうかね。ですからどうしてもオヤジと似て来ちゃうんじゃないですかね。

(後略)